【解題】以下の文章は、イギリスの性売買サバイバーであるミッシェル・ケリーさんがイギリスの2019年7月25日付『テレグラフ』紙に寄稿した文章です(原タイトルは長かったので、短いものに変えています)。ケリーさんは、ベストセラーとなった著作『アイズ・ワイド・オープン』の著者で、英国保守党の人権委員会報告書『同意の限界』(北欧モデルを提唱)を支持する意見書を書きました。
ミッシェル・ケリー
『テレグラフ』2019年7月25日
私は性売買のサバイバーだ。売春に入ったのは20代初めの頃で、そこから最終的に離脱したのは30歳になった後だった。
私は物理的に強制されたわけではない。私が入った理由は一見したところ「自由選択」の結果に見えるが、実際には、虐待的な関係と薬物依存によって駆り立てられたものだ。私はまた子ども時代の性的虐待のトラウマにも長期にわたって苦しんでいた。児童虐待のサバイバーが高い割合で売買春に入るのは偶然ではない。私たちサバイバーは、幼少の頃から「同意の限界」について体得しているのだ。
私の元パートナーによって受けた性的搾取は、たとえば、買春者が私に金を払う段になって、その友人をも私が楽しませないかぎり払わないと言ったときと何ら違わない。買春者によって押さえつけられ、私がホテルのスタッフに聞こえるぐらいの大声で叫んで初めて手を離されたことは、私が10代の時に家族の1人からレイプされたときとほとんど変わらない。
実のところ、買春者とセックスしていたすべての瞬間において、私は子どものときの虐待を耐え忍ぶのに使っていたのと同じ心理的戦略を取っていた。セックスをすることにお金が支払われていたというよりも、虐待されていることについて沈黙を守り、嘘をつき、これは「他のどの仕事とも同じ仕事」だという振りをすることにお金が払われていたのだ。このような乖離を維持することは、私の健康と精神に破壊的な影響を及ぼした。ここでも偶然とは言えない一致が見られる。すなわち、売春者のPTSD発症率は退役軍人のそれに近いのだ。
私は、性産業の中でもしばしば「高級」とみなされている分野――より上品で、より危険ではない分野――で「働いていた」にもかかわらず、私は経験を通じてそうした想定が誤りであることをただちに悟った。私は一晩1000ポンドの娼婦だったが、私といっしょに働いていた女性たちの多くは未成年の時に人身売買され、日々恐るべき虐待と搾取をこうむっていた。周りに誰もいないときに、私たちはこうしたことについて語り合ったものだ。
私はこれまで、売買春に従事している女性でそこにとどまりたがっている人に1人も会ったことがない。手渡される一定額のお金は問題の本質をほとんど変えはしない。同意はお金で買うことのできないものだ。
主流派メディアが信じさせようとしている神話とは反対に、私の経験から言えるのは、買春者も売春店オーナーもピンプも、同意をめぐる問題の本質を十分に自覚しているということだ。私は、ピンプとポルノ業者とが、売買春に引き込みやすい「女性のタイプ」について論じあう場にしょっちゅう居合わせた。
これらの男たちのあいだで共通の認識になっていたのは、社会的な保護の仕組みからはずれたばかりの若い女性が最も容易に操作できるというものだ。言うまでもないことだが、手慣れたベテランのグルーマー〔言葉巧みに売春やポルノ産業に女性を誘い込む人々〕たちによって操作された同意は、はっきり言って、およそ同意とは言えない。しかし、私たちがそのことを言い続けなければならず、しかも声を大にしてそうしなければならないという事実そのものが、「セックスワーク」の言説がいかに巧妙かつ狡猾であるかを示している。
「ティーチ・コンセント」〔アメリカの性教育関係のNGO団体〕が思春期の青年向けに出した最近の動画は、「積極的な同意(enthusiastic consent)」とはいかなるものかを示そうとするものだ。それがとくに強調しているのは、その種の同意は、強要、操作、力の行使、お金のやり取りにもとづくものではないということだ。しかし、他方で「セックスワークは労働だ(sex work is work)」という議論をやりつつ、どうしてこのようなことを社会としての私たちが子どもたちに教えることができるというのか?
同じく私は、未成年者のために偽のIDを調達する話をよく耳にした。「主流の」売買春が人身取引と共存し、それと重なり合っていることは公然たる秘密であり、けっして問いただすことを許されなかった秘密である。未成年者が法的に同意を与えることができないのは周知のことだが、世間では、買春者が、買春相手の若い女性にお金を渡す前に、その女性のフォトIDを提示するよう求めている〔から未成年者を買春することはない〕と信じられている(あるいはそう信じるよう期待されている)。〔しかし結局は偽のIDを持っているので、買春者が確認しても意味はなく、売買春が許容されているかぎり、未成年者の人身売買を防ぐことはできない〕
もちろん、売買春は同意という観念そのものを台無しにするものであり、それが厳然たる現実だ。私たちは自分自身を虐待することに「同意」などしない。私たちが同意しうるのはただ、それについて沈黙を守ること、あるいは、楽しんでいる振りをすることに対してだけである。それは、自分に降りかかった恐怖に「フリーズ」することや、虐待の経験を少しでも痛みの少ない形でサバイブするために被害者が取る手段、すなわち、トラウマに対して「親和的な」反応をすることと何ら変わらない。私は日々そういうふうに生きてきた。下手すれば、今もそうやって生きている。
北欧モデルは、買春する行為を犯罪とするが、買春される側の人々をすべて非犯罪化する法政策だ。これは、性売買の権力構造とそれに内在する虐待を認識する唯一のアプローチである。
「買われる」ことに同意させられた側の人々は、いかなる刑事罰にも直面するべきではなく、反対に、そこから離脱し、傷を癒され、回復するためのサポートを受けるべきである。しかし、セックスを買うことやピンプ行為は許容されてはならない。もしそんなことをすれば、同意は買われ、他者に強要し、操作しうるという観念を法律の上で正式に承認することになるだろう。私たちは「同意」を一個の商品にしてしまうだろう。