ローシン・イングル「アイルランドで性売買を生き抜いたある女性の回想録」

【解説】以下は、『アイリッシュ・タイムズ』に掲載されたインタビュー記事です。インタビューを受けているのは、先日、『エニーガール』(どこにでもいる一少女の物語)という回想録を出版して、アイルランドでの性売買の経験を生々しく語ったミア・ドーリング(ドイツ語読みだと「デーリンク」)さんです。

ローシン・イングル

『アイリッシュ・タイムズ』2022年2月19日

 作家で心理療法家、活動家でもあるミア・ドーリングは、ダブリンのホテルでのインタビューの際、キツネ、カタツムリ、蝶、星の形をした手づくりビスケットを持ってきてくれた。「カタツムリ型のビスケットが残っててよかった」と言いながら、プラスチックの箱を開けて、野生動物をテーマにしたお菓子を見せてくれた。

 カタツムリのことが気になり、腕には好きな動物であるシロナガスクジラのタトゥーを入れている彼女は、少し緊張しているのか、ちょっとお手洗いにと席を立った。今回のインタビューは、34歳の彼女にとって、回想録『エニーガール(Any Girl)』について語る初の大型インタビューだ。ダブリン出身の彼女は同書の中で自分の過去から暗い記憶を掘りおこし、心に深い傷を負った個人的な経験の殺伐としたカタログを、淡々とした文章でさらけ出している。16歳のときに野原で同年代の顔見知りの男にレイプされたこと、17歳のときにずっと年上の男に搾取されたこと、18歳のときに性的暴行のトラウマから自殺を試みたこと、などだ。そして、24歳までの4年間、彼女はアイルランドで性産業に従事していた。

 本の出版を数週間後に控えたこの時期の緊張感は、十分理解できるものだ。彼女は本の中で、すべてを吐き出すことで「自由」を感じられるのではないかと書いている。彼女は毎日瞑想をしており、ガーデニングもセルフケアのひとつだ。それでも途中で揺らいだことがあると、テーブルに戻ってきた彼女はコーヒーを飲みながら語った。「公園に座って、友人のグレースにメールしたことを覚えています。本の契約書が1週間ほど私のコンピュータの上に置かれていて、サインしていなかったのです。彼女に『なんでまたこんなことをしているんだろう?』とメールすると、彼女は言いました。『真実だからよ。それが真実だから。本当のことだからよ』。そして私は、『そうよね。それが真実だからよね、私は真実を話しているだけなんだよね』と返事しました」。

 しかし真実は時として受け入れがたいものだ。この本は、彼女がお金をもらって男性たちと行なった性的行為や、ダブリン周辺のホテルの部屋やアパートや一軒家で、主に中流階級の男性である「買春客」との悲惨で卑劣な、時には暴力的な体験の数々が生々しく描かれていて、読み通すのが大変だった(私はしばしば中断しなければならなかった)。

 何度もスタートでつまずいたと彼女は言う。この数年間で、彼女は3つのバージョンの本を書いた。2つはノンフィクションで、1つは小説だ。それ以前にも自分の経験を語ろうと試みたことが何度かあった。まだブログが主流だった頃、コールガールとしての生活を匿名で書いたところ、それなりの反響があった。また、TEDxの「沈黙を破り、新しい世界を築く(Break the Silence and Build a New World)」というトークイベントでは、レイプについて語った。本を書くことになったとき、彼女は当初、エミリー・パイン〔アイルランドの作家〕の「生々しく危険な」エッセイ集『Notes to Self』に触発されたが、エッセイもうまくいかないことに気づき、「性的搾取と回復のための回想録」という今回の作品へとたどり着いた。

 その頃、彼女は霊能者に会いに行き、「ウィリアムズ」という人物が本の出版を助けてくれると言われた。友人にその話をすると、たまたま南ダブリンの自宅近くに住んでいた出版業界のジョナサン・ウィリアムズのことを教えてくれた。ドーリングは結局、ジョナサン・ウィリアムズに『エニーガール』の原稿を送った。ウィリアムズはそれを読むとすぐに彼女と契約し、本は出版される運びになった。

 ドーリングはなぜ自分の物語を語ろうとしたのか? 「私は自分のためにこの本を書きました」と彼女は言う。「真実を伝えるためです。トラウマに関しては、事実を語ること、何度も何度も語ることが大切なのです。そして、秘密を抱えることから自分を解放するために書きました。秘密を抱え続けることは本当につらいことだからです。それに、もう自分だけの問題ではないからです。吐き出してしまえば、それは自分を超えたものであり、私を超えた何かなのです」。

 彼女の売春経験は、ある買春客との特に暴力的な経験を最後に終わりを告げた。それについては本の中で詳しく紹介されている。彼女は、「あえて取り上げなかった話はたくさんあります。必要がないと思ったからです。ある方法で真実を語ったとしても、それを語り続ける必要は必ずしもありません。誰もがトラウマになってしまうでしょうし。今、この本を読んでいる人たちの反応を聞いて初めて、ああ、あれは本当にひどい出来事だったんだと気づくことができます。起こったことに対する人々の反応によって、違った見方ができるようになるんです。より客観的な方法でね」。

 16歳のときにレイプされたことは、彼女の人生に大きな影響を与えた。その後間もなく、30代の「J」という男性と関係を持った。彼は、完全なセックスはしなかったものの、さまざまな方法で彼女を貶め、性的に搾取し、会うたびにお金を渡した。

 彼女は、この男性との関係をどのようにして持つに至ったのかについては、本の中では触れずにすませたかったという。彼女は小さな広告で彼を見つけた。それが今でも彼女を悩ませている。レイプされた後、人のセクシュアリティはさまざまな形で影響を受けることを彼女は知った。「レイプされた後、誰ともセックスせず、二度と男性に近づかず、完全に心を閉ざしてしまうこともあります。それも一つの方法です。もう一つの方法は……自分のセクシュアリティの価値が自分にとって低くなってしまうことです。自分のセクシュアリティに価値があると思えなければ、自分が無価値であることを何度も何度も証明しようとしてしまうものなのです」。

 その後、「J」に紹介された60代の男性からお金をもらってセックスをしたのが、エスコート嬢としての人生が始まった瞬間だったという。

 18歳のとき、誰にも打ち明けられなかったレイプのことで苦しみ、自殺を図った。その後、美大生とまったく別の生活を送りながら、秘密裏に続けていた性売買の世界に本格的に足を踏み入れたのだが、そのへんの話はぼんやりとしたものだという。「空虚なんです。ただそういうことがあったというだけ」。彼女の物語は、必ずしもすべてが強要されたわけではないという事実によって、より複雑になっている。

 この本を執筆するにあたり、彼女は自分で自分を虐待に差し出したという事実によって引き起こされた「深い恥の意識」の海をかき分けなければならなかった。「私は進んで参加していた」と彼女は書いている。「それほど自分自身を憎んでいたのだ」。このような記述があるからこそ、『エニーガール』は魅力的な読み物となっている。その正直さと自己認識は、容赦なく、そして強烈だ。目をそらすことができない。

 この10年間で、ドーリングは自分に起こったことをより深く分析するようになった。アイルランドを離れ、父親がドイツ人であることからベルリンに移り住み、健康的で愛情に満ちた関係を築いたことで、自分が受けた搾取との対比ができるようになったのだ。性的トラウマについて学び、心理療法士の資格を取得した彼女は、自分の体験が精神的、感情的、肉体的に与える影響を深く理解している。

 多くの読者は、彼女の性産業での経験を身近に感じることができないかもしれないが、彼女の物語には、より普遍的なものが多く含まれている。11歳のときに店の行列で男性に背中を触られたことや、15歳のときに電車の中で体を触られたことなど、日常的なセクシャルハラスメントの数々を紹介している。また、路上でのキャットコールや望まない誉め言葉などはすべての女性がこの世界を生きていく上で耐えなければならないことだ。彼女は、パーティーでよく起こる「疑似レイプ」――それは彼女の身に起こったことでもある――や、曖昧で通報されないことの多い暴行についても書いている。

 また、彼女の経験には普遍的な側面があるが、セックスワークの正当化に対する彼女の激しい非難に問題を感じる人もいるだろう。本の中で、彼女は歯に衣着せずこう言っている。「アイルランドの性売買を擁護する人々は、日常的に行なわれている女性や少女のレイプを擁護しているのだ」。

 彼女の主張は、お金を払ってセックスをしても、その行為が正当化されたり、合意にもとづくものにはならないということだ。「お金を払って友達になってもらうことはできませんし、『友達を貸す』こともできません。男性の行動、とりわけ性的な行動について、私たちはあきらめの境地にあります。『ああ、男ってそういうものでしょ。お金を払ってセックスするものでしょ』と。でも、売買春におけるセックスはセックスではありません。なぜなら、友情と同じくセックスは金で買えないものだからです。そして、セックスは仕事ではありません」。

 彼女は、セックスワーカーやその擁護者たちが、それは確かに仕事であると強く主張していることを知っているが、彼女はまったく異なる見解を持っている。「あの人たちが自分たちのことをセックスワーカーと呼ぶのは構いません。私は気にしません。私が気にしているのは、性産業の中にいる大多数の女性たちのことです。彼女たちの大多数は、強要されたり、人身売買によってそこにいるか、あるいは絶望や貧困、虐待、依存症からそこにいるのです」。

 本の中で彼女は、売春が「仕事」であるかどうかを議論することに気を取られているかぎり、金儲けのために性売買を運営している男たちの選択に思考が向くことはないと語る。この種の議論が盛り上がっている間、「この男たちは、何も脅威がないとわかっているから、笑って座っていられるのです」。

 セックスワーク論者の中には、買春する男たちについて、彼らは「つながり」を求めている、つまり触れ合いを必要としているのだと言いたがる人がいると彼女は指摘する。孤独な人や高齢者、社会的に孤立した人などだ。しかし、彼女は、4年間に渡って不特定多数の男性に性的サービスを提供してきたが、話をしたり、ハグをしたりするだけの人には一度も出会わなかった。彼女を買った男たちはみな、「40代、50代のミドルクラスの男で、自信に満ち溢れ、特権を持っている人たちです」。

 「またたとえ、買春客の100%が車椅子に乗っていて、常に孤独で、利他的な慈善家だったとしても、彼らには女性の体を使ってオーガズムを感じる権利はありません。誰にもそのような権利はないのです。オーガズムを得ることは権利ではありません。セックスは身体的必要でもなければ、権利でもないのです」。

 本の中でドーリングは、アイルランドでは約800人から1000人の女性がセックスサイトに広告を出し、アイルランド人男性の15人に1人が性的アクセスのためにお金を払っていると推定されていることについて詳しく述べている。ここから彼女は計算して、アイルランドには10万人の「買春客」がいるのに対し、1000人の女性サービス提供者がいることになるという。彼女は次のような疑問を提起する。「なぜこれらの男たちについて話をしないのでしょうか? なぜ彼らも語らないのか? 彼らから話を聞くことはありません。彼らは 『カミングアウト』しません。彼らは買春の権利のために団体をつくったり、キャンペーンを組織することもありません。もし買春が彼らの主張するように合法的で無害な趣味であるならば、なぜそうしないのでしょうか?」。

 彼女はセックスサイトの問題を取り上げる。そこでは、女性たちがセックスを買った男たちによって「レビュー(品評)」されている。これらの吐き気の催すレビューの数々は、「男たちは、女性に金を払ってセックスすることで、彼女たちを何らかの性的好みや思考や感情を持った完全な人間として扱う必要がなく、彼女たちが経験していることを考慮する必要もない」とみなしている証拠だと彼女は言う。この種のレビュー制は「増幅された有毒な男らしさなのに、男たちにとって都合のいいことに、なぜか主流フェミニズムの視野から抜け落ちているのです」。

 本の中で、女性の「パフォーマンス」に対する買春男性のオンラインコメントを紹介している箇所があるが、それらのコメントでは女性を「機械的だ」とか、あるいはもっとひどい言い方で貶めており、ゾッとさせると同時に雄弁だ。明らかにこれらの男たちは、女性の中に人間性を見いださず、性的欲求を満たすためのモノでしかない。ドーリングが最も憤っているのは、このような男たちとその態度である。

 しかし彼女は、セックスワークを他の仕事と同じように扱うべきだと主張する「奇妙で個人主義的」なフェミニズムにも批判的だ。あるいは、性売買は常に私たちの生活の中に存在するものだから、「それを受け入れるべきだ」という主張にも批判的だ。「レイプ、児童性虐待、貧困もまた常に存在するでしょうが、これらの恐怖を社会の一部として受け入れようという声は聞こえてきません」と彼女は言う。

 「売春は『最古の職業』などではありません。そういう言い方は、何らかの事実とはおよそ正反対の、侮蔑的なジョークでしかありません。売買春は、男性の性的欲求を満たすために女性を使用することであり、家父長制とミソジニーの太古からの表現なのです。反ミソジニーと性売買の推進とを同時に行なうことはできません。そんなことはできないのです」。

 しかし、自分が性売買の中にいたときは、彼女も違うように感じていた。「いっとき私は自分が高く評価されたように感じて、それに魅了されたし、それを取り巻く文化によってさらに手なづけられました。つまり、私の価値は男性に性的魅力をアピールすることだというメッセージを常に受け取っていたのです。私は買春者をお客さんと呼び、私の時間に対してお金を請求しました。何の問題もないと思っていました。別にそれでOKよと思っていました。なぜ男性が私にセックスの対価を支払ってはいけない? どうして私がそれを売ってはいけない? 自分の体なんだから。誰にも言わなければ、私がしたいことをして何が悪い? こういうことができるくらいタフな自分を誇りに思うわ。買春客に何をされても、私は耐えてみせる。私はこの特性、つまり使用されたり虐待されたりする人の秘密の特性を誇りに思っていました」。

 ドーリングは、性を売る人たちが自分のキャリア選択について自己防衛的になってしまうのは理解できると言い、当時の自分もそうだっただろうと言う。「私は一度もそのことで何か言われたことはないし、誰も私のやっていることを知りませんでした。でも、もしそのことで誰かに何か言われたら、やっぱりかなり自己防衛的になっただろうと容易に想像できます…。私は自分のしたいことをやってる、何か問題でもある? そうやって心理的に生きのびてきたわけですから。短い時間注目を浴び、男たちが望むものを与えることで、いい気分になろうとしていました。そしてお金を得ることで、自分の価値、自分のセクシュアリティに価値があるという確かな証拠を得られるのです。これはすべて無意識のうちに行なわれています。なぜなら、トラウマは私たちを行動を駆り立て、私たちに起こっていることにさえ気づかせないのですから」。

 最終的に、ドーリングは「そのいっさいを終わらせたい」と望むようになった。彼女は性売買がその本来の名前で呼ばれるべきだと思っている。つまりそれは、「男性が男性のために設立した、とても古く、とてもあからさまな家父長制のシステム」だと。このような家父長制の構造を永続させることはフェミニストのやるべきことではないと彼女は言う。「しかし私は、4年前に導入されたいわゆる北欧モデルが自分たちの生活をより危険なものにしていると語る、セックスワーカーの視点から書かれた多くの記事を読みました」。

 このモデルは、男性がお金を払ってセックスをすることを犯罪とする一方で、それを提供する女性を非犯罪化するものだ。北欧モデルの導入を求めてキャンペーンを行なったドーリングは、今後は性産業に関する法律論議には参加するつもりはないと言います。「私たちの社会で最も弱い立場にある女性を性的に搾取している男たちを犯罪化するのはまったく当然のことです。これほど明白なことをわざわざ擁護しなければならないのは、屈辱的に感じます」。

 しかし、彼女はこうも言う。「アイルランド人男性は、国中でお金と引き換えに女性をレイプしています。その数は10万人以上です。これが性売買の真実です。彼らを犯罪化するのは正しいことです。また、すべての法制度がそうであるように、これは複雑な問題でもあります。その解決策は、性産業に従事する女性の中の少数派に合わせて法律を変えることではなく、すべての女性の利益のために法律をきちんと機能させることです」。

 「女性が男性の性的欲求を満たすために国中で売られているかぎり、そしてそれが社会の一部として黙認されているかぎり、女性が平等になることはありません」と彼女はきっぱりと断言する。「ストリップクラブの存在や、ポルノグラフィの中で起きていることがどれほど吐き気を催すことか、このことが無視されているかぎり、男性の消費者の存在が無視されているかぎり、また、男性に性的に奉仕するために存在すべきだと黙認されている一群の女性たちが存在するかぎり、女性が平等を獲得することはありません。絶対にです」。

 彼女は、自分自身のレイプ事件と、自ら男性の性的欲求を満たす対象になろうとする潜在的で不健全な衝動とのあいだに直接的な関係があると考えている。彼女は、性産業の中にいる多くの女性たちが、彼女と同じように、子供や若い頃に性的虐待を受けていたと指摘する。「ポルノに出演している女性たちも同じです。私は少女や女性のことを気にかけていますし、今私たちが生きている世界のことも気にかけています。私たちは、『男がお金を払えさえすれば女性の体を好きにしてもいい』という世界を望むのか、それとも、そのようなシステムが存在しない世界を望むのか、です」。

 また、彼女が「奇妙な類のフェミニズム」と呼ぶものの一つの現われは、OnlyFans で女性が男性のためにパフォーマンスを行ない、その取引が「セックス・ポジティブ」や「エンパワーメント」とみなされていることだと言う。

 「反ポルノのフェミニズムがどこに行ってしまったのか私にはわかりません。今でも他のところには存在するようですが、アイルランドではそれほどでもありません。ここアイルランドでは、ポルノについては、子供の目に触れないようにすることが重要だと言われています。でも、ポルノはそもそも存在するべきではないのでは? それは本当に恐ろしいものであり、女性が残酷な目に遭うということですから。そのいっさいを終わらせるべきなのでは。そして私たちはそのことに集中するべきなのでは」。

 あなたは使命感を持った女性ですねと私は言った。「ええ、でも本当は自分の物語を話したかっただけなんです。でも、私は性売買を終わらせることに貢献したいと思っています。若い女性を勇気づけたいし、とくにこんなことを我慢する必要はないということを理解してもらいたいと思っています」。

 ドーリングは、レイプサバイバーや性的搾取のサバイバーとして分類されることを望んでいない。彼女の力強い言い方を借りれば、彼女は自分の中に「我慢することを拒否する」部分を見つけたのだ。そうすることで、彼女はこの国のすべての成人男性とティーンの少年に読ませるべき本を書いた。そして、とてもつらく痛ましい物語であるこの『エニーガール』は中学生たち、少女や少年たちに読まれるべきだ。そうすれば、学校を卒業する頃には、アイルランドの教室で学ぶ以上に、セックスや同意、有害な男らしさについて学んでいることだろう。

 この素晴らしい回想録を書き上げたドーリングの次の夢は、小説を書くことだという。「書くことが楽しいんです」。書き終わるまでに、これからもたくさんのインタビューが行なわれ、動物の形をしたビスケットがたくさん焼かれることだろう。ドーリングは、深刻なトラウマから抜け出し、社会が敬遠しがちな暗いテーマについて、正直に、力強く、洞察力をもって語り、書いている。

 この本を書いたことで、彼女はようやく自由になったと感じているのだろうか? 「本が発売され、祝福されたときには」そう感じるかもしれないと彼女は言う…。「でもたとえ自由を感じなくても、今は秘密を抱えていることから解放されています」。

出典:https://www.irishtimes.com/culture/books/irish-men-are-raping-women-for-money-all-across-the-country-1.4797680

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投稿者: appjp

ポルノ・買春問題研究会(APP研)の国際情報サイトの作成と更新を担当しています。

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