【解説】以下は、当会のメンバーである中里見博によるもので、2025年6月20日付『朝日新聞』に掲載された「天声人語」の記事を批判したものです。政府が性産業に対して新型コロナの給付金を支給しなかったことに対し、性産業の事業者たちが「法の下の平等」に反するとして訴えた裁判において、2025年6月16日、最高裁はその措置に対して合憲だとの判定を下しましたが(ただし5人中1人は違憲と判断)、「天声人語」の記事は、性産業事業者側と同じく、その判決を不当だと批判しています。
中里見の批判は『朝日新聞』編集部への抗議文として書かれ、送られたものですが、性風俗業に関する一般に見られる錯誤とセックスワーク論的流れを簡潔に批判するものとなっていますので、ここで紹介することにしました。『朝日』や『毎日』など、「人権擁護」を建前上標榜するリベラル系メディアが実際には、性売買を推進する反人権的・反女性的立場であることは周知の事実ですが、今回の「天声人語」もまさに、そのことをはっきりと示すものです。後日、英語版もここで公開する予定です。
2025年7月5日
中里見博
『朝日新聞』の購読者で、憲法、ジェンダー法学を研究している中里見博と申します。6月20日付け「天声人語」(以下、同天声人語)を読んで感じたことを書かせていただきます。
同天声人語に書かれた内容を読んで、まず浮かんだ感想は、「性風俗の利用者が書いた文章だな」というものでした(同じ感想を複数の人からも聞きました)。少なくとも、性風俗利用者の意見を内面化し、あるいは代弁するものであることは否定しようがありません。
同天声人語は、裁判所の「判決内容」を批判するものです。たとえ気軽なエッセイとはいえ、「天声人語」が『朝日新聞』の一面を飾る「顔」の一つであることを考えれば、判決内容を批判する以上、その判決が扱う法律(ここでは風俗営業等適正化法や売春防止法)、性風俗業に関する判例をある程度リサーチし踏まえたものでなければならないはずです。
しかし、同天声人語からは、そのような最低限のリサーチすらしていないことが見て取れます。そしてリサーチもおろそかに、性風俗利用者として(あるいはその代弁者として)、判決に対する怒りにまかせて書かれたことも感じ取れるものになっています。
同天声人語の主張の核心は、以下にあると思われます。
「人としての尊厳を害する」と禁じられている売春と違って、デリヘルは風営法で営業を認められている。なのに、あいまいな理由で他とは違う扱いを強いられる。そこがのみ込めない。
そこには、「売春」=「売春防止法で『人としての尊厳を害する』という理由で禁止されている」/「性風俗業」=「風営法によって営業が認められている→よって人としての尊厳を害しない」という形式論理的二分法が、暗黙裡に前提されているようです。この暗黙の前提に立ったうえで、最高裁が「性風俗業は従業者の尊厳を害するおそれがある」という「抽象論」によって性風俗業者への給付金不支給を妥当と判断したことに疑問が呈されています。単なる疑問の提示どころか、「人の尊厳を害するのは、この判決のほうではないか」 という原告の強い非難の言葉を肯定的に引用すらしています。
しかし、本当に「性風俗業は風営法で営業が認められているから、売春とは違って人の尊厳を害しない」などいう形式論が成り立つのでしょうか。このような形式論を、物事を実態に即して理解すべきジャーナリズムに携わる者が振りかざすのをみて、ゾッとしました。
ここでは、形式的思考に長けた裁判官が、性風俗業に対してきちんとした実態論を展開していることを紹介します。
性風俗業に関するある判決は、「手淫」という性交類似行為を、「売春の業務が業態を変えて脱法的に行われる」ものと捉え、その業務内容は、「女性の人格を無視してこれを男性の快楽のための道具視する非人間的な業務である」と述べています(1966年12月16日東京地裁判決・判例タイムズ204号180頁)。別の判決は、「手淫、口淫等の性交類似行為をする業務」は「婦人の人としての尊厳を害し、社会一般の通常の倫理、道徳観念に反して社会の善良の風俗を害するという点で、売春との間に実質的な違いは認められない」と明確に述べています(2002年7月16日神戸地裁判決)。
これらの判決の判断は、まったく正当であると言えます。男性が金銭の力によって、女性の性的同意を買い取ったうえで、その女性の膣に射精すれば「女性の尊厳を害する」が、女性の口や顔や腹や手に射精すれば「女性の尊厳を害さない」などとは、まったく言えないからです。
司法府は、射精産業としての性風俗業の営業を風営法が認めていることは誤りであることを、長年繰り返し指摘しています。それにもかかわらず、政府、立法府は、性交だけでなく「手淫、口淫等の性交類似行為」をさせる性風俗業をも禁止対象にする売春防止法改正を怠り続けているのです。
次に、風営法の理解の問題点についても指摘します。風営法は、同天声人語がほのめかすように、性風俗業を「1万8千種を超える職業」と同等の単なる1つの職業として認めているわけではありません。そのことは、風営法が第1条で、立法趣旨を「善良の風俗と清浄な風俗環境を保持し、及び少年の健全な育成に障害を及ぼす行為を防止するため」と述べていることからわかります。つまり同条は、性風俗業を「普通の職業」として認めることは、「善良の風俗と清浄な風俗環境を保持し、及び少年の健全な育成に障害を及ぼす行為」が発生するという前提に立っているのです。それは単なる「『おそれ』にとどまる抽象論」などではなく、「必ず発生する」という意味での具体的危険論です。そのことは、例えば、性風俗業が小学校や市役所の隣に出店されたり、少年少女に性風俗店への立ち入りを認めたりしたらどうなるかを具体的に考えればわかるはずです。
また、風営法が風俗業を「許可制」にする一方で、性風俗業を「届出制」にしていることも重要です。風営法は、この分野の基本法である売春防止法の趣旨を踏まえて、性風俗業を「積極的、肯定的」に「許可」することをせず、単に実態を把握するために「届出」させることにとどめているのです。
これらのことから風営法は、性風俗業を「他の職業と同等に営業を許可しているのではない」というのが風営法の一般的かつ妥当な解釈です。今回のコロナ給付金を性風俗業者に支給しないとした立法判断、それを適法、合憲とした司法判断は、このような風営法の解釈および性風俗業に関する判例を踏まえた、正当なものであると言えます。
これらのことを踏まえると、同天声人語の主張は、最高裁判決に対する主観的で独断的な論難にすぎないことがわかります。もしも今回の最高裁判決を批判したいというのなら、少なくとも、風営法が性風俗業に消極的、否定的な姿勢を見せているという理解を説得的に論破し、かつ手淫をさせる「脱法的」な「売春類似行為」を「人格を無視して、快楽のための道具視する非人間的な業務」とした判例の評価(1966年東京地裁判決)を、実態に即して否定しなければなりません。しかし、そのいずれもまったくなされていません。
以上の理由から、判決内容を批判するエッセイを、法の趣旨や関連判決を踏まえることなく、主観的独善的に行なった同天声人語の執筆者には、ここに猛省を求めます。
追伸
性風俗業に関して筆者は、「性風俗営業の人権侵害性──『性交類似行為』をさせる営業等の違法性に関する諸判決」(『行政社会論集』23巻3号、2011年)を書いたことがあるので、コピーを同封しました。上で引用した判決の出典が記してあります。
「中里見博「性風俗業は女性の尊厳を毀損する──『天声人語』が見逃したもの」」への1件のフィードバック