ヴィクトリア・スミス「ポルノが支配する社会が意味するもの──新著『ポルノクラシー』に寄せて」

【解説】今回翻訳したのは、ジョー・バートッシュとロバート・ジェッセルの新著『ポルノクラシー』の書評であり、筆者はヴィクトリア・スミスさんです。Jo Bartosch & Robert Jessel, Pornocracy, Polity, 2025.

ヴィクトリア・スミス
『クリティック』2025年10月28日

 フェミニストだと陰謀論者になるのか? それは私が何年も心配してきたことだ。「心配しないで」と私は人々に言う。「『家父長制』が文字通り、超強力な男たちの集まりで、女性をどうねじ伏せるのが最善かを決める会議だと思っているわけではない」と。しかし、最近になって、そうかもしれないと思うことがある。

 たしかに、女性が劣等で搾取されやすい存在であるという表現は、もはや修正が必要な単なる誤解ではないし、UN Womenのようなツイートで何とかなるようなやわなものではないと思っている。ペリコット裁判の共同被告たち〔夫が妻を睡眠薬で眠らせて男たちにレイプさせていた事件の裁判〕、タリバンのエスカレートする女性虐待ヴァージニア・ロバーツ・ジュフリーさんの回顧録〔ジュフリーさんはエプスタイン事件の被害者の一人で、今年4月に自殺〕に登場する有名ないし匿名の男たちのグローバルなネットワークのどれを考えても、家父長制の最悪の行き過ぎには、組織的なものだけでなく、意図的で、共有され、恥知らずなものだ。女性の非人間化は偶然的なものではなく、複数の台本に従った進行中のプロジェクトなのだ。

 たとえば、ジョー・バートッシュとロバート・ジェッセルの優れた新著『ポルノクラシー』で説明されているように、複数の人間が座って、次のような脚本が作られている。

女性が数人の男性と一緒に部屋に立っている。彼女は服をすべて身に着けている。[…]彼女が部屋を出ることができたら、お金を受け取ることができる。ゲームの終わりに彼女がまだ衣服を身に着けていたら、その枚数に対しても現金をもらえる。男たちが彼女に性行為を強要することができたら、1回ごとに男たちは報酬を得、彼女は同額を失う。

 これは性的暴行を正確に再現するために作られた状況であり、「男たちは純粋に女性を襲っており、女性は純粋に抵抗しようとしている」のだが、法的にはそのように分類されていない。しかし、著者が続けて指摘するように(そして彼らの著書が明らかにし続けているように)、「ポルノクラシー〔ポルノ支配〕のもとでは、これは比較的『ありきたりの』シーンとしてカウントされる」のである。

 バートッシュとジェッセルは、陰謀論者という非難(それと並んで、「スティグマを助長する」「モラルパニックを煽る」という同類の罪)を向けられる可能性を恐れるような人たちではない。冒頭から、彼女・彼らは自分たちのテーゼを明確にしている。「みんな気づいていないかもしれないが、私たちはみなポルノクラシーの主体である。そしてポルノクラシーとは、私たちの精神、人間関係、法律がグローバルな性的搾取によって形成されるシステムなのだ」。ポルノを作ったり見たりしていなくても、ポルノが表現する男性、女性、子ども、そしてそれらの間の力関係に影響を受ける。「ポルノによって引き裂かれる」という章で論じられているように、「異性とは何か」ということから、「誰が誰のために存在するのか」ということに至るまで、男女の互いに対する態度は、現代のポルノ的なナラティブに深く影響されている。私が拙著『アンカインド(不親切)』で示唆しているように、グローバルなポルノ産業は、行動マニュアル、保守的なジェンダー本質主義、宗教原理主義が去った後を引き継いでいる。

 多くの点で、リベラルフェミニズムにとって、これは複雑な議論ではないはずだ。リベラルフェミニズムはすでに基本を理解している。誰もが同じ本を読んだり、同じ説教を聞いたり、同じ神々を信じたりしなければならないわけではなく、女性を受動的で、マゾヒスト的で、中身が空っぽで、罰を必要としている存在として位置づける支配的な信念体系に誰もが影響されるわけではない。しかし、バートッシュとジェセルが書いているように、「私たちのポケットの中に、クリックひとつで、男性が主体で女性が客体である領域が広がっている」とき、女性と少女に対する認識はどうなるのだろうか。なぜそのような領域が、他のどの領域よりも有害度が低いとみなされなければならないのか?

 しかし、ポルノを保護するダブルスタンダードには唖然とさせられる。表面的には、#MeToo の台頭や左派が憎悪するヘイトスピーチにこだわっていても、ポルノの影響力を弱めるために何もなされていないのは不可解だ。ヘレン・ルイスが2020年の『むずかしい女性が変えてきた(Difficult Women)』で書いているように、「私がいつも戸惑うのは、さまざまな文化について厳しい批判の目が向けられるのに──『GIRLS/ガールズ』〔2012年にアメリカで放映された人気テレビドラマ〕は人種差別的かとか、『リーグ・オブ・ジェントルメン 奇人同盟!』〔1999年に英国で放映されたブラックコメディ〕はトランスフォビア的かといった声は聞かれるのに──、ポルノには触れられないことだ」〔ヘレン・ルイス『むずかしい女性が変えてきた』みすず書房、2022年、113~114頁〕。バートッシュとジェッセルは、「ゾンビ・フェミニストたちがマイクロアグレッションやトリビア的なことに関して検閲的に大騒ぎし続ける一方で、セックスに金を払う男たちにかつて向けられていた道徳的な憤りはしだいに弱まっている」と指摘する。それ以上に、「フェミニスト」の中には、弁解の余地のないこと〔買春や強姦ポルノの視聴〕を積極的に擁護しようとする人たちさえいる。

 ソフィー・ルイスは近著『エネミー・フェミニズム(Enemy Feminisms)』において、人種差別や抑圧者の味方をする過去と現在のフェミニストたちを問題視している。にもかかわらず、彼女は「KKKやプランテーションを題材にしたポルノ雑誌や映画」を擁護しているのである。

レイプものはレイプと同じではない。たとえ、人がレイプものを楽しんだり、他人が強姦プレイをするのを視聴する理由が、本物のレイプが現在の私たちの欲望に与える影響に由来するものであったとしても、である。すなわち、実際に危害を加えたいというリアルな欲望や、現実のトラウマによる反復強迫に影響するとしてもである。

 ソフィー・ルイスにとって、ポルノは不可思議な領域を占めており、ポルノはレイプを促し助長する文化への反応であり反映にすぎない。どういうわけか、ルイス──「ポルノフォビア」フェミニストを、ポルノ業者自身よりも害悪に加担しているとみなす人物──は、荒唐無稽な想像に耽溺しているとはみなされない。

 ルイスの立場は、ジュディス・バトラーのそれを彷彿とさせる。マーサ・ヌスバウムは1999年にバトラーを論難した際に、権力構造はエロチック化されているというバトラーの(とくにオリジナルではない)観察から、「われわれはみな、自分たちを抑圧する権力構造をエロチック化しており、したがって、権力構造の枠内でのみ性的快楽を見出すことができる」と結論づけている。

バトラーにとって、転覆という行為はとても魅力的でセクシーなものであり、世界が実際に良くなると考えるのは悪い夢なのだ。平等とはなんと退屈なものだろう! 束縛(緊縛)がなければ、快楽もない!

 リアルで退屈な平等は勃起不全を起こすものであり、少なくとも救いがたいほど想像力のない人にとってはそうなのだ。『ポルノクラシー』の第2章にあるように、研究が実際に示しているのは、より過激なものに触れることで性的機能障害が生じ、欲望が誤った方向に向かうことだ。

 ポルノ──たとえそれがいかに虐待的で、ヘイト的であろうと──が神聖な地位を占めているがゆえに、その影響と闘うことは不可能な挑戦に思えてしまう。また、ミソジニーに対抗しようとするその他の試みも、歯が立たないように感じさせてしまう。真面目な話、トラッドワイフ(伝統的な妻)運動が描く女性像──従順で、受動的で、うつろで、隷属的──について怒ることに何の意味があるのだろうか。女性や子どもに対する系統的暴力と、ポルノを「ノーマル化」する言説との間に確立された関連性を指摘しないのなら、なぜわざわざ確率的テロリズム〔ネット上で繰り返される敵対的で差別的な言説が、直接的な指示がなくても、無名の諸個人によるイデオロギー的動機に基づく暴力の統計的リスクを高めること〕に文句を言うのか? しかし、この不調和こそが、『ポルノクラシー』のような本をより重要なものにしているのだ。

 女性と少女の大規模な非人間化と虐待を、ちょっとした混乱にすぎないかのように──それでいて男性のオーガズムは神聖不可侵なままにしておく──振舞っておくと、「過激派」として扱われるリスクは低くなる。バートッシュが正しく認識しているように、「ポルノの中の女性に投げかけられるのと同じ中傷がちりばめられた怒りのメール」を受け取る可能性も低くなる。しかし、なぜミソジニーがこれほど根強く残っているのかを理解したり、それに対抗するための諸手段(同書の巻末にいくつか紹介されている)を手に入れたりする可能性も低くなる。

 バートッシュとジェッセルは、「ポルノクラシーのもとでは、集団的進歩も人権概念も、たったひとつの圧倒的な要求、すなわち『犯される権利』に上書きされてしまう危険性がある」と、独特の露骨さで書いている。これは陰謀論ではない。これは〔男たちがしてきた〕選択なのだ。

出典:https://thecritic.co.uk/the-case-against-porn/

投稿者: appjp

ポルノ・買春問題研究会(APP研)の国際情報サイトの作成と更新を担当しています。

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