「スコットランドに北欧モデル法を導入することが必要だ」──サバイバーの証言

【解説】現在、スコットランドの議会に、アッシュ・リーガン議員による北欧モデル法が提出されています。「買ってはいけない」法案と呼ばれる同法の実現のために、サバイバーであるアマンダ・クィックさんが刑事司法委員会で証言しました。今回翻訳したのは、アマンダさんがこの問題で Nordic Model Now! に書いた記事です。いつもお世話になっている Nordic Model Now! とアマンダさん本人の許可のもとに、以下にその全訳を掲載します。

アマンダ・クイック
Nordic Model Now!, 2025年11月13日

 現在においても、そして歴史的にも、売買春は広範な暴力、搾取、強制、人身売買によって特徴づけられてきた。売買春の擁護者たちは、こうした害悪の多くは、「セックスワーク」そのものよりも、むしろそれの犯罪化やスティグマに起因していると主張する。売買春を実際に経験した者として、私はこのような擁護論が見当違いであることを知っている。売買春は本質的に有害である。

 2025年10月にスコットランド議会の刑事司法委員会で、北欧モデルをスコットランドに導入するというアッシュ・リーガンの通称「買ってはいけない」法案を慎重に検討し、私が証言証拠を提出することに同意したのは、このことを説明したいという強い意志があったからだ。

 この記事では、私が北欧モデルを熱烈に支持する理由や、委員会で証言証拠を提出した際の感想、そして売買春が実際にはどのようなものなのか、当事者女性だけでなく、買春する男性やその妻やパートナー、そして彼女たちの周りで育つ子どもたちにどのような影響を与えるのかについて詳しく説明する。

  私が北欧モデルを支持する理由:その1

 売買春は、買い手(ほとんどは男性)と売り手(ほとんどは女性)の間に力の不均衡を生み出す。男性がお金を払って女性を利用し、性的虐待をする権利を社会が認めると、男女間、富裕層と貧困層、老若間、その他民族や能力などに基づく集団間の既存の権力ヒエラルキーが強化され、固定化される。また、それは女性やその他の疎外された集団に暴力を向けることも常態化する。

 北欧モデルは、社会がこれを認めず、こうした有害で時代遅れの力学を変える決意を明確にしていくことを目指している。

 北欧モデルは、性を売る側を非犯罪化することで、当事者が逮捕を恐れずに警察に援助を求めることができるようにし、当事者の被害を減らすことを目的としている。また、過去に勧誘罪で捕まった犯罪歴が抹消されることで、代替の仕事に就きやすくなる。北欧モデルは、性産業から抜け出したいと切に願いながらも、事実上その中に閉じ込められてしまう女性が多いことを認識し、性産業から抜け出すための実際的な支援を含む質の高いサービスを提供している。

 北欧モデルはまた、性を買う行為、あるいは売り手に危害を加えるような性的倒錯行為の購入を犯罪化する。それは、文化を変え、蔓延している暴力を減らすことを目的としている。

 私は、売買春と女性に対する暴力(そして男性、若者、子どもへの暴力)の増大・拡大とのつながりを深く憂慮している。この加速する傾向と、特に子どもや若者への影響に対する深い憂慮から、私は自分の過去とそれにまつわるトラウマについて語らざるをえない。

  売買春が有害であることを経験しているのは、私だけではない

 私は最終的に売買春から逃れることができたが、経済的な利益を得ることはできなかった。当時、それでテーブルの上の食事をまかない、ドラッグを買ったのは事実だ。そして、自分がしていたことの痛みをまぎらわすためにさらに多くのドラッグを買った。このような悪循環に陥ったのは私一人ではなかった。研究が示すところでは、これはよくあることだ。ある研究によると、売買春の中の女性たちの80.6%が、性を売り始めるとドラッグの使用量が増えたという。

「……客と会うのにドラッグをやるのが日課になり、下降スパイラルに陥る。エスコート売春するためにコカインをやるようなもので、ずっとエスコート売春をしていたら、ずっとコカインをやることになる」──キャシー『インサイド・アウトサイド』より

 スコットランドの団体『CSEアウェア』の報告書によれば、性産業経験のある女性の41%が自殺念慮や自殺未遂を経験し、26%が自傷行為をしたことがあるという。ステルシング(買春客がコンドームをこっそり外す行為)は一般的で、コンドームの着用をまったく拒否する男もいる。同意の問題と安全の問題はけっしてかけ離れた関係ではない。

 売買春の中の女性たちのほとんどは、経済的な絶望からそこにいるのであって、それは自由な選択ではない。この業界は、すでに疎外されている女性たち、貧困層の女性たち、有色の女性たち、先住民の女性たち、そして一部の男性、とくに若い男性に不釣り合いに大きな影響を及ぼしている。

 ドラッグを使用している女性や自殺念慮のある女性に、見知らぬ人とのセックスに同意する能力があるだろうか? 彼女には、閉ざされたドアの向こうで自分の安全を守る能力があるだろうか?

  証言をするにあたって

 現在の子どもたちや若者たちのことを思うと、自分の過去やそれに伴うトラウマについて語らないわけにはいかないと感じる。しかし、そうすることは感情的な代償を伴う。

 エジンバラで、私は刑事司法委員会でスピーチを行なった。子どもたちや若者たちに関する憂慮と、現在私たちの社会で支配的と思われる利己主義の風潮に対抗する決意から、このような証言をすることにしたのだ。暗い闇、不道徳、秘密、嘘にもはや加担しなくてすむのを願ってのことだ。私は多くの女性たちに対する傍観者でありたくない。性を売る女性たち、あるいは、自分の彼氏や夫が他の女性(彼女がそこにいるのは他に選択肢がないからだ)の中でオーガズムを感じているあいだ家に座っている女性たちだ。

 性売買を 「街頭における最古の職業 」として維持することが最善の利益である人々が見せる、神秘的で階級的で美化された見せかけの裏側で実際に何が起きているのか、その真実を伝えるために、自分自身の経験を語る以外に何ができるだろう?

 委員会に行くまでは、何を聞かれるのか見当もつかなかった。出された質問の一つは、買春男性を犯罪者にすることが害悪をもたらし、むしろ暴力を増大させるのではないか、というものだった。数分間で、失敗することなく簡潔に答えることは不可能だと感じた。その瞬間の緊張の中、私は自分が悲しみ、混乱、恐怖を感じていることに気づいた。私は子どもたちや女性のために最善を尽くしたい。しかし、買う男性や売る女性のためにも正しいことをしたい。それが私の一部であり、売買春は良い考えではないという理解を持って話している。

 北欧モデルといえども売買春の中の女性の安全を守れない、なぜならいかなるものも売買春を安全にすることができないからだと言ったとき、私は重要な緊張関係を明らかにした。売買春そのものは、多くの人々が「逃避」する必要のあるものであり、セックスワークを合法的な仕事とする考え方とは矛盾する。

  売春店で職場体験?

 16歳が売春店で 「職業体験 」をするというアイデアについて私は議論した。そこでどんなことをするのか? 自分に要求される行為、されるのを我慢する行為、同意、ステルシングに気をつける方法、あなたが拒否したもの〔生でのセックス〕を欲しがり 「運試し」をやり続ける「客」をどうあしらうべきか、などについて話すのか。アナルもありうる。

 もしかしたら、仮定の職業体験の若者の年齢を18歳に引き上げることもできるかもしれない。しかしいずれにせよ、「セックスワーク」を普通の仕事と考えるなら、誰かが若者とセックスを買うことの倫理的ジレンマについて話し合うべきだ。

 16歳や18歳の若い女性が、1日に見知らぬ男とセックスするなら、1人がいいだろうか、それとも6人がいいだろうか? 報酬の少なくとも30%を受け取る「マネージャー」のピンプ(男であれ女であれ)は必要だろうか? コンドームを使っても防げないヘルペスの感染について、誰か教えてくれるのだろうか?

 16、18歳の若い男たちにどうやって性を買いに行かせるのか? 独身ならOKとか、パートナーの同意を得るとか言うのか? それとも、ボーイフレンドやガールフレンドには秘密にしておくべきだと説明するのか? 性を買うことは、結婚前や恋愛の話し合いの一部なのだろうか?

 私が気がふれているように聞こえるかもしれない。何か的外れなことを言っているように聞こえるかもしれない。もし私がおかしくなっているように聞こえるなら、それはそうだからだ。「セックスワーク」を日常的な仕事として正常化することはまさに狂気の沙汰だからだ。

 「セックスワーク」が合法的な労働であり、権利に値するという主張と、人々を危険な状況に閉じ込める「安全」政策を同時に主張することはできない。これらの前提は互いに矛盾している。それは矛盾語法〔「四角い丸」のようなもの〕なのだ。

  私が北欧モデルを支持する理由:その2

 調査によると、買春者は一般的に女性に対して敵対的な態度をとる傾向がある。私の経験もそれを裏づけている。また、性を買うことがノーマルなものになると、女性に対する暴力もノーマルなものになる。現在の性産業の文化的ノーマル化は、男性たちがますます健全な人間関係を築いたり維持したりすることに希望を持てなくなるという事態を招いている。

 疎外された女性や若年者への性的アクセス権を購入することを普通の商取引として扱うなら、女は手に入れることのできる商品であり、同意は買えるものであり、男の性的権利資格はあらゆるものに優先するという誤ったメッセージを発信することになる。私たちはこれに対する解毒剤──つまり文化の根本的転換──を切実に必要としており、これが買春を犯罪化する目的である。

 飲酒運転や殺人を禁止する法律と同様に、北欧モデルは、相対的により不利な状況に置かれた他者を利用し虐待するために金を払うという社会的に有害な行動を、法的にも道徳的にも容認できないものにすることを目指している。「男の子はやっぱり男の子」という神話が有害であり、容認できないことを人々に理解させるための一歩である。

 飲酒運転を取り締まる法律もこれと同じような働きをする。法的な結果を負わせるだけでなく、その行為をそもそも社会的にタブー視させることで、個人の選択から公共の害へと話をシフトさせるのだ。適切な枠づけを行ない、時間をかけて明確な道徳的コンセンサスを形成する。法律そのものがそのための教育ツールとして機能する。性を買うことを犯罪化することに関しても同じことが当てはまる。その論理からして、性を買うことが合法であれば、社会的にそれは容認されることになるし、刑事罰を科すことは、それが許されないことを社会的に宣言することになるのだ。

  長期的に続く被害

「あなたは常に戦うか逃げるかの状態にある。……この性産業では多くの人が殺されており、あなたはそれを知っているが、あなたはお金のためにそのリスクを取る。しかし、誰かがあなたの部屋のドアを通って入ってくるとき、彼らはあなたを殺そうとしている人である可能性があることを常に心の奥底で知っている。」──トラウマに配慮した支援に関するCSEアウェアの報告書からの引用。

 複数の研究によれば、性を売る女性は、退役軍人に匹敵する高い割合で心的外傷後ストレス障害(PTSD)と暴力被害を経験している。ほとんどの女性は、経済的困窮、幼少期の性的トラウマ、および/または強要によって売春に手を染める。貧困や虐待の状況下での選択は、本当の意味での選択ではない。売春を純粋に選択できるのはごく一部であり、ほとんど選択の余地がなく、売買春によって被害を受ける人々の方がはるかに多いことを理解する必要がある。被害を受けている人々は通常、沈黙している。

 スコットランドで見たように、政策論争はしばしばこれらのグループを混同する。私は、売買春は有害であり、ほとんどの人が逃れたいと思っているものだという議論を強化したい。

 私は、自分の生きた経験に加えて、研究結果が示していることを述べることが重要だと思った。そのエビデンスが示しているところでは、PTSDの発症率が非常に高いだけでなく、解離、抑うつ、不安などの心理的被害は明白だ。また、線維筋痛症、ME、婦人科疾患、その他多くの免疫抑制性疾患など、身体的な不調もある。

 暴力は時おり起こるのではなく、「職業的 」危険なのだ。保証付きだ。それは系統的なものであり、私は個々の「性」行為よりもはるかに陰鬱なものを指摘しているのだ。

  社会的被害

 女性(ほとんどがそうだ)への性的アクセスを商品化することは、女性の身体、同意、人間性に関するより広範な社会的態度を形成する。被害は売買春の中の個々の女性たちに起こるだけでなく、性的アクセスの購入をノーマルなものにすることが、女性の身体は買えるのか、買うべきなのか、男性にはどんな権利があるのか、同意は商品化できるのか、人格と財産との境界線はどうなっているのか、といった私たちの集団的理解をも歪める。これは、ジェンダーによる不平等と暴力の上に築かれたシステムを強化するのだ。

 個々の取引を構造的な背景から切り離すことはできない。「セックスワーク」は他の仕事と同じだというリベラルな考え方には致命的な欠陥がある。売買春は、身体への親密なアクセスを伴い、女性に対する男性の暴力と特権のより広範なパターンの中で営まれるため、通常の仕事とは決定的に異なる。

 北欧モデルは、単に買春男性を犯罪化するものではない。すべての女性の平等な人間性を根本から損なう行為を正統化することを拒否するものだ。この観点からすれば、北欧モデルは男性の権利意識に対するより広範な挑戦の一部なのである。

  結論

 私は、相互に関連するいくつかの被害を明確にした。男性がオーガズムと性的満足を購入するという複合的な侵害。男性の性的満足が女性の安全と尊厳の権利に優先することをノーマルなものにすることは、パートナー関係における貞節、信頼、平等を損なうこと。女性、同意、ジェンダーについてこのような価値観を教える文化の中で育つことは、子どもたちに大きなダメージを与えること。

 売買春を性的自由と枠づけするとき、本当は男性が女性の身体にアクセスする自由について語っているのだ。しかし、実際には、売買春の中にいる女性たちは、経済的に強制され、子どもの頃に性的虐待を受け、感情を調整したり麻痺させるためにドラッグを使用している可能性が高いため、一般的に自由がない。

 「欲望のパフォーマンス」〔売り手側の女性が、セックスが好きでこの仕事をしているかのように見せかけていること〕は自由ではなく、生きていくためのものである。真の性的自由とは、真の欲求、真の同意、真の相互性を意味する。

 売買春は絶望の上に成り立つ商取引である。買春は、人間関係の不実さや不安定さと相関関係がある。それは、女性は商品であるという見方を助長するし、人間関係に対する子どもたちの理解にも影響を与える。買春者のパートナーは、夫の裏切りによるトラウマをこうむり、人間性を否定されたと感じている。人間関係が破綻し、今日の文化ではそれを始めることさえできないでいる。

 このように見てくると、北欧モデルは自由を制限しているのではない。むしろ、搾取を自由と呼ぶことを拒否しているのだ。真の親密な相互性、平等、尊厳の条件を守っているのだ。それは、男の権利意識、売買春、ポルノグラフィ、少年少女がセクシュアリティについて学ぶやり方など、より広範な諸要因に対処するものだ。

 私が声を上げるのは、他の人たちにも声を上げてほしいからだ。もしそうしなければ、子どもや若者が耐えがたい状況と共存するのを許してしまうことになる。あなたの娘が自分の体を売るのはいい考えだと感じたり、あなたの息子がオーガズムを感じるために他人の体を買うのはいい考えだと決めたりする前に、不快だが必要な会話をする責任が誰にもあるのだ。

出典:https://nordicmodelnow.org/2025/11/13/the-nordic-model-as-progressive-and-holistic-solution-to-intractable-social-problems/

投稿者: appjp

ポルノ・買春問題研究会(APP研)の国際情報サイトの作成と更新を担当しています。

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