「女性に対する暴力」との闘いに生涯を捧げたダイアナ・ラッセルさんが死去

 著名なラディカル・フェミニストで、性被害を受けた女性たちの経験を実際に調査し、膨大な数の当事者にインタビューすることでフェミニズムの歴史にけっして消えることのない偉大な足跡を残したダイアナ・ラッセルさんが、28日、呼吸不全で亡くなりました。享年81歳でした。

 彼女の著作はほとんど日本では翻訳されていませんが(例外は、『シークレット・トラウマ』で、2002年に翻訳出版)、APPメンバーはいつも彼女の著作や編著を参考にし、そこから学んできました。以下に、ラッセルさんのサイトに掲載された追悼文の訳を掲載します。

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追悼ダイアナ・ラッセル(1938-2020)

 世界的に有名なフェミニスト活動家、学者、作家のダイアナ・E・H・ラッセルが7月28日、カリフォルニア州オークランドで死去した。享年81歳だった。死因は呼吸不全。

 ダイアナ・ラッセルは、女性に対する犯罪の是正に生涯を捧げた。彼女は、夫婦間レイプ、フェミサイド、近親姦、ミソジニストによる女性殺害、ポルノグラフィに関する多数の本や記事を執筆した。ダイアナはその学問的業績のみならず、草の根運動の組織者でもあった。1970年代半ば、彼女は世界中のフェミニストにロビー活動を始めた。彼女の組織化努力の結果、ベルギーのブリュッセルで女性に対する犯罪を裁く第1回国際法廷が開催された。40ヵ国から集まった2000人の女性が、性別に関連した暴力や抑圧について、自分たちが経験したことを直接証言した。シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、この法廷の冒頭演説で次のように述べた。「私は、この国際法廷が女性のラディカルな脱植民地化の始まりであることに敬意を表します」。その後、ベルギーのフェミニストであるニコル・ヴァン・デ・ヴェンは、『女性に対する犯罪――国際法廷の議事録』という本の中でこの取り組みについて記録した。

 ダイアナ・ラッセルは、南アフリカのケープタウンで生まれ育ち、南アフリカ人の父とイギリス人の母の間に生まれた6人の子供の4番目の子供だった。ケープタウン大学で学士号を取得した後、19歳でイギリスに渡った。

 イギリスでは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで政治学を学び、1961年には修士号を取得、最優秀学生賞を受賞した。1963年にはハーバード大学の学際的な博士課程に受け入れられ、ボストンに移った。彼女の研究は、社会学と革命研究に焦点を当てていた。

 ダイアナがこのような研究テーマに取り組んだのは、南アフリカの反アパルトヘイト運動に彼女自身が関与してきたことと関係している。1963年、ラッセルは『叫べ、愛する国よ』〔日本語訳は1962年、聖文社〕の著者であるアラン・ペイトン〔南アフリカのイギリス系白人作家〕が設立した南アフリカ自由党に参加した。ケープタウンでの平和的な抗議行動に参加していたラッセルは、他の党員といっしょに逮捕された。彼女は、白人アフリカーナの警察国家による残忍な暴力と抑圧に対して、非暴力戦略は無益であるとの結論に達した。その後、彼女は、南アフリカのアパルトヘイトと戦う地下革命運動であるアフリカ抵抗運動(ARM)に参加した。ARMの主な戦略は政府の財産を爆破したり、破壊工作したりすることであり、ラッセルはARMの周辺メンバーにすぎなかったが、捕まれば10年もの投獄となる危険性を冒していた。その間、ダイアナの父親は、アパルトヘイトが強化された南アフリカの国会議員だった。

 博士号を取得した後、ダイアナはカリフォルニア州オークランドのミルズカレッジで社会学の教授として雇われた。最初の年には、ミルズ大学で最初に開講された 女性に関するコースを共同で担当した。最終的には、このコースがミルズ大学の女性学カリキュラムの開拓につながった。

 1977年、ダイアナは女性への綿密なインタビューを大規模に行なった。これらの900ものインタビューから集められたデータは、彼女の一連の著作に掲載されている。『結婚におけるレイプ』(1982年)、『性的搾取――レイプ、児童性的虐待、職場でのハラスメント』(1984年)、『シークレット・トラウマ――少女と女性の人生における近親姦』(1986年)〔邦訳は2002年、IFF出版部ヘルスワーク協会〕である。『シークレット・トラウマ』は、近親姦の虐待を初めて科学的に研究したもので、1986年には名誉あるC.ライト・ミルズ賞の共同受賞者となった。

 1987年、ダイアナは南アフリカを訪れ、反アパルトヘイト解放闘争の革命的女性活動家にインタビューを行なった。帰国後、『Lives of Courage: Women for a New South Africa』(1989年)を出版。1993年には、ポルノグラフィに関するフェミニストの見解をまとめた『Making Violence Sexy: Feminist Views on Pornography』を編集し、1994年には『Against Pornography』を出版。そこには100枚のポルノ写真が掲載され、ポルノとレイプ事件の増加との関連性を明らかにした。

 おそらくダイアナが女性研究の分野で最も重要な理論的貢献をなしたのは、一個の言葉である。1976年、ラッセルは「フェミサイド」を「男性が女性を、女性であることを理由に殺すこと」と再定義した。 ラッセルの意図は、この言葉を政治化することだった。彼女は、女性に対する殺人犯罪を駆り立てているミソジニーに注目させたかったのである。女性に対するこれらの極端な犯罪に対処するためには、人種に基づく憎悪犯罪と同様に、「フェミサイドは[も]致死的な憎悪犯罪である」ということを認識する必要があるとダイアナは主張した。

 メキシコ、グアテマラ、コスタリカ、チリ、エルサルバドルなど、ラテンアメリカの多くの国のフェミニスト運動は、ラッセルの政治化された「フェミサイド」概念を採用し、それぞれの国で女性に対する致死的暴力に対処するためにこの言葉を用いて社会的、政治的、法的な形でさまざまな成果を上げた。1992年には、アンソロジー『フェミサイド――女性殺害の政治学』を共編著した。

 出版物の出版に加えて、ダイアナは常に現場での活動に時間を割いていた。彼女はしばしばアメリカ、南アフリカ、ヨーロッパ、イギリスでフェミニストによる抗議活動の最前線にいた。他のフェミニストたちと協力して、裁判所や映画館の外でデモを行なったり、さまざまな政府機関で座り込みを実行したり、ミソジニスト企業の建物にフェミニストのスローガンをスプレーでペイントしたり、ポルノ店でポルノ雑誌を破壊したりした。何ヵ月もの間、彼女は未成年の少女の人身売買業者が経営するバークレーのレストランの外で一人でピケッティング活動をした。彼女の市民的不服従の行為には、しばしばターゲットを鋭く風刺するものも含まれていた。たとえば1991年、あるウェイトレスが『プレイボーイ』を読んでいた男性客にサービスを提供することを拒否すると、その反抗的な行為のせいで解雇された。ヘフナー〔『プレイボーイ』の発行者〕はそれに応えて、ダイナーの客に無料で彼の雑誌を読んでもらうために大量の『プレイボーイ』を送りつけた。ダイアナと6人の友人たちはウェイトレスの格好をして、外に集まっていた群衆にケチャップで覆われたペニスと睾丸(巧妙に彫刻されたホットドッグ)を皿に盛って提供した。

 こうした数々の市民的不服従の行為のために、ダイアナは代償を払った。彼女は訴えられ、6回逮捕され、時には身体的な攻撃を受けた。しかし、彼女はくじけなかった。

 彼女はフェミニスト組織を次々と立ち上げた。1977年、ダイアナは「ポルノとメディアにおける暴力に反対する女性たち(WAVPM)」を共同設立した。彼女はまた、平和運動が核兵器開発における家父長制の役割を認識できなかったことを受けて、FANG(Feminists’ Anti-Nuclear Group)(フェミニスト反核グループ)を設立した。 その頂点をなすのは『Exposing Nuclear Phallacies』(1989年)を出版したことである。同書は、1990年にグスタフ・マイヤーズ・センター〔北米の人権問題関連の研究所〕から「米国における人権に関する優れた本」に指定された。1993年、ラッセルは「近親姦に反対する女性連合」という組織を立ち上げ、近親姦のサバイバーを加害者に対する法的支援を行なった。また、近親姦のサバイバーが自らの体験を語る南アフリカ初のテレビ番組を制作した。

 女性に対する男性の性暴力と闘うために、半世紀にわたって研究を行ない、著作や記事を書き出版し、人前で話し、政治活動を行なってきたダイアナは、晩年には回顧録に関心を移した。だが彼女は回顧録を完成させる前に亡くなった。ダイアナの人生と業績の詳細については、彼女のウェブサイト(dianarussell.com)を見てほしい。

 彼女の平等主義的な価値観に沿って、ダイアナは他の数人の女性と共同生活を送り、救助した犬を何匹も大切に飼っていた。仕事の合間を縫って休暇を取ることができた時には、彼女は友人の一人と食事を共にした。私たちは、彼女の輪の中にいた幸運に恵まれた者として、彼女のひたむきな努力と目覚ましい業績に感銘をいつも受けていた。彼女への尊敬の念に加えて、私たちは彼女を愛していた。

 彼女は、妹のジル・ラッセル、数多くの友人や共同活動家、そして彼女の仕事のおかげで生き残った何千人もの女性たちの中に生きている。

投稿者: appjp

ポルノ・買春問題研究会(APP研)の国際情報サイトの作成と更新を担当しています。

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