ジュリー・ビンデル「女性身体の売買を支持する左派たち」

【解説】以下に翻訳するのは、売買春の非犯罪化(女性身体の売買の合法化)を支持する左派の昨今の傾向を鋭く批判したジュリー・ビンデルさんの最新のエッセイです。

ジュリー・ビンデル

『クリティック』2022年6月号

 資本主義の最も陰惨な側面の一つは、例外なくあらゆるものを商品化しようとすることだ。資本主義が規制されていないところでは、売ることのできないものは何もなく、需要が供給を駆り立て、供給が需要を駆り立てる。このことは、長い間、左派の間で理解されてきた。

 しかし、人間の身体はどうだろうか? とくに女性の身体はどうか? 最も弱い立場にある女性や少女を罠にはめ、売買の対象として扱う搾取的な産業に対して、左派は首尾一貫した擁護論を提供することができるのだろうか。

 最近、ニューヨークの聴衆の前で私と討論したエリザベス・ノーラン・ブラウン〔リバタリアン左翼〕は、そう考えているようだ。彼女は「Reason.com」というサイトのシニアエディターで、売買春は他のどの仕事とも同じであり、それどころか、最古の「職業」だと考えている一人だ。

 私にとっては、売買春とは女性や少女の身体をあからさまに搾取することであり、男性が女性の身体の一部を一方的な性的快楽のためにレンタルすることができると考えるミソジニーの文化をもたらす。ノーラン・ブラウンは、性産業を擁護し、男性がセックスに対してお金を払う権利を肯定する文章を数多く書いている。彼女は、人身売買が重大な問題なのか、それともお上品な中高年フェミニストや宗教右派が作り出した「モラルパニック」にすぎないのかに関して、控えめに言っても懐疑的である。

 グローバルな性産業に関する私の実地調査の経験は膨大である。ノーラン・ブラウンは米国外の法律や政策についてほとんど知識がないようだが、私は広範囲に渡ってこのテーマを研究してきた。私が支持しているのは「北欧」モデル(アボリショニスト・モデルとも呼ばれる)で、需要が犯罪化され、性を売る女性たち(または男性たち)が非犯罪化され、性産業から離脱するための国家的支援が受けられる政策体系である。私は、性産業のサバイバーたちとともに、売買春の廃絶を求めるキャンペーンを展開してきた。

 他方、ノーラン・ブラウンは長い間、売買春の全面的な非犯罪化を求めてきた。私たちは、いくつかの点で同じ意見だ。たとえば、性を売る側の人々を犯罪化するべきではないという点では一致している。しかし、自らを「進歩的」と考える人が、ピンプ行為〔女性に売春させてその売り上げをせしめる行為〕、売春店の経営、買春などを取り締まる法律を撤廃するキャンペーンを行なうとは、まったく信じがたいことだ。これは、性市場の管理を刑事司法機関から性産業自身に委ねることを意味する。このモデルでは、ピンプはマネージャーとなり、売買店のオーナーは企業家となる。

 「非犯罪化」(既存の法律のもとで個人を起訴しないことを決定すること、あるいは単に売買春を取り締まるあらゆる法律をなくすこと)と「合法化」(古い法律を投げ捨てて、新しい規制法を導入すること)の違いについて、多くのことが語られてきた。実際には、この2つの違いは単に、合法化では、性売買の特定の側面を合法化することによって、国家が公的ピンプになることだけだ。そうすれば、国家はその産業から税金を徴収し、被買春女性に強制的な健康診断を課すことができる。これは、19世紀における偉大なフェミニスト・アボリショニストであったジョゼフィン・バトラーが反対運動を展開した政策体系でもある。

 左派の多くは、この産業のいかなる部分を犯罪化しても、それは性を売る人々にスティグマを着せることになるから、全面的に非犯罪化するべきであり、性を売ることを単なる「労働」とみなすべきだと考えている。しかし、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカのネバダ州、オランダなどでは、売買春が合法化ないし非犯罪化された結果、需要が大幅に増加し、合法・非合法両方の性売買が増加していることを示す研究結果が増えてきている。

 性産業に対するあらゆる批判を封じ込めるために、「娼婦フォビア」という非難がますます使われるようになっている。売買春においては黒人、褐色、先住民族の女性や少女たちが真っ先に売買されているのに、このようなことは、左派の売買春擁護者たちの障害にはならないようだ。

 抑圧と不平等とが結びついた他の問題なら――すなわち、搾取者の満足のために運営される巨大で悪質な自由市場企業なら――、左派は屋根の上から反対の叫びを上げることだろう。左派の売買春擁護論者を見れば、彼らにとって底辺の女性たちがブルジョア女性よりもいかに重要でないかを示していると結論づけても差し支えないだろう。

 セックスを売る判断を下すことは、個人の自由であると言われる。「たとえセックスを禁止することが肯定的な利益を生むとしても、基本的な自由を侵害することは正当化されない」とノーラン・ブラウンは主張する。彼女にとって個人の自由が持つイデオロギー的地位は、明らかに女性の安全への配慮に優先している。しかしそれにしても、セックスの購入を犯罪化することを「セックスの禁止」と呼ぶことは、それ自体、何をかいわんやだ。このリベラルな性売買概念では、売買春はほとんど合意の上でなされており、未成年ではなく成人によってなされ、そして強要的な状況下ではなされておらず、したがって国家の管轄外だというわけだ。

 いわゆる「人権」運動家たちによるこのようなアプローチは、女性の人権に真っ向から反している。新自由主義は、自由市場を女性の人権より上位に位置づける。セックスを買う買春者の権利は、女性や少女の売られない権利や搾取されない権利に優先するのだ。

 ノーラン・ブラウンは、非犯罪化を主張する多くの人々と同様、フェミニストを自認しているようで、「女性の選択肢を制限することはフェミニストのすることではない」と主張する。私のような女性は、「セックスワークをしている女性はすべて被害者」と考えているのだと彼女は主張する。売買春を搾取と考える私たちは、どうやら「性労働が平均的な男性よりも平均的な女性にとって価値が高く、だから男性にとって〔売り手の〕女性を見つけるのが難しいことを理解していない」ようだ。

 彼女の世界観では、「女性にとって市場的に有利なこの分野を禁止するべき」だという考えは性差別的であり、したがって「このような方法で自分のセクシュアリティを使いたい女性を『押しとどめたり』、『自分自身の行動から保護』されたりするべきではない」。もちろん、「性市場」において女性がより大きな「価値」を持つという世界観は、1950年代頃の古典的な性差別的発想である。

 リベラル左派は、売買春を禁止する法が廃止されれば、「セックスワーカー」は団結して暴力から自分の身を守ることができると考えている。なぜなら、彼女らは「顧客を選別」することができ、男性は実名を名乗るだろうからだ、と。これは馬鹿げている。実際、非犯罪化は買春客を守る一方で、女性をより危険にさらすことが、説得力のある多くの証拠によって示されている。

 他方、需要を犯罪化することは、女性の手に力を取り戻させることにつながる。なぜなら、女性は身の危険を感じれば、買春客をその買春企図ゆえに逮捕させることができるからだ。

 ニュージーランドは、合法化のためのベストプラクティス・モデルとしてよく挙げられる。しかし、同国の『Health and Safety Guide 2004』の中では、「残念ながら、女性が同意なしにコンドームなしで客とセックスすることを強要される事件が複数発生している」と書かれている。売買春以外では、それはレイプと呼ばれる。約束されていた売春店への定期の立入調査は行なわれず、2015年以降、調査が11回行なわれたが、すべて暴力の発生に関する世間の苦情に対応したものだ。そして、非犯罪化に賛成した国会議員のうち少なくとも1人(女性議員)は今、後悔しているという。

 殺人や殺人未遂の発生率の高さを見れば、性産業に従事する女性にとっての過酷な現実を偽ることはできない。調査によると、ピンプや売春店経営を合法化または非犯罪化している国々では、ピンプや買春客による殺人を含む深刻な暴力が、他の制度を取っている国に比べて高いことが明らかになっている。アボリショニスト・モデルを導入した国々では、まったく異なる様相を呈している。ノルウェーで買春客によって1人の女性が殺された事例(それでも多すぎるが)を除けば、需要禁止法を導入している半ダース以上の国々では、被買春女性に対する殺人事件は発生していない。

 非犯罪化が導入された国や地域で、その悲惨な結果を示す証拠が山ほどあるのかを念頭に置くならば、WHO、UN AIDS、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、アムネスティ・インターナショナルなど、多くの国際機関や人権団体がこぞって売買春の非犯罪化を支持しているのは、実に衝撃的である。これらの団体・機関は、セックスに対してお金を払うことは買春者の、そして、ますます増大する被買春女性たちの「権利」や「ニーズ」だという立場を取っている。つまり女性は、自分自身を含むあらゆるものを、そう望むかぎり売ることを選択できるというわけだ。

 現在、左派の中では、スラットウォーク、ラップダンス、セックスワーク、ブルカの着用、等々が女性の解放であるとみなす傾向が支配的である。男性は総じてこのようなアプローチが好きなようで、性売買に関する「セックスワーカーの権利」論を支持する傾向がある。包括的非犯罪化を支持する男たちがポルノグラフィをも支持する傾向があるのは、まったく驚くに値しない。

 自由市場を偶像化するノーラン・ブラウンは、女性の身体の売買に関して、資本主義の機能に対するあらゆる制限を取り除くことが、売買春の中の女性たちに権利と自由の麗しい新世界を、自由選択の真のユートピアを到来させると信じているようである。

 左派を見渡すと、昨今の若い活動家たちは、ピンプ行為や買春に対してよりも、アボリショニストの性売買廃止キャンペーンに対して不快感を抱くようだ。これらの活動家たちは左派を自認しながら、資本主義による女性身体の商品化、搾取、売買を支持している。

 性産業は危険であり、それによって搾取される人々にとって有害であり、それは最も貧しく弱い立場の人々への虐待に依存している。しかし、左派の人々の中には、このことをまったく理解せず、その結果、史上最も破滅的で最も搾取的な資本主義ビジネスの一つを心から応援している連中がいるのだ。

出典:https://thecritic.co.uk/issues/june-2022/women-should-not-be-for-sale/

投稿者: appjp

ポルノ・買春問題研究会(APP研)の国際情報サイトの作成と更新を担当しています。

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