ジョー・バートッシュ「代理出産について英国議会が知っておくべきこと」

【解説】以下は、イギリスのラディカル・フェミニストでジャーナリストのジョセフィン(ジョー)・バートッシュさんが代理出産問題に関して、『クリティックス』に書いた最新記事の全訳です。

ジョセフィン・バートッシュ
『クリティックス』2025年9月17日号

 あなたは、進歩的でオープンマインドな人だろうか? 子供をほしがるすべての人が子供を持つようになる未来を信じているか? それなら、英国議会科学技術局(POST)は、代理出産に関する「時代遅れ」の法律を見直す提案について、あなたの意見を聞きたいと考えている。「代理出産の利用」を容易にすることに疑問があるのなら、気にする必要はない。あなたのようなエビデンスはおそらく歓迎されないだろう。

 このメッセージが、POSTの代理出産に関する最新のエビデンス募集を支えている。POSTは自らを「公平な研究と知識の交流サービス」と称し、新たな科学や社会問題に関する「最先端の研究エビデンス」を国会議員に提供している。テクノロジーは確かに学者や議員に難問を提供するが、その根底にある道徳的な問題は、今も昔も変わらない。

 とはいえ、代理出産が政治家の関心を集めているのは理解できる。「ビッグ・ファーティリティー」〔代理出産をテーマにした番組〕は、妊娠を回避したがるセレブから、妊娠の不便さに耐えられない(あるいは時には耐えたくない)普通のカップルまで、広く浸透している。利他的な姉妹から「奇跡の赤ちゃん」を贈られたゲイ・カップルや、新生児を引き取ったメキシコ人女性の美点を褒め称えるほほえましいストレートの「依頼主の親」など、この勇敢な新市場の勝者たちを紹介する心温まる特集が次々と組まれている。しかし、女性を「妊娠キャリア(gestational carriers:日本語で言う「借り腹」のこと)」に貶めたり、母と子の本源的な絆を断ち切ろうとする考えに、やすやすとだまされない運動家もいる。

 運動団体「代理出産を憂える会」の創設者であるヘレン・ギブソンは、「政府は今国会で代理出産法について動くつもりはないと明言しているのに、なぜPOSTは法改正の意見募集に公的資金を費やしているのか理解に苦しむ」と私に語った。

 これは最初の意見募集ではない。2019年、イングランド・ウェールズ法務委員会は、スコットランド法務委員会とともに、約94万4000ポンドもかけて全面的な公的審査(パブリック・レビュー)を行なった。ギブソンはこう説明する。「法務委員会による意見募集に対する回答の半数以上が全面的な禁止を求めており、これは国連の女性と少女に対する暴力に関する特別報告者(リーム・アルサレム)の代理出産に関する最近の報告書にも反映されている。私たちはこれらの点をPOSTに直接伝えたが、面会を求めても無視された」。

 もし英国科学技術局(POST)が会議を開いたとしたら、こんな話が聞けるかもしれない。2024年に『米国内科学会紀要』に掲載された研究によると、代理母による妊娠は、敗血症や妊娠高血圧症候群から危険な産後出血に至るまで、非常に高いリスクを伴うことがわかった。その1年後、76万7000件以上の妊娠を追跡調査したカナダの研究では、代理母が産後に精神疾患にかかる割合も、自分の赤ちゃんを産んだ女性よりも有意に高いことが報告された。これに加えて、出生前プログラミングのエビデンスもある。出生前プログラミングの研究は、赤ちゃんが子宮内で母親の胎内環境にどのように適応するかを示している。それは、生物学的に自分の子を身ごもった女性のために準備されているのであって、病院の駐車場で契約書を手に待っているクライアントのためではない。

 妊婦がチーズを食べたり頭痛薬を飲んだりするのさえ厳しく禁じられていることを考えるなら、〔代理出産で〕女性の健康や赤ちゃんの命を平気で危険にさらそうとするのは不可解としか言いようがない。

 また、金銭的な動機も些細なものではない。商業的代理出産が正式に禁止されている国でさえ、「経費」は認められている。イギリスでは、1回の妊娠につき1万5000ポンド〔約300万円〕から3万5000ポンド〔約700万円〕に達することのはごく普通である。「代理出産を憂える会」が指摘するように、このような金額は必然的に貧しい女性──しかもその半分はしばしば外国人──をよりリスクの高い妊娠に引きずり込む。

 女性と少女に対する暴力に関する国連特別報告者であるリーム・アルサレムが、あらゆる形態の代理出産を廃止するよう求めたことは、驚くにあたらない。多くのヨーロッパ諸国はすでに代理出産を全面的に禁止している。対照的にイギリスは、女性の生殖能力を商品化する権利があるかのように、「改革」と「規制」の間で逡巡している。

 自殺幇助や売買春を合法化する数十年にわたるキャンペーンや、性自認のセルフID化を執拗に推し進める動きと同様、これらのプロジェクトには、残酷なまでに個人主義的で、性差を意図的に無視しているという特徴がある。女性は自分を重荷とみなし、死ぬことに同意しやすいという事実は脇に追いやられ、虐待された少女が売買春に駆り出されるという現実は無関係として扱われ、トランス自認の男性を女性専用スペースに受け入れることで女性にもたらされる危険は、不都合なものとして退けられる。

 「進歩」なるものは女性に優しくあれと求め、自分の身体までも譲り渡せと要求する。それが死を決めることであれ、法的に自分のではない子供を産むことであれだ。このようにして、複雑な社会的・道徳的な諸問題は、個人の決断へと平板化される。単なる消費者の選択とされ、より広範で深刻な諸結果は脇に追いやられる。

 代理出産も同様だ。すべての人が自分自身の生物学的子どもを持つ権利があるかどうかに疑問を呈することは、残酷で後進的であるだけでなく、まるでダサいことであるかのように扱われる。個々人の「主体性(エージェンシー)」を最優先にしないことが、かっこ悪く、それどころかホモフォビックであるかのようにさえ扱われる。進歩の名の下に、女性の身体は原材料として扱われ、その境界(バウンダリー)は邪魔物として扱われる。これは望ましい未来ではない。それは、テクノロジーによってアシストされた封建制だ。

出典:https://thecritic.co.uk/what-parliament-has-to-know-about-surrogacy/

投稿者: appjp

ポルノ・買春問題研究会(APP研)の国際情報サイトの作成と更新を担当しています。

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