アナベル「ワクワクする冒険に見えたが、幻想だった」

【解説】以下に紹介するのは、オーストラリアの性売買サバイバーであるアナベルさんの証言です。出典は、Caroline Norma & Melinda Tankard Reist eds, Prostitution Narratives: Stories of Survival in the Sex Trade, Spinifex Press, 2016. 編集者と本人の許可にもとづいて、ここに紹介します。

 私はオーストラリアのメルボルンで、小さい頃から10代にかけてさまざまな性的虐待を受けて育った。私の母親は精神病を患っていたので、とても不安定な家庭で育ち、そのため生活が困難だった。15歳の時、初体験の相手だった青年に振られてから、私は自分のことを大切にすることができなくなった。ある時、パーティで飲みすぎて眠ってしまい、目が覚めると男が私をレイプしていて、それを何人もの男が周りで見ていた。20歳の時、アデレードに友人を訪ねて行った時、知らない男にナイフを突きつけられ、レイプされた。少女時代の性虐待とそれらのレイプの経験は私を性産業へ向かわせた。一度そのような形で暴力を受けると、失われたものはもう取り戻すことができないという感覚になった。それはまるで目に見えない強制的な力に引っ張り込まれるかのようだった。

 18歳の時、研修を終えて会計士として働いた。精神的な不安定さや、性的に奔放な振るまい、気持ちをコントロールするためにドラッグとアルコールを使っていたにもかかわらず、仕事は十分うまくやっていた。27歳の時、仕事に行くために自転車に乗っていたところ、車にはねられて首の骨を折った。6週間も仕事を休み、その間に鎮痛剤と睡眠薬に依存するようになった。仕事に戻った時、パフォーマンスの低下と職場のサポート不足により、働くことが困難になっていた。私はそれ以前からある男とつき合い始めていた。彼は本気でもないのに6ヵ月間も私とつきあった揚げ句、いきなり私を振った。このような拒絶のパターンは、私の人生でその後も繰り返された。私はある日、「どうせならセックスでお金を得た方がいいのではないか」という考えを抱くようになった。

 その2年前から性産業で働き始めていた友人がいた。彼女が私にそのことを告げた時、自分も働くとは思ってなかったが、彼女に多くの質問をしたことを覚えている。結局、私は彼女に電話をして、彼女の売春店で働くことができるか尋ねた。彼女はスカーレット・アライアンスが発行しているいくつかの文献をくれた。当時の私は、スカーレット・アライアンスのことを、セックスワーカーを支援する権利擁護団体と理解していた。つまりセックスワーカーにサポートと種々のサービスを提供し、それによってエンパワーされた人生と売春婦として成功すること可能にしてくれる団体という理解だ。その文献は「漫画」のスタイルで、売春婦の生活をまるでワクワクする冒険のように描き出していた。そこには、ストッキング姿のセクシーな女性が漫画チックに描かれていたし、スカーレット・アライアンスという名前も、その産業をとても魅力あるものに感じさせた。「スカーレット」という単語は私に「セクシーで魅力的」、そして少し「リスキーでワクワクさせる」と思わせるものだった。そして「アライアンス(同盟)」という単語は、自分が何かの一員であり、シスターフッドと道徳的サポートが経験できるかのように感じさせた。

 私は、そこで働く女性とはどのような感じなのか、そこにくる男とはどのような感じなのか、それはどれくらい映画みたいな世界なのか、と考え始めた。私はすでに自分は「利用されて捨てられた」という感情から性産業で働こうと思っていたが、それがいつしか「これから素晴らしい人生が始まる」というような期待に変わっていた。スカーレット・アライアンスの文献は、私に売春婦になるという決断をするのを助けた。私はアライアンスが売春婦を「セックスワーカー」と呼ぶことが好きだった。なぜなら、本当にそれが一個の職業のように聞こえたからだ。「最古の職業」と彼女たちは呼んでおり、そのことも私をワクワクさせた。もっぱらスティグマの存在と理解の欠如のせいで売春婦が人に見下されるのだとされていた。こうして私はこの新しい人生の旅に乗り出したのだ。

 気持ちが決まったと友人に言ったとき、彼女は仕事場に連れて行ってくれた。そこは、メルボルンの都心郊外のコリングウッドにある小さな合法売春店だった。あの漫画冊子に描かれていた通り、魅力的な場所だった。黒と白のチェック柄の床があり、背の高い廊下の鏡があり、そして女性たちがスタッフ・エリアでローブ姿で歩き回っていた。最初、私はとても恐がっていたので、私を指名しようとした最初の客を断ってしまった。しかし、勇気を出して2番目の客に「はい」と言った。手にしたお金を見たとき、私は自分の人生の中でずっと持っていなかった力を感じた。

 私は自分がしていることについて、同時に歪んだ考えを持っていた。私は自分にとって良いことをしているのだと思っていた。身体的・性的に奪われたものを、経済的に取り返しているという思いだった。そして、社会的にも何か良いことをしているのだと思っていた。問題を抱えた孤独な男たちを助け、妻がもはやセックスを望まなくなった既婚男性が、彼女たちを愛し続けることができるよう結婚関係を助けている、といったように。

 ある日、客の1人が「6つ星」売春店であれば、もっと稼ぐことができると言ってきた。それで私はかなり繁盛している2つの「高級」売春店がある南メルボルンに引っ越した。そこでは、会計士として1週間働くよりも多くの金を1日で稼ぐことができた。私はまるで夢の中で生きているかのように感じた。セックスで稼ぎ、のんびりくつろぎ、寝てタバコを吸う。欲しいと思ったものは何でも買うことができた。しかし、その幻想はすぐに打ち砕かれた。

 1人の客がある朝やって来た。彼はアフリカ系アメリカ人で、私の2倍の大きさがあった。私はこの男から本当の憎悪を感じた。私は恐怖を感じたが、それがなぜなのかはわからなかった。彼はアナルセックスとコンドームなしのセックスを求めてきた。私は、アナルセックスはしないし、コンドームなしのセックスは違法であると告げた。彼は腹を立て、あれこれ批判し始め、私を乱暴に扱った。自分の方が上だと思っているのだろうと言って私を責め立てた。彼は、後を向いて四つん這いになれと言ってきた。彼はアナルセックスをしなかったが、とても乱暴に激しく挿入した。まるでアナルセックスにノーと言った私を罰するかのように。私は痛い痛いと言ったが、彼はそれを無視して、最後までやり終えた。「あー、とってもよかったわ」と私が言うのを期待しているように見えたが、私は何も言えなかった。

 彼が去ったとき、私はまるでレイプされたように感じた。受付の女性に何があったかを伝え、家に帰りたいと言った。すると彼女は奇妙なものを見るように私を見つめ、「それがあなたの仕事じゃないの? あと1人だけ客の相手をするまでここにいれない? この後、あなたの予約をもう1人入れてるんだけど」と言った。見ると、次の客は私と同じくらいの年齢の若い白人オーストラリア人だったので、彼は優しいかもしれないと思い、同意した。しかし、彼は私がキスを拒んだので、腹を立てた。やめてと言ったのに、彼は私の顔を舐め続けた。終わってから、彼が約束より80ドル少ない金額を払っていたことに気づいた。私は怖かったが、もし全額支払わないなら受付に報告し、あなたは帰りに捕まえることになると伝えた。彼は私に向かって金を投げつけ、「あばずれ(slut)」と言い捨てて去った。深く傷ついた私は、ぼんやり座ったまま、次のような考えが頭の中をぐるぐる駆けめぐった。「私はお金を取り返してたんじゃない。レイプするのを男たちに許すことでお金を得ていたのだ」。私は自分自身が恥ずかしくなり、家に帰った後、1ヵ月は働かなかった。私は感情的に破壊されていたが、同時に働くことに依存していた。そして、経済的なプレッシャーのせいで私は徐々に仕事に復帰した。

 私はコデイン〔鎮痛、鎮咳の効果がある薬剤〕とモルヒネの錠剤を仕事中に飲み、自分自身を麻痺させていた。私は客といっしょにコカインをやることがあったが、そうすると抑制が解け、より長い時間仕事をすることができた。でもコカインを使用することはあまり好きではなかった。というのも、終わった後に部屋を清掃しなくてはならないのだが、コカインでハイになりすぎていると、清掃作業がうまくできないからだ。私は処方薬のアヘン剤に依存し、同じく睡眠薬とバリウムに依存していた。いつも家に帰ると、アドレナリンと不安からすっかりハイになっていた(たとえドラッグを使用していなくてもだ)。寝るために睡眠薬を飲み、しだいに薬なしでは眠れなくなった。

 私は性産業に18ヵ月しかいなかったが、そのダメージは深刻なものだった。感情的にも、身体的にも、そして精神的にもだ。最も大きかった影響の一つは、孤立と孤独感だった。私がみんなに語っていた自分の人生に関する話は嘘ばかりだった。それはとてもトラウマチックな経験だった。

 この仕事のもう一つの非常に辛い面は、そこにいるどの女たちも自分自身と他の女たちのことを嫌っていて、自分の身体的欠点を絶えず探し出し、不必要な整形手術を繰り返し、たいていはすでに十分美しい外見を執拗に変えようとしていることだった。何人かの女の子はとても若かったので、胸が痛んだ。女性の中には家に幼い子どもがいる人もいたが、客といっしょにコカインを使用し、金のかかる習慣を身につけていた。彼女たちは多くの客とデートを繰り返し、ありとあらゆる状況に陥る。最初は、大金を稼いで高価な服や化粧品を買うことができるという魅力に取りつかれる。多くの女性は10年も働くと、他の仕事ができなくなり、性産業からもう抜け出せないと感じてしまう。私はありがたいことに会計学の学位を持っており、貯金することを心得ていたが、多くの女性は自分の将来のための準備をまったくしていなかった。

 20歳くらいのある若い女性がいた。彼女にはたくさんの客がついていた。彼女がこれを始めたのは14歳くらいの時ではないかと思う。父親が彼女を仕事まで車で送り、仕事が終わると車で迎えにきた。私は彼女のことをひどくかわいそうに感じた。彼女のことが心配で、彼女を支え、知り合いになろうとした。彼女は少しだけ私に心を開いてくれて、これまでのことを話してくれた。両親は競走馬のブリーダー業をやっていたが、父親がビジネスに失敗し、一家は多額の借金を背負う羽目になった。両親は彼女に、このままだと家を失うことになるかもしれない、おまえが売春婦として働いてくれたら、家族は借金から抜け出すことができ、母親、父親、そして幼い妹がホームレスにならなくてもすむんだと言った。

 彼女はこの話をした後、弱みを見せてしまったと感じたのだろう。彼女が二度と私と話をしなくなったことを考えると、彼女はその話を私にしたのが間違いだったと感じたのだと思う。この若い女の子が自分の両親に売春をさせられているという事実は私を苦しめた。彼女の両親は実は彼女を操るために最初から嘘をついていたんじゃないか、単に彼女の稼いだ金で楽に暮らしているだけなのではないかと疑った。今まで本当の仕事やキャリアを得る機会のなかった彼女が、どのようにこの業界から抜け出すことができるのだろうか。彼女は親に洗脳され、性産業からダメージを受け、空いた時間を教育ではなくポールダンスやストリップに費やしていたからだ。その反対側には、この女の子と同じぐらい若い年でこの業界に入っていて、疲れはて、性格がきつくなり、やつれ、実年齢以上にずっと老けて見える女性たちもいた。新しく若い女の子が店に入ってくると、彼女がすべての客と注目とを持っていってしまうため、年齢のいった女性たちは嫉妬し、憎悪し、人生の喜びはない。

 私が直面した別の問題は、売春店オーナーと受付スタッフの態度だった。高級売春店のこのオーナーは家族持ちで、家族を養うために女を売っている女衒ビジネスマンだった。私が他の客と同じように金を払わないんだったら指一本触れないでと言うので、彼らは私のことを嫌っていた。売春婦なんだから、ただで触らせたり、卑猥なことを言われて当然だと彼らは信じていた。私は自分に残された尊厳を守ることが必要だと感じていたので、そういうことに関してはとても厳格だった。受付スタッフは非常に巧妙だった。いつも私たちのことを「かわいこちゃん」と呼び、私たちの気分を良くするために、外見を褒めちぎった。しかし、それでも思うようにならないと、本音が明らかになる。彼らの仕事は私たちの体を男に売ることだ。私たちにたっぷりプレッシャーをかけ、6回目とか8回目の仕事が終わった後でも、「ちょうど、もう1人予約取ったところなんだけど」と言って、さらに客を取らせようとしたり、ダブルシフトをするようにさえ求めてくる。私は最長で14時間も働いたことがある。私はあるとき、売春店の更衣室で疲れて寝てしまって、床の上にタオルを敷いたことで小言を言われたことがある。

 客のためのラウンジはとても豪華で広く、ビリヤード台や快適なソファがあり、ナイトクラブのようにバーやジュークボックスが設置されている。しかし裏にある女の子たちのためのラウンジはとても小さく、たった3メートル四方しかなかった。たいてい10人もの女性がそこに押し込められ、そこらへんの床に座っていた。ある売春店では、ラウンジというものすらなく、トイレといくつかのシャワーのついた「ロッカールーム」があるだけだった。また、ある売春店には、他の州や他の国からやって来た女性たち(主にアジア人女性)が、上の階で一晩60ドルで寝泊りしていた。そのビルからいっさい出ることのない女性たちもいた。彼女たちは人身売買されてきたのだと思う。

 毎日、何につけ嘘ばかりつくのはとても深刻な影響がある。仕事の必要から嘘をつくのがとても上手くなり、そのうち自分がついた嘘が本当であると思い込むまでになる。客に嘘をつき、同僚に嘘をつき、仕事の外では家族、友人、そして「仕事は何をしているの?」と尋ねてくるすべての人に嘘をつく。自分自身に嘘をつき、そのことは魂を破壊する。

 スカーレット・アライアンスやその他の同類の「サポート団体やサービス提供団体」に関して言うと、これらの団体はサポートできることは何でもすると言うが、しかしこの仕事はとても人を孤立させる仕事だ。私の奪われた尊厳は、どんなサービスによっても埋め合わせすることはできない。

 この生活はかなり中毒的なため、自分が抜け出すことができたのは奇跡だと思う。そして、この業界もそこで他の働いている女の子たちも、そして客も完全に異常であることが結局わかって本当によかったと思っている。私はドラッグ中毒と自分の情緒問題に対処するためにリハビリに通った。そして、そこで妊娠していることがわかった。避妊に関してかなり慎重にやっていたので、ショックを受け、動転した。他の女の子を妊娠させて辞めさせるために、悪意を持ってコンドームに穴を開けるという話を聞いたことがある。そうすれば競争相手が減るからだ。私はそこで最も忙しく、最も稼いでいた1人だったので、他のすべての女性が私のことを嫌っていた。そのため、彼女たちが穴を開けたのではないかと思っている。私は間髪入れずに中絶をした。そしてかなりのダメージを受け、打ちのめされた。当時は中絶が解決の方法だと思っていたが、中絶をしたことによる罪悪感と悲しみに苦しんだ。父親が誰かはわからないにもかかわらず、私は中絶したことを後悔したし、その後にカウンセリングが必要だった。

 女性が「選択」によって性産業に入るというのは嘘だ。選択をするには、選択する対象について真実を知っている必要がある。私はすべての被買春女性は囚われの身にあると思っている。それは、人身売買された女性たちのように単に身体的にだけでなく、性産業の嘘によってもだ。この業界は、いったん女性たちを誘い込めば、簡単には抜け出すことができないことを知っている。性産業が私に与えたあの巨大な感情的、身体的、精神的トラウマが自分の身に起きることをどんな女性も自ら選択することはないだろう。

 幸運にも私は抜け出すことができた。私は自分の過去から自由になった。しかし、30代半ばになっても、私は自分の人生に傷を見ることができる。私はそれは癒やすことのできるものだと信じているが、同時にそれが永遠に残るかもしれないという可能性も受け入れている。私は精神科にかかり、PTSDプログラムも終了した。性産業で働くことはこの世の地獄だ。そして、そこから自由になるということは、新鮮な空気を吸うようなものだ。自由になれたことに感謝しているし、自分の人生にも感謝している。私はちょうど息子を生んだばかりだ。彼は、私のこれからの新しい素晴らしい人生のいっさいを象徴している。

※アナベルは現在34歳で(本の出版当時)、オーストラリアのメルボルンで夫および息子といっしょに住んでいる。彼女は自宅で小さな事業をしていて、空いた時間を使って過去の人生について書いている。他の被買春女性たちもアナベルがいま手にしている自由を見つけ出すことができるようにとの希望を抱いて。

投稿者: appjp

ポルノ・買春問題研究会(APP研)の国際情報サイトの作成と更新を担当しています。

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