【解説】以下は、イギリス共産党系のメディアである『モーニング・スター』に掲載された、イギリスのラディフェミ団体FiLiAのメンバーによる最新記事です。代理出産問題は、このAPP国際情報サイトでも何度か取り上げていますが(「ジュヌビエーブ・グラック「ウクライナの代理出産クリニックがブラックフライデーに向けて赤ちゃんの広告を掲載」「ウクライナの代理母制度の禁止を求める国際署名、200団体の署名を添えて提出」)、今後とも、折りに触れて取り上げる予定です。
マラ・リコイ・オラリアガ
『モーニング・スター』 2023年11月24日
2023年11月13日、私は代理母制度廃止国際連合(International Coalition for the Abolition of Surrogate Motherhood)の呼びかけで、国際私法に関するハーグ会議の新たなアプローチに反対するために、フェミニスト活動家らとともにハーグに向かった。
このハーグ会議は、国境を越えた代理出産契約を実効性のあるものにするため、将来の国際代理出産法の骨格のようなものを作ろうとするものだ。しかし、この法律の更新を担当するチームは、廃止ではなく単なる規制や管理に熱心なようで、「代理出産」と「生殖搾取を目的とする人身売買された代理出産」とを区別している。しかし、この区別はナンセンスだ。なぜならすべての代理出産は搾取的なものだからだ。
私は行ってよかったと思う。私は FiLiAを代表して参加した。FiLiAは私が代表を務める慈善団体で、女性の「生殖と性に関わる諸権利」のために活動している。私は、あらゆる国と地域で代理出産を廃止することが急務であると強く感じている。
代理出産とは、赤ん坊との直接的な遺伝的つながりの有無にかかわらず女性が他人のために赤ん坊を妊娠・出産することであり、家父長制の誕生以来、女性に期待される「優しさ」「心の広さ」「自己犠牲」といった考え方を通じて、私たちの社会的物語に深く浸透しているものだ。このミソジニー的な視点は、カトリックの伝統における聖母マリアのような明白な例にまで遡ることができる。聖母マリアは、家父長制的な神とその息子〔キリスト〕の秩序における単なる追加的な器であった。
しかし現在、もっとモダンな事例が見られる。「器としての母親」という女性の概念は、今ではごく普通のメインストリームのテレビ番組として偽装されている。例えば、アメリカの大ヒットドラマ『フレンズ』に登場するフィービーは、弟の赤ん坊(三つ子)の代理母である。ちなみに彼女は、実の母親から子犬をもらって、後でそれを譲るように頼まれた際には「慎重に」考える機会さえ与えられている(興味深いことに、子犬は母親から引き離されないという点で、実は赤ん坊よりも多くの権利を持っている)。
フィービーの物語では、愛と心の広さと安っぽい音楽がいっさいを乗り越える…。しかし、誰の愛なのか? これはどのように操作されているのか? 何よりも、哺乳類の妊娠と出産の仕組みについて多少とも知っている人なら誰でも知っていることを隠すことによってである。すなわち、ホルモンによって促進され、赤ん坊の生存と健康を確保するために必要な、(このような商業的取引において婉曲的に「代理母」と呼ばれる母親による)産後の出血、胎盤の剥離、母乳育児の確立などの意味を持つ、実際の肉体的な愛とつながりを隠すことによってである。
もちろん、いわゆる「代理出産」は、『フレンズ』のように金髪の中流階級の北米女性が家族に赤ん坊を譲ることではない。実際には、代理出産させられるのはほとんど必ずと言っていいほど移民の女性たちであり、すでに母親でありながら苦労している女性たちであり、貧困にあえぐ女性や教育を受けていない女性たちであり、もっと一般的には危機的な状況にある女性たちである。私たち女性が、女性の抑圧から利益を得ている世界に存在していることを忘れてはならない。
2023年現在、他人が赤ん坊を購入し、物として手に入れられるよう女性が妊娠・出産のために搾取されているという剥き出しの現実を覆い隠すために、さまざまな形で現実がシュガーコーティングされている。ゲイの権利を擁護するものだという話に始まって、「新しい家族モデル」を受け入れるものだ、そしてもちろん、純粋な心の広さから本当に自由に代理出産を望んでいる女性たちの「美談」を宣伝するものまで多岐にわたる。
現実には、この行為とその規制をめぐる言い訳は売買春とよく似ている。子宮を貸し出す女性の「自由」、利他主義、そして「家族を持てるようになりたい」という発注者側の抑えがたい願望が、常に議論の中心となっている。
けっして示されないダークサイドは、貧困、人身売買、貧しい国々で赤ん坊を買い求めるツーリズム、女性の客体化、2人ないしそれ以上の人々の感情的・身体的健康へのリスクである。また、国によって異なる法律が、母親と赤ん坊にさらなる危険をもたらす状況を作り出していることも語られない。
女性を奴隷化し、母親と赤ん坊の人権と尊厳を無視するこのような忌まわしい行為に対する解決策は、それを単に規制することではなく、廃止することである。女性を使用する可能性を管理することは、断じて容認できない。赤ん坊を売ったり「贈与」したりする選択肢を管理することは、私たちのいわゆる進歩的な社会では恥ずべきスキャンダルであるべきだ。
言語学者として、私は言葉の語源に愛着がある。興味深いことに、「利他主義(altruism)」は古いフランス語の「altrui(他者)」から来ている。そしてまた、女性の権利と天秤にかけたとき、他者〔男性〕の願望は常に優越した大義名分となる。
女性の客体化を拒否し、私たちが女性としての尊厳と権利を有した主体でいるということは、すなわち、「代理出産で赤ん坊を持つ親たち」を女性の搾取者と呼ぶことを意味する。代理出産を扱っている商業企業――『フォーブス』によれば、2032年までに1290億ドルも稼ぐと予想されている――にとって、これは耐えがたい真実である。
セレブたちが貧困層や移民から赤ん坊を買うことは、包括性と進歩を誇る世界で起きている最も非人間的な出来事のひとつである。女性たち、特にすでに危機的状況にある貧しい女性たちは、ポルノ、売買春、代理出産など、資本主義と家父長制が究極の利益を上げるために常に結びついている世界に生きている。そして、ミソジニーとは、このようなことがなぜ許容されているのかを説明するための言葉なのだ。
私たちは、このポストモダン時代における言語が、鏡の中の自分自身を見ない新しい方法であることも知っている。用語を変えることは、虐待を絨毯の下に放り込んで見えないようにする家父長制の最新の方法である。
母は母ではなく、女でもない。便利な婉曲表現に隠されたまま、女性たちは同じように死に、同じように苦しんでいる。私たちの手はきれいかもしれないが、私たちの言葉は血まみれで罪深い。私たちは代理出産という言葉の代わりに生殖搾取という言葉を使うべきなのだ。
ニューヨーク州の保健省によると、米国で一人に代理出産をさせる場合、弁護士費用、医療費、仲介機関への支払い、代理出産者への報酬、その他の費用を別にして、6万ドルから15万ドルかかる。これに対し、東欧諸国では5万ドル、メキシコや中南米では6万ドルから7万ドルだとCNBCは報じている。
女性は赤ん坊を育てる容器になることができるとか、愛と自由のためにそうすべきだ、という考えを推進する社会は、もはやそのおぞましさを認識することすらできないほどおぞましくなった社会である。このような犯罪を管理しようとする法律は、女性と赤ん坊の抑圧と苦しみに加担することだ。
出典:https://morningstaronline.co.uk/article/f/selling-babies-should-be-regarded-scandal