【解説】アメリカのヒップホップ界の超大物であるショーン・コムズ(ディディ)が性的人身売買や売春目的での移送などの連邦犯罪で起訴された裁判は、世界の大きな注目を浴びました。この裁判において、ディディの虐待された恋人でR&Bの有名シンガーであるカサンドラ・ベンチュラ(キャシー)は実名で証言しました。以下は、女性人身売買反対連合(CATW)の事務局長であるテイナ・ビエン・アイメさんがこの裁判について論じた最新記事の全訳です。
テイナ・ビエン・アイメ(女性人身売買反対連合事務局長)
『ミディアム』2025年5月20日
4日間にわたる過酷な証言の最後、カサンドラ・キャシー・ベンチュラの堅い表情は崩れ、静かに泣き出した。ニューヨーク南部地区連邦地方裁判所の、人であふれ返った法廷では、ピンが落ちる音さえ聞こえるほど静まり返っていた。
R&Bのシンガーであるカサンドラ・ベンチュラは、エンターテインメント界の大物ショーン・ディディ・コムズに対する訴訟の重要証人であり、彼は、性的人身売買、組織犯罪による不正利得(racketeering)、売買春を目的とした移送など、5つの連邦犯罪で起訴されている。
臨月間近の身重で、物腰は柔らかいが意志の強いベンチュラは、ポップミュージック、ラップ、ヒップホップなど何百人もの大物アーティストと契約した音楽レーベル「バッド・ボーイ・レコード(Bad Boy Records)」のビリオネア創設者との11年にわたる断続的な関係について、次々と投げかけられる質問に答えた。
ベンチュラの主な証言は、ディディ・コムズが彼女に「フリークオフ」と名づけられた売春行為を毎回、何日も続けてさせていたことに焦点を当てていた。ディディは、Craigslist や Backpage などのウェブサイトで見つけた男性買春者をベンチュラに周旋したり、周旋するよう強制したりし、そのうちの何人かは常連客になった。ディディは男たちに報酬を支払い、ベンチュラとの性行為を撮影した。
双方の弁護士は、ベンチュラからディディ・コムズへの数多くの携帯メールを提示し、10年間にわたってなされていた数百回の「フリークオフ」を拒否したり、同意したりしている内容を示した。
ベンチュラは、ディディが「フリークオフ」を企画・実行するために要求したおぞましい詳細を具体的に説明した。その中には、画面上で肌が輝いて見えるようにベビーオイルで満たされたビニールプールに浸かることや、「睡眠薬」「アンフェタミン」「ベンゾジアゼピン」「オピオイド」を用意しておくことなどが含まれていた。「私は、 しらふでそこにいることができなかった」とベンチュラは法廷で述べている。
ディディは、おそらく何らかの命令に従わなかったとかいう理由で、フリークオフ中またはその後に、ベンチュラに激しい暴行を加えた。ベンチュラは、ディディによる暴力の後、黒くなった目や縫合した傷が治るまで数日かかったと証言した。
ベンチュラは、フリークオフで受けた他の深刻な健康被害を詳細に挙げた。点滴を必要とするような激しい脱水症状、慢性的な尿路感染症、長期にわたる消化器系の疾患、そして買春男との反復的な口淫と潤滑剤の化学物質による口内の潰瘍。
その証言を聞くのはとてもつらいものだった。法廷が休憩になるたびに、私は他の傍聴者の反応を興味深く観察した。法廷は記者、ブロガー、SNS のインフルエンサーたちで埋め尽くされていたが、その中のあるグループ、おそらくディディのファンと思われる連中に私の目がとまった。彼らは、性的人身売買の容疑を覆した弁護団を称賛し、なぜディディがまだ刑務所に収監されているのか不思議だと話していた。
これらのディディ・ファンたちは、どちらも〔つまりディディもベンチュラも〕麻薬中毒者で、立派な大人で、そして同意していたと言い、ベンチュラは、歪んだ関係だったとはいえ、おかげで名声と富を得たし、その関係も、破天荒なシンガーにありがちなライフスタイルであり、暴力はお互いさまだと言っていた。
つまり、2人は互いにふさわしいカップルだったというわけだ。
ネット上の議論をざっと見てみると、これが一般的な意見であることがわかる。しかし、女性の性的搾取の廃絶を主張する私たちにとって、ベンチュラが法廷で述べたことは、売買春や性的人身売買のサバイバーたちの実体験そのものである。
親密なパートナーによる虐待、性的暴行、性的人身売買における強制的な支配と権力不均衡の悪用について研究を行なっている臨床心理士のチトラ・ラガヴァン博士は、通常では理解できないような被害者の行動を理解するための枠組みを提案している。強制的な支配とトラウマ・ボンディング〔虐待やDVのように、ネガティブな経験とポジティブな経験が交互に繰り返される関係性において、被害者が加害者に対して抱く強力な感情的な絆のこと〕では、交渉は存在せず、抵抗は報復や服従の命令で抑え込まれる。
ディディ・コムズは38歳の時、まだ19歳だったベンチュラをグルーミングし始めた。彼女は、ディディが自分にオピオイドとオーラルセックスを教え、音楽界での成功を約束したと主張している。
彼は、セレブの限定パーティーやレッドカーペットへの出席、プライベートジェットの利用といった特別待遇と、絶え間ない暴力、フリークオフ中に撮影したポルノビデオ(ベンチュラはこれを「脅迫材料」と表現した)を公開するという頻繁に繰り返される脅迫とを結びつけて、ベンチュラを支配していた。
ベンチュラは、何度も虐待的関係に舞い戻っていった自分に失望したが、「彼が私にさせたいことは何でもした」と証言し、ディディへの深い愛を繰り返し強調した。
なぜディディに、フリークオフを行なうことに同意する携帯メールを何度も送ったのか尋ねられた彼女は、「自分の仕事をしただけだ」と答えた。彼女は後に、自分をコムズの「セックスワーカー」だと表現したが、裁判官は陪審員たちにこの発言を公判記録から削除するよう求めた。つまり、コムズは彼女のピンプとしての役割を果たしていたのだ。
コムズが利用したベンチュラの脆弱性がどの程度のもので、またどのような性質のものであるかは不明だが、ラガヴァン博士は、文化的な期待が、虐待者や人身売買業者による強制的な支配のリスクを悪化させる可能性があることを強調している。
例えば、ベンチュラは 2000 年代初頭に成人した。この時代は、『Girl on Girl』の著者であるソフィー・ギルバートが、大衆文化、特にリアリティ番組やヒップホップにおいて、企業によってミソジニーが美化された退嬰的時期だったと表現している。このような環境の中で、ベンチュラは、女性が自分自身を客体化し、男性に性的に服従することがエンパワーメントと同義であるというメッセージを受け入れてしまったのだろう。
ベンチュラとディディ・コムズの関係について、どのように分析し、共感し、非難するかは人それぞれだが、裁判にかけられているのは彼女ではない。
正義を追求するため、ベンチュラは 2023 年、ニューヨーク州の「成人サバイバー法」に基づき、ディディ・コムズに対して民事訴訟を提起した。この法律は、これまで時効により訴えられなかった性的暴行について、1年間の時効の特別延長を認めるものだ。この 12ヵ月間で 4000 件近くの訴訟が提起され、その多くは、ベンチュラの今回の訴訟、E・ジャン・キャロルによるドナルド・トランプに対する訴訟、ビル・コスビーに対する多くの女性たちによる訴訟など、注目度の高いものだった。ベンチュラは 2000 万ドルで和解した。
連邦レベルでは、ディディ・コムズがフリークオフに参加させるために男性買春者を州境を越えて移送した容疑は、マン法(売買春を目的とした州境の越境を禁止する連邦法)に違反しているといえるだろう。しかし、人身売買被害者保護法(TVPA)に基づいて性的人身売買を立証することは、より困難な課題だ。
TVPA の性的人身売買の定義は 2つに分かれており、1つは、ディディ・コムズのような買春者を性的人身売買の連鎖における加害者として挙げているが、検察は、もう一つの定義、すなわち、人身売買を、搾取者が暴力、詐欺、または強制という限られた手段によって行なう「深刻な」形態のものとしてのみ定義する刑事規定にもとづかなければならない。この欠陥のあるより狭い定義により、多くのサバイバーが正義を勝ち取ることができなくなっているので、改正が必要だ。
たとえば、ニューヨーク州法では、性的人身売買の構成要件には、売買春をさせること、売買春事業を営むこと、判断力を損なう薬物を使用すること、パスポートを隠匿すること、移動を制限すること、暴力や脅迫を用いて被害者を支配し続けることなどが含まれており、これらはいずれも、ベンチュラの証言に典型的に見られるものだ。
ディディに対して民事訴訟を起こした理由を尋ねられたベンチュラは、「もう耐えられなかった。恥の意識、罪悪感、人々を使い捨てのモノのように扱った自分の態度にも」と答えた。
ディディに対する裁判は、少女たちの非人間化や男性による女性への暴力を称賛する数十億ドル規模の文化産業に、熱狂的に、あるいは密かに、無数の人々が加担してきたことを振り返るいい機会だ。
また、ベンチュラの勇気ある証言は、人生で成功したいとか、愛されたいという願望ゆえに性的被害を受けるべきではないという理解へと、人々を近づけてくれる贈り物だと考えるべきだ。
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