レベッカ・モット「性産業が押しつける沈黙に抗して語ること」

【解説】以下に紹介するのは、イギリスの性売買サバイバーで現在はアボリショニスト(売買春廃止論者)としてNordic Model Now! で活動しているレベッカ・モットさんの2020年9月のブログ記事です。レベッカ・モットさんの許可のもとに、ここに翻訳紹介します。

レベッカ・モット

2020年9月22日

 私は最近書いていない。私の心は空っぽで、死に近づきつつある。

 売買春を直視することは、私の魂をゆっくりと凍りつかせることだ。しかし、私はそれでも手を伸ばし、沈黙から魂を引き出すことにしよう。

 私はまさにこの沈黙について書きたい。私の記憶と真実を沈黙させるものについて、被買春女性に起こるすべてのことを、語られないもの、書かれないものにしようとする――したがって、誰にも何も起こっていないかのように見せかけようとする――性産業によって押しつけられる沈黙についてだ。

 売買春から抜け出した女性として、この沈黙について語ることは恐ろしいことだが、性産業とその消費者たちを俎上に載せることは必要不可欠だ。

 本当に私たちが真の変化をつくり出し、被買春女性のための正義を欲するのなら、曇りのない目で性産業と買春者とを見ること、売買春とは何であるかを知ることが必要だ。

 アボリショニストとその支持者たちは、その実態について曖昧な言葉で語ることがあまりにも多い。あまりにも深刻な現実で人々を怖がらせてはいけないかのように。

 これでは、被買春女性の身体と精神に何がなされているのかを語らず、権力の不均衡を覆い隠し、被買春女性に対する男の暴力のひどさを見えなくするという、性売買ロビーの思惑に乗ってしまうことになる。

 また、性産業から抜け出した女性たちのさまざまな声も、アボリショニストの運動では十分に取り上げられていない。性産業から脱出した女性たちは専門家であり、彼女たちの言葉と真実は、性産業を根底から破壊するための破城槌である。

 性産業をありのままに見ることは、あらゆるところに存在する彼らのプロパガンダ――あらゆる形態のメディアや娯楽、教育、政治、文化のすべての面で――を困難にする。買春されるとはどういうことを語ることは、こうしたプロパガンダに挑戦することだ。

 私たちは、買春されるということは、安全性を奪われ、完全な人間であるという感覚を失うことであることを理解しなければならない。安全な売春などというものは存在しない。権力の不均衡が現に存在するとき、売春が安全であるとはどういうことか。被買春女性が殺されたり消えたりするのが当たり前であるとき、安全とは何を意味するのか。

 被買春女性が殺されたり消えたりする割合は、同様の年齢とバックグラウンドを持った他の女性たちの12倍も高い。被買春女性が殺されたり消えたりしている割合が、40倍以上高い場合さえある。

 ショッキングでありまた許しがたいことは、この男性の暴力の規模が記録に残らないことだ。これは偶然ではない。これは性産業で金儲けしている連中とその多くの強力な支持者によって意図的に作られた状況なのだ。

 性産業は、被買春者の破壊を目に見えないようにする方法を何世紀もかけて学んできたが、それは歴史上最も古いジェノサイドかもしれない。現在それは、売春の閉ざされたドアの中で起こることが選択されたもので仕事であるという幻想のもとに隠されている。

 そのせいで、何か行き過ぎたことが起きても、例えば買春客が売春婦を殺したり、被買春女性が自殺したり、集団レイプが起こったり、明らかに未成年の被買春少女がいたりしても、それはけっして性産業のせいではなく、単に被買春女性たちの選択が誤っていたり、無知だったりするだけだとされるのだ。

 性産業は実に巧妙だ。そう、性産業は右手で女性や少女を性的な消耗品としてパッケージし、左手で彼女らをエンパワーされ解放されたセックスワーカーだとみなす。このトリックに引っかかってはいけない。男性の暴力が性産業のあらゆる部分に染みついていることを見抜いてほしい。

 今こそ、それが何であるかをはっきりと見てほしい。

 買春客は、相手との人間的関係性や本物の性的接触を求めてお金を払っているのではない。そうではなく、買春客からすれば、売春婦を買った時点で、彼女はもはや人間であることを許されていないのであり、買春客にとって彼女たちはマスターベ-ションするための穴にすぎない。つまり、売春婦になるということは、生きたポルノ人形になるということだ。

 これは、買春客が売春婦にアナルレイプ、水責め、内面の破壊など、あらゆる形態での精神的、肉体的、性的暴力を行なうことを意味している。買春されることは、根本的な人間性から安全と人間の尊厳とが締め出されていることである。買春されるということは、人間であることが何であるかを失うことであり、単に他人が望むモノ、必要とするモノになることだ。

 だから、真の変化を生み出すためには、売春は仕事であると言うのをやめなければならないし、売春は十分無視しうるほど安全なものだと言うのをやめなければならない。

 売買春をありのままの姿で見るためには、そこから抜け出した女たちの話を聞く必要がある。そしてそれは良い出発点だろう。

出典:https://rebeccamottexitedwomansexploration.wordpress.com/2020/09/22/hard-to-write-coz-hard-to-know/

投稿者: appjp

ポルノ・買春問題研究会(APP研)の国際情報サイトの作成と更新を担当しています。

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