【解説】以下は、先ごろ出版されたメリンダ・タンカード・リースト編『「彼は私よりポルノを選んだ」――ポルノを使う男に傷つけられる女たち』(スピニフェックス・プレス、2022年)’(Melinda Tankard Reist ed., “He Chose Porn Over Me”: Women Harmed by Men Who Use Porn, Spinifex Press, 2022)の書評です。
キャロライン・ノーマ
「みんなは一人のため、一人はみんなのため」は、売買春にアプローチするにあたってのフェミニズムの指針にはなっていないようだ。アンドレア・ドウォーキンとマーガレット・ボールドウィンはかつて、私たちのうち一人でも売春婦であるかぎり、すべての女が売春婦として扱われると述べたが、この金言は、第二波と第三波どちらのフェミニストの思考にもあまり影響を及ぼしてはいない。それどころか、リベラル・フェミニストたちは、(下層階級で性的虐待を受けている)女性に対しては「セックスワーク」を推進する一方で、性売買されていない女性に対しては、レイプや「リベンジポルノ」、職場でのセクシュアルハラスメントに反対するというダブルスタンダードを取る場合がほとんどである。この種のフェミニストにとって売買春は、レイプや「リベンジポルノ」、セクハラを悪化させるものではなくて、逆にそれらを――少なくとも貧しい女性や虐待を受けた女性にとっては――「セックスワーク」、ポルノスターになる手段やストリップという仕事に変えるのである。性的搾取がこれらの女性たちにエンパワーメントをもたらすと考えられているのだ。
その結果、オーストラリアのような売買春合法国では、売買春をしている女性とそうでない女性に対して、事実上2つの異なった法規範が運用されている。性産業に従事していない女性には、グルーミングから威圧的支配〔精神的DVの一種で暴力以外の方法で相手をコントロールすること〕、キャットコール〔道を歩く若い女性に男がセクハラ的なヤジを飛ばしたりナンパしたりする行為〕に至るまで、あらゆることを禁じる法律――あまり執行されることはないとはいえ――が数多く存在する。その一方、性産業に従事する女性に対しては、お金さえ払えば、ありとあらゆる性的行為、侮蔑的な言葉、撮影や痴漢行為が許されているのだ。それらが、犯罪者やヤク中、祖父ぐらいの年齢の見知らぬ他人によるものであってもだ。
不思議なことに、フェミニストたちは、一部の女性たちの人権環境が悪化すれば、すべての女性の市民としての地位が脅かされるとは考えていない。この環境が女の最低基準となり、すべての女性がそこに引きずり降ろされるとは想像もつかないのだ。おそらく彼女らは、売買春やポルノの中にいる女性たちの状況が、たとえば、結婚している家庭の女性たちの人権基準をも設定することになるとは、リアルに想定することはないのだろう。
ところが実際にそれは起こっているのであり、そのことが、メリンダ・タンカード・リーストが編集し、2022年にスプニフェックス・プレスから出版された『「彼は私よりポルノを選んだ」――ポルノを使う男に傷つけられる女たち』における25人の証言のうちにはっきりと示されている。証言の多くはオーストラリア人の妻によって書かれたもので、ポルノを日常的に消費する男と暮らす家庭の恐ろしさが詳細に記されている。これらの夫や父親は、ほぼ全員が仕事を持ち、友人や家族とつながり、地域活動にも参加しているが、家庭では性犯罪者や暴力的虐待者と見分けがつかないような行動をとっている。これらの女性たちの証言から、夫や父親がポルノを視聴し、そこから学び、彼らの行動がそれによって拍車をかけられていることは明らかだ。彼らは、オンライン・ポルノの中で女性たちがこうむっている残虐行為を、家庭内の妻たちに押しつけている。
ショッキングなことに、これらの証言は、売買春の外部にいる女性たちが、性産業に従事する女性たちには当たり前とされている扱いを受けるようになったことを示している。そして、大いに注目すべきなのは、何人かの証言者は、夫が自慰行為のネタにしている動画の中の女性たちに、悲しみと共感を表わしていることだ。このような連帯感は的外れではない。さらに、さまざまな証言が示しているのは、妻が助けを求めようとしても、拒否されて嘲笑されることである。つまり、本書が示しているのは、性産業における女性の非人間的な扱いだけでなく、その社会的な死をも妻が共有するようになっていることだ。そもそも、一部の女性たちの社会的地位が貶められ、その権利がないがしろにされているからこそ、そうした女性集団を使ってポルノが制作されているのであり、そのような状況がしだいに広がっていき、普通の妻や母親をも包含するようになっているのである。
2人のポルノ使用者との結婚に耐えた、3人の子どもを持つ47歳の寄稿者は、「(ポルノ)問題について社会が声を上げていないことにぞっとする」と述べ、家族も友人たちも、自分の反ポルノ的な意見を理解できないことが理解できなかったと振り返っている。
「多くの人が私に言うんです。問題はあなたにある、嫉妬深くて、不安定で、支配的なのがダメなんだと。私に同情してくれる人は一人もいませんでした。多くの人にとってポルノは受け入れられるものだったのです。義理の母でさえ、「男の子は男の子でしょう」と言うのです。」
また、ポルノ中毒の夫に家を出るように言ったある寄稿者の場合、翌日、夫の母親が訪ねてきて、「大げさだ」「自分の夫もポルノ使用者だが、何の問題もない」と言われた。男性の反社会的な性行動をこのように取り繕うことは、性産業の中の女性たちにとっては日常茶飯事であり(孤独な男や障害のある男には性的な親密さが必要だ!)、それと同じやり方が妻にも適用されており、同じように被害者を孤立させ疎外する効果があるようだ。
これらの女性たちが家庭内のポルノ問題を解決するために家庭外に助けを求めても、商業的な形態の支援も役に立たないことがわかる。インターネット上で支援を求める女性たちが見つけるのは、性産業のプロパガンダぐらいなものだ。ある寄稿者は言う。
「夫が私に求めたことは受け入れがたいことで、危険なものでさえありうると断言してくれるような情報をネットで探しました。何を見つけたと思います? 初心者のためのアナルセックスのやり方でした。」
別の寄稿者は、ボーイフレンドのお気に入りサイトを偶然見つけたのだが、それらはどれも「女性を性的に虐待するような」動画ばかりで、「そうしたものにどうやら何の規制もないようなのが理解できなかった」と言う。女性たちがネットを使った自助努力を超えてセラピストを探しても、結局、お金を払って、これらの専門家たちから夫のポルノ習慣を擁護する話を聞かされる羽目になる。ある女性はライフコーチ〔人生相談専門のカウンセラーもどきの人〕から、「ポルノの中の女性に嫉妬する」のは「自尊心と自己受容が欠如しているからだ」と言われ、別の女性は、カウンセラーと夫が「タッグを組んで」自分を責めているように感じたという。さらに別の女性は、藁をもつかむ思いで法律相談窓口に電話をかけたが、「ポルノを見るのは、児童ポルノでないかぎり、ごく普通のことだ」と言われた。
教会のように、被害女性自身がそこに属していて、普通なら支援を期待できるはずの機関も、女性の訴えを無視する対応をとる。ある女性は、虐待する夫のことを教会の牧師に相談すると、「セッションで私のことが取り上げられ、いかに私が問題であるかが語られた」と振り返っている。その後、この夫と別れると、元夫から「SNSを通じてストーカー、嫌がらせ、虐待を受けた」。しかし、教会の指導者から「私が夫に合わせようとせず、彼の求めるものを与えなかったせいだ」と言われた。仲間である教区メンバーでさえよそよそしくなり、ようやく彼女が「勇気を振り絞って教会に行く」と、「誰一人として」彼女と目を合わせる者はいなかった。「まるで自分が透明人間になったかのようで、厄介者扱いされていると思いました。子供たちが両親の離婚にどう対処しているかを心配するメールさえ来ませんでした」。また、別の投稿者は、暴力ポルノ中毒の夫を持つ敬虔な信者だが、次のように述べている。「『夫婦支援』業界からのアドバイスは、夫に裏切られたパートナーにすべての責任を負わせ、ポルノ使用者である夫にはほとんど何も責任を負わせないものでした。これらの夫たちがいかにもろいか、そして彼らが必要とするサポートは何かという話ばかりでした」。
想像しうる最悪の人権侵害を受けている女性や少女を娯楽として提供するポルノグラフィは、今や世界中の家庭に大量に入り込んでいる。それにもかかわらず、リベラル・フェミニストたちは、個々に性的資本から利益を得る「セックスワーカー」を擁護し続けている。このような擁護論によって、世界の性産業の中にいる貧しく、虐待され、絶望を感じている女性たちがエンパワーされることはあまりないが、彼女たちの置かれた劣悪な地位を覆い隠すことには役立つ。この煙幕のもとで、男たちは、無防備で不安定な被害者たちとの無法なセックスを楽しむことができるのだ。彼女たちは長い間、社会的に無視され、見捨てられてきたが、今や他の女性たちも彼女たちの卑しめられた地位にまで引きずり落とされている。男性と家庭を持っている女性たちは、家庭内ポルノ問題が、フェミニストや欧米諸国の政府、リベラルな社会正義活動家によって無視されたまま、自分たちの人権が侵害されている事態を目にしている。メリンダ・タンカード・リーストの『「彼は私よりポルノを選んだ」――ポルノを使う男たちに傷つけられる女たち』は、こうした状況に対する初めての本格的な異議申し立てであり、今後、サバイバー、妻と母親、フェミニストを含む幅広いポルノ反対運動は、その起源をこの出版に求めることになるだろう。