ロバート・ジェンセン「男性とポルノグラフィ――コントロールの快楽と幻想」

【解題】以下は、長年にわたって環境問題や性差別・人種差別の問題、そして反ポルノ運動・研究に取り組んできたアメリカのロバート・ジェンセン氏による最新論考です。筆者の許可に基づいてここに全訳を掲載します。

ロバート・ジェンセン

『パブリック・スクエア・マガジン』2023年5月

 30年以上にわたって私は、ポルノにおける性差別と人種差別の実態を明らかにするプレゼンテーションを行なってきたが、その中身は、ポルノ産業や文化の変化とともに変化してきた。しかし、一貫していたのは、ディスカッションの時間に必ず次のような質問が発せられることだった。そして、いつも女性からそう尋ねられるのだ――「なぜ男たちはそんなにポルノが好きなんですか?」。

 長年の学術研究と市民運動の経験から、その答えはシンプルなものだと考えている。ポルノを使えば、親密な関係に伴う脆弱性を伴うことなく、手っ取り早く確実にオーガズムを得ることができる。男性は、状況をコントロールしながら性的快感を味わうことができる。より正確には、コントロールしているように見えるだけなのだが。これについては、最後に敷衍する。

 まず、フェミニストによるポルノ批判は、私がこのテーマについて書いたり話したりする際の基礎となるもので、性的にあからさまなものの制作と消費が女性に与える心理的・肉体的な被害、ポルノ市場を支配する性差別的・人種差別的なイメージ、それらのイメージが消費者の性的想像力に与える影響に焦点を当てている。

 私がポルノ産業を研究している間に、いくつかのことが変化した。その一つは技術の明白な変化だ。雑誌や映画から、ホームビデオやインターネットへと主要な媒体が移行していった。ポルノがより身近になり、より手頃な価格で、時には無料で手に入るようになった。この30年間で、ポルノに登場する女性たちは、ますます激しく危険な性行為を求められるようになり、映像の残酷さや卑劣さが増し、かつてはほとんど男性だけのものであったポルノを、より多くの女の子や女性が利用するようになった。

 しかし、依然としてポルノの消費者のほとんどは男性であり、彼らにとって一つのことは変わらない。ポルノは、親密な関係に伴うリスクを伴わずに性的な快感を与えてくれるように見えることだ。

 私たちが他人と性的な関係を持つとき、自分をさらけ出して激しい情熱に身をゆだねるが、その結果は必ずしも予想のつくものでも、容易にコントロールできるものでもない。自己をコントロールするよう求められ、そう育てられている文化の中で、多くの男たちは、性的な親密さは、コントロールの権力感を脅かす可能性があると信じている。ポルノは、リスクを伴わない性体験という幻想を与えてくれる。しかし、それには代償が伴う。

 男はなぜポルノが好きなのかという女性たちの先の疑問の背景にあるのは、しばしば、愛の営みにおいて男性パートナーがどこか遠くにいるような、そこから切り離されているような感じに見えることだ。それはポルノとは無関係の問題である場合もあるが、一般に、男性は性的にあからさまなものを日常的に使用していることで、現実からの遊離を強める。この講演の後、私は多くの女性たちと話をしたが、セックスの際に感情移入するのではなく、遊離してしまう男性たちとの葛藤は、共通のテーマだった。事態をより困難なものにするのが、ポルノの習慣的使用者の中には、女性パートナーが不快に思ったり痛みを感じたりするような性行為、つまりポルノですっかり定番になっている「ラフセックス(乱暴なセックス)」をしたがる男が大勢いることだ。

 フェミニストによるポルノ批判は、性欲に対する何らかの善悪の判断にもとづいているのではなく、ポルノ制作において使用され、ポルノを消費する男性に利用される女性たちに対してポルノが及ぼす否定的な結果にもとづいている。この批判は、ポルノがなくなりさえすれば女性に対する男性の性的搾取がなくなるかのように言うものではない。しかし、ポルノがあふれかえった文化において、私たちの生活におけるその特定のメディア・ジャンルの否定的役割を無視するのは愚かであろう。

 フェミニストのポルノ批判は、女性が被る被害に焦点を当てており、それはフェミニストの運動にとって当然である。しかし、私が一緒に仕事をしてきたフェミニストたちは、ポルノが男に与えるマイナス面についてもちゃんと認識していた。もちろんこう言ったからといって、すべての異性愛男性が同じ経験をしていると言いたいわけでも、ゲイ男性の経験が同じものだと言いたいわけでもない。しかし、正式なインタビューや何百人もの男性との非公式な会話から、ポルノ使用に対する男性の苦悩には一つのパターンがあると私は考えている。

 ここでようやく、先ほど少し触れた、ポルノグラフィにおけるコントロールの外観と幻想という話に戻る。まず、男性が男らしいタフさの基準に従って生きようとしても、自分の感情を隠しとおすことはできないし、少なくとも長期的には無理だ。どんなにコントロールしようと思っても、感情は表に出てきる。多くの男性がポルノを利用することで感じる罪悪感や恥ずかしさの多くは、信仰心や性的にお堅いからではなく、客体化された女性の身体を自分の快楽のために使用すること――これはポルノグラフィの本質だ――が、自分のありたい姿と相容れないとどこかで理解しているからだと思う。私たちは十分に人間らしい存在でありたいのに、ポルノはそれを困難にし、そのことをわれわれはわかっているのだ。

 ここで多くの男性は第2の罠にはまる。ポルノを習慣的に使用することで、逆にポルノが男性をコントロールするようになるのだ。私は、多くの男性が、ポルノが自分の性的想像力をいかに植民地化しているかを自覚することの苦痛について話すのを聞いてきた。「ポルノのシーンを思い浮かべないと、パートナーとセックスができないんです」と語る男性も大勢いる。極端な例では、ポルノを強迫的に使用する男性は、パートナーとのセックスで勃起不全に陥る。しかし、どんなにマイナス面を自覚しても、多くの男性はポルノで自慰することをやめられない。ポルノが正式に依存症に分類されるかどうかは別として――私はそうあるべきだと思うが――、依存症のようなサイクルから抜け出せない男性も少なくない。

 そのような男性に私がアドバイスしたいのは、一人で悩みに対処しようとすると、失敗するということだ。気づきと後悔のサイクルから抜け出す唯一の方法は、コントロールできるという幻想を捨てることだ。カウンセラーがポルノの破壊的なダイナミズムを理解していれば、セラピーも助けになる。他の男性と心を開いて正直に話すことが重要だ。私にとって、ポルノや男性支配に対するフェミニストの批判は、異なる生き方を模索するために不可欠なものだった。セラピストに、他の男性に、フェミニストに、心を開くには、人間であることの一部であるこの脆弱性を受け入れることが必要なのだ。

※ロバート・ジェンセンは、テキサス大学オースティン校ジャーナリズム・メディア学部名誉教授。著書として、『家父長制の終焉――男性のためのラディカル・フェミニズム(The End of Patriarchy: Radical Feminism for Men)』『手放すこと――ポルノグラフィと男らしさの終焉(Getting Off: Pornography and the End of Masculinity)』など。ジェンセンの他の作品は、https://robertwjensen.org/ で読める。

出典:https://robertwjensen.org/articles/lost-in-a-sea-of-pixels-men-pornography-and-the-illusion-of-control/

投稿者: appjp

ポルノ・買春問題研究会(APP研)の国際情報サイトの作成と更新を担当しています。

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