ミア・ドーリング「サバイバーとしての私が知っていること――売買春の非犯罪化はその中の女性を救わない」

【解説】本稿は、アイルランドの売買春サバイバーで、その経験を語った『エニーガール』の著者であるミア・ドーリングさんが最近、『アイリッシュ・インデペンデント』に寄稿した記事の翻訳です。この著作については、本サイトで取り上げたことがあります。アイルランドでは2017年に北欧モデル法が導入されました。買春行為には初犯で500ユーロの罰金、2回目で1000ユーロの罰金が科せられます。
 この記事は、その1週間前に、被買春女性を殺害した男の有罪判決が下されたことを受けてのものです。セックスワーク派は、この事件が北欧モデル法の下で起きたことを利用して、非犯罪化を主張しています。しかし、売買春のサバイバーであるミア・ドーリングさんは、サバイバーとしてその詭弁に反論しています。

ミア・ドーリング

『アイリッシュ・インデペンデント』2025年5月6日

 20代前半の4年間、私は性を売って生きてきた。ある夜、30代の男が私の顔を平手打ちし、髪を引っ張って部屋中を引きずり回し、レイプしようとした。それは残忍で、私は恐怖に震えた。私は声も出せず、媚びるように振る舞い、なんとか逃げ出した。

 もし私がはっきりとした形で反撃していたら、人生で2度目のレイプをされていただろう。それだけは絶対にいやだった。

 その男は普通の客の一人だ。そいつは金を払ったことに値するものを求めた。つまり、自分の思う通りのセックスだ。

 逃げ出した後、私は車の中で体の痛みを感じながら、あいつは私を殺すこともできたのだと気づいた。そして、自分は死にたくないんだということにも気づいた。この瞬間、私はアイルランドの性産業から足を洗うことにし、街を去った。

 その後、ダブリンの慣れ親しんだ道路、ホテル、アパート群から離れて初めて、自分がどれほどトラウマを抱えていたかに気づくゆっくりとしたプロセスを開始することができた。

 それ以前にも何度か暴力を受けたことがあった。いつも「セックス」の一環としてだ。顔をびんたする、お尻をひっぱたく、突き飛ばす、首を絞める。力ずくの性行為、乱暴で暴力的なセックス。社会病質者としか形容できない男たちに何人も出会った。でも、客の圧倒的多数は普通の中年アイルランド人男性で、若い女性と自分の望む特定の方法でセックスをしたいだけだった。

 2008年当時、性を買うことも売ることも違法ではなかったが、売春店の経営、客引き行為、車を転がして売春婦を物色する行為は違法だった。国は性産業に対してどういう立場を取るべきか、決めかねているようだった。

 性産業では、裸の女性が密室の中で、自分より大きく、強く、たいていはずっと年上の男と向き合うことになる。相手によっては、相手の要求を何か拒否すること、常に熱心な姿勢を示さないことでさえ危険を伴う。性暴力がエスカレートしないことを願うだけでは、ダブリン・レイプ緊急避センターが掲げる「自由に与えられた」「相互の」性的同意という定義には当てはまらない。

 ルーマニア出身の4人の子どもを持つ27歳のゲイラ・イブラムは、アイルランドに来て3週間で性産業に入ったが、2023年4月、リムリック市で買春客の男に殺された。アフガニスタン国籍のハビブ・シャー・シャメル(28歳)が彼女を刺し殺したのだ。この男は先週、ベルファースト高等裁判所で殺人を認め、終身刑を言い渡された。

 私たちの国の法律――性を買うことを犯罪とし、売ることを非犯罪化する北欧モデル法――を支持する人々は、これが性産業の暴力性を示す証拠だと正しく指摘している。その一方で、性産業の完全非犯罪化――ピンプ、客、売春店の経営、売春の上りから金を儲けることを合法化するモデル――を支持する人々は、非犯罪化モデルならゲイラの死を防げたかもしれないと言う。

 もちろん、非犯罪化モデルでも彼女の死を防ぐことはできなかった。ピンプや買春客を非犯罪化することは、当然ながらピンプや買春客を増やし、性的人身売買を増加させる。買春客の数は増える――合法なら何の問題もないのだから。そして、性産業を他の仕事と同じとみなせば、女性が性産業から抜け出すための支援サービスやカウンセリングの必要性もなくなる。

 いったいどうやって性を買うことを安全にすることができるのか? それは不可能だ。どんな法律も危険なセックスを安全にはしない。それは、ミソジニーをどうやってミソジニーでなくするかとか、レイプをどうやって暴力的でなくするかを問うようなものだ。

 いつも人々は女性の被害者に焦点を当て、男たちの残虐な行為から目をそらす。アイルランドの場合、その性産業の大多数を占めるのは、脆弱で、移民で、若い、そういう女性たちだ。性を買う男たち――10万人以上いる男たち――は目に見えない。ゲイラ・イブラムが殺された際、議論の両「サイド」は本当の原因ではなく、法律に焦点を当てた。本当の原因、それは男の存在だ。

 売買春は、誰もがその本質を直視したくない最後のものだ。それは単なるレイプ文化ではない。それはレイプそのものだ。法的にはレイプではないかもしれないが、道徳的にはレイプであり、男たちは、自分とのセックスを望まぬ女とセックスしていることを知っている。売買春とすべての性的暴力の根本原因は、私たちがみな知っている「普通の」男たちのミソジニーとエロティックな権力欲だ。この根っこを完全に取り除かないかぎり、病んだ木は成長し続ける。

 私たちはどんな社会を望むのか? 男たちが望む相手と、望む方法で、望むときにセックスする権利を奨励する社会か? それとも、存在する最もミソジニー的で残酷な闇を終わらせるために努力する社会か? 私は後者を望む。そして、北欧モデルだけがその目標に向かって機能する。

 2008年当時の法律は、男が1時間にわたって私を恐怖に陥れ、部屋のカーペットの模様まで今でも思い出せるほどのトラウマを私に与えることを防げなかった。だがそれを私にしたのは男だ。今回の場合も、法律がゲイラを殺したのではない。男が殺したのだ。

 問題は男たちにある。私はすべてのレイピストに責任を取らせたいと思っているが、それと同じく、売買春に関する議論では彼らレイピストの責任が常に看過されていることに私は激怒している。ゲイラに心から哀悼の意を表します。

投稿者: appjp

ポルノ・買春問題研究会(APP研)の国際情報サイトの作成と更新を担当しています。

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