【解説】以下は、先ごろ出版された、シンパク・ジニョン『性売買のブラックホール――韓国の現場から当事者女性とともに打ち破る』(監訳:金富子、翻訳:大畑正姫・萩原恵美、解説:小野沢あかね・仁藤夢乃)(ころから、2022年)の書評です。
森田成也
「慰安婦」問題については日本で多くの著作や翻訳が出されているが、現代韓国における売買春の実態を明らかにした著作はほとんど出版されてこなかった。本書『性売買のブラックホール』は、現場をよく知る支援者の立場からその詳細を明らかにした日本で最初の著作だろう。筆者は、韓国で長年にわたって反性売買の立場から当事者支援運動をやってきたシンパク・ジニョンさん。
韓国における性産業の歴史は、言うまでもなく、戦前の日本による植民地化から始まっている。それまではごく部分的にしか存在していなかった性売買は、日本によって系統的に持ち込まれ、組織化され、産業化され、公娼制度として朝鮮半島の隅々に拡大された。その延長上にいわゆる「慰安婦」制度もあるのである。
日本の敗戦と植民地解放は、この流れの転換になるはずであった。たしかに、韓国を「解放」した米軍は公娼制度を公的に廃止したが、実質的には温存され、朝鮮戦争の最中、米軍兵士向けの性売買制度へと新たに再編された。1961年に、日本の売春防止法の劣化版である淪落行為等防止法が制定されて性売買が原則禁止された後も、いわゆる性売買集結地(もともと植民地時代に日本が作った旧遊郭)は適用外とされ、国家による性売買管理制度が継続した。そして、戦後長く続いた軍事独裁政権は、経済成長と外貨獲得のために女性の性的搾取を大いに利用した(独裁政権下で夜間外出禁止令が出されたときも、性売買のための夜間外出は特例として認められていたぐらいだ)。その典型例が、米軍の基地村での性売買と日本人によるいわゆるキーセン観光である。
日本と同じく韓国でも女性の地位は著しく低く、男性が女性の性を金で買うことを当然とみなす文化がはびこった。韓国のホモソーシャルな接待文化・企業文化のもとで、これまた日本と同じく、取引先や上司への接待の一環として平然と性風俗産業が利用されてきた。そして性産業の中の女性たちは、植民地時代に日本が持ち込んださまざまな制度(とくに前借金制度)のもとで奴隷的拘束を受け、容赦なく性搾取された。前借金は「前払金」に名前を変え、女性たちを借金漬けにして性搾取を強要する仕組みを継続させた。被買春女性が性産業から脱け出そうとすると、この前払金を踏み倒したとして、店主から告発され、犯罪者として扱われたのである。
このような状況に大きな転機が訪れたのは、独裁政権の崩壊による民主化と、2000年と2002年に性売買集結地で起きた大規模火災だった。最初の火災で、5人の女性が監禁されていた部屋で亡くなり、2度目の火災では、窓と出入り口が鉄格子で締め切られ、内と外に二重でカギをかけられた店の中で15人の女性が亡くなった。この事件に衝撃を受けた女性団体が一致団結して、淪落行為等防止法に代わる新しい売買春関連の人権法の制定をめぐる大運動を生み出した。
これによって2004年に、買春者や業者を処罰し、被買春女性を保護・支援する性売買防止法が成立し、そのもとで多くの相談・支援施設や支援の枠組みができ上った。これは韓国の性売買の歴史を画する画期的な法律だったが、決定的な弱点があった。保守派からの強い抵抗があったことで、性を売る側の女性を完全に非犯罪化することができず、「自発的」な場合には処罰の対象とする規定が盛り込まれたことである(日本でのAV新法の流れとよく似ている)。そのため、買春被害女性は自分が自発的ではなく強制されたことを証明しなければならなくなった。そのような証明のハードルはきわめて高く、そして危険である。自分の生殺与奪権を握っている「抱主(ポジュ)」(業者、ポン引き、ピンプのこと)を告発しなければならないからだ。結果として、犯罪者として処罰される被買春女性は多数に上り、法の構造的不備が指摘されるようになった。
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シンパク・ジニョンさんのこの著作は、2004年の法制定にもかかわらず、そしてそれによる重要ないくつかの成果があったにもかかわらず、それでもなお現代韓国において性売買があらゆる形態をとってはびこり、韓国社会を容赦なく食い荒らしていることを詳細に明らかにしている。「韓国のどこを探しても性売買の存在しない場所を見つけるのが困難なほど買春は日常的な経験になっている」と筆者は言う(88頁)。性売買集結地は若干縮小したがなお厳然と残っており、また、OPや休息テル、皇帝観光、座布団屋、チケットタバン(茶房)、テンパー、テン5など、さまざまな特殊用語(本書の末尾に便利な一覧解説表がある)の下にさまざまな形態の性売買が行なわれている。警察はしばしば業者と癒着し、法の執行を妨げている。そして、セックスワーク論を唱える無責任な学者たちは、被害者を自発的な選択者であるかのように描き出して、性産業をイデオロギー的にバックアップしている。これらはすべて日本でもおなじみの光景だ。
しかし、こうした状況の下で、シンパク・ジニョンさんら当事者支援の運動をしている人々は、不十分な性売買防止法を活用して、被害者の救済・支援活動を日夜行なっている。その中から明らかになったのは、女性たちを性産業に追い込み、そしてその中にとどまらせることで利益を上げる複雑で多様なネットワークが存在することだ。シンパク・ジニョンさんは語る。
「世の人々は漠然と店の支配人、つまり常駐している管理人を性売買斡旋業者だと思い、それを単一の主体として想定する。だが、「売買」に焦点を合わせてシステムを詳細に見ていくと、性売買取引の組織ではさまざまなタイプの業者が細分化した役割を担っていることがわかる。……ひとりの性売買女性に会って性売買から脱け出させるべく支援していくうちに、その周りを取り囲んでいるさまざまな役割の抱主に行き当たる。性売買は、脆弱な階層に属する「人間の体」をコントロールしてカネをもうけようとする行為だ。そしてそれを可能にするために、必ずそれ以外の不法な犯罪行為が伴う。……そこに加担する抱主や斡旋構造の中にいる者たちは、実際に店を運営する店主以外にも、資金を投資する銭主から貸金業者、紹介業者、整形外科医に至るまで実に多様だ。」(92~93頁)
この構造においては、外出を制限されている女性たちに衣服や化粧品や飲料品を販売する出入り業者(クリーニング業者やヤクルトレディまで!)や、中絶手術や性病治療を行なう産婦人科医、ダイエット薬やうつ病薬を無責任に処方する精神科医までもが、加担者たちの網の目を構成する。女性の身体に群がってそこから無限に利益をむさぼろうとする巨大なネットワークが形成されているのである。
シンパク・ジニョンさんは「女性たちが性売買に『同意』するというのはフィクションにすぎない」と断言する(125頁)。それは何かフェミニズムの書物から学んだ抽象的な命題として言われているのではなく、20年に及ぶ当事者支援の活動の中から、血を吐く思いで導き出された結論である。選択権を持っているのは業者であって、売る側の女性は選択され、選別される側でしかない。女性たちの弱みに付け込んで、さまざまな人間があの手この手を用いて、女性を性売買のレールに載せようとする。
「女性たちが性売買市場に足を踏み入れることは、「私は性売買をするんだ」というような選択の問題ではない。おカネが必要な女性たちにとって、友だちやお姉さんの知り合いが、美容室の社長が、多くの誰かが、待ってましたと言わんばかりに、彼女のつらい瞬間に立ち入ってくる。店の求人広告を見て訪ねて行ったり、サラ金業者の人質になって借金を返すために店を紹介されたり、買春者とのチャットやアプリを通してなど、いずれにせよこの「仕事」は、人や場所など多くのことが緻密に仕組まれた市場で行われる。店であれ、街角であれ、買春者を相手にする場になって、はじめて「その仕事」が始まる。」(126~127頁)
だが、「その仕事」が始まっても、選択権は女性たちにはなく、最初から買春者の側にある。
「女性個人が性売買を決心さえすれば、すべてが自然にうまく行くわけではない。まず彼女たちは売られるための準備ができていなければならない。買春者に選ばれるためだ。若ければ誰でもいいと言っていた買春者も、いったん選択権が自分に回ってきたとたん、立場が上位になる。女性が充分魅力的でないと思うと、出会った場所からでも引き返す。怖さと羞恥心とともに買春者を待っていた女性は、約束した買春者が現れない理由を数千回も考えて、ようやく自分が選ばれなかったことを認めざるを得ない。……性売買を前提とするすべての店で買春者は女性たちを選びながら、絶え間なく侮辱的な品評を行い、どのようなサービスをしてくれるのかと駆け引きする。自分が望む商品を選ぶ過程が買春者にとっては、すでに消費者の権利だ。」(127~128頁)
「幸い」なことに買春者に選ばれた後はどうなるか? 本番が行なわれる前にも、なされなければならない多くのことがある。
「多くの人は、性売買の女性はいつも受け身で、横たわって両足を開けば終わりだと思っている。だが買春者は単に射精するつもりだけで性を買っているわけではない。取引が成立し買春者と一緒に部屋に移動すると、女性は定められたサービスタイムに入る前にさとられないように、客が安全な人間なのかそっと見定める。性病や各種の感染症を心配しなければならず、買春者の趣向がサディスティックではないか、ひょっとして危険な薬物や道具を使おうとしないか、一時も気を緩めることができない。女性にとってその時からのミッションは、買春者の気分をこわさず定められたサービスを手早く終わらせることだ。……時間がかかればかかるほど稼ぐチャンスを失い、身体は壊れていく。それで女性たちは早く買春者を興奮させて射精させることを目標とする。逆に買春者は払った分だけ元を取ろうとする。もっと長く、時間をかけて、最大限多くのことをやらせてみようとする。部屋の中では目に見えない闘いが行われる。」(129頁)
こうしてついに本番が始まる。それはいかなるものだろうか? それは人々が想像するような単なる性行為だろうか? シンパク・ジニョンさんはこう語っている。
「性売買の女性は寝そべっているだけで買春者が射精すれば終わりだろうと考えるのは、あまりにも性売買の実態を知らない人だ。実際の性売買を構成するのは、射精……に達するまでの、個人的嗜好と方法を動員するすべての過程だ。このような買春者の嗜好はときに麻薬、時に言葉による戯れや暴力、またある時はサド・マゾヒズム的要求など、さまざまな試みが含まれる。買春者の人数ほど、多様な要求がある。性売買女性になるということ、性売買女性として生きていくということは、このような他人の性的嗜好に道具のように使われることを繰り返す過程でもある。」(131~132頁)
シンパク・ジニョンさんは性売買と性暴力に境界はあるのかと問う。その行為をなされる側からすると、その境界はあったとしてもわずかであり、きわめて流動的である。両者はともに、女性にとってコントロールのできない状況下で権力(時に腕力、時に金の力)でもって相手が望む一方的な性行為が押しつけられることだ。そのため、多くの経験者がうつなどの精神疾患をわずらい、ドラッグや酒に頼り、自傷行為を繰り返し、やめてからも長くPTSDに苦しむ。シンパク・ジニョンさんは、彼女がこれまで接してきた多くの被買春女性たちの現実を紹介している。
「現場で出会う性売買女性たちは、性売買を強かんだと断言する。また、買春者がふだんどんな人間であれ、その瞬間はただのケダモノになると表現する。買春者を相手にするには常に全身を緊張させる必要があり、そんなわけでいつも体調が悪い。……避妊薬を常時服用して生理が止まり、昼と夜の境のない生活で早めに閉経して不眠症になってしまう。彼女たちはめちゃめちゃになったバイオリズムのせいで、睡眠薬がないと眠れない。不眠症だけでなく、ほとんどの性売買女性にあるのは、うつ病の症状だ。彼女たちは何度も自傷行為と自殺を試み、本当に自殺してしまったケースも少なくない。……性売買集結地の女性たちを対象にした研究では、性売買女性の60.7パーセントがPTSDに、42.9パーセントが複雑性PTSDと診断された。低年齢で性売買に流れ込み、性売買の期間が長いほど。その深刻さは増していく。」(144~145頁)
従事者の6割以上がPTSDになる「仕事」とは何だろうか? ある研究では、戦場帰りの兵士たちよりも被買春女性の方がPTSDになる率が高いという。こうした実態に目を閉じて、セックスワーク論者は、「セックスワーク」に従事する人々は一部の不幸な被害者を除いて、自由に選択してその仕事を行なっていると主張する。シンパク・ジニョンさんが何よりも憤りを感じるのは、このような無責任な言説を振りまいているリベラル派の知識人に対してである。これらの「進歩的だと自称する男性知識人」(196頁)は、セックスワークを自ら選択したと称するごく一部の「当事者」の声を紹介することで、自分たちが何かとても立派なことをしていると思っている。彼ら21世紀のリベラルは、「野蛮な後進国」を植民地化することで文明を輸出したと思い込んでいた19世紀のリベラルと何ら変わっていない。植民地化の対象が国家から、女性の身体へと変わっただけである。
シンパク・ジニョンさんは最後に、日本とも共通するこの韓国の現状を変えるためには、スウェーデンやノルウェー、フランスやカナダ、アイルランドなどで採用されている北欧モデル型立法を導入することが必要だと訴えている。北欧モデル型立法とは、買春者と業者を処罰の対象としながら、買われる側の女性を非犯罪化して、手厚い支援と保護の対象にする法体系だ。これもまた単なる抽象的判断ではない。
「私は字面の解釈や、あるいは単なる道徳的・政治的な正しさという判断のみで北欧モデルを主張しているわけではない。すでに〔同法の〕施行後20数年間で見せてくれた現実が、この法がどのように機能し現場をいかに変えてきたのかを証明しているので、その道に進むべきだと述べているのだ。」(205頁)
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同書には、シンパク・ジニョンさんの素晴らしい著作を補う小野沢あかねさん、仁藤夢乃さん、監訳者の金富子さんの的確な解説と解題が収録されており、併せて読むことで、韓国の現状と類似した日本の現状と課題についても多くのことを知ることができるだろう。
一つだけ不満を言えば、韓国社会における徴兵制と軍隊が、韓国社会における性売買文化にどのように関係しているかの言及がなかったことだ。戦前の日本による植民地化と戦後における米軍の支配が性売買文化の導入と確立に果たした役割については多くの頁が割かれているが、韓国の軍隊についてはほとんど触れられていない。その点についても書いてほしかったと思う。
いずれにせよ、筆者自身による20年に及ぶ経験に裏打ちされた本書の主張は、類書にはない説得力と訴求力を持っている。日本で出版されたものとしてこれに匹敵するのは、新宿で30年にわたって被買春女性の支援にあたっていた兼松左知子さんによる『閉じられた履歴書――新宿・性を売る女たちの30年』(朝日新聞社、1987年)であろう。本書と共にぜひとも多くの人に読んでもらいたい。