【解説】以下の論考は、オーストラリアのRMIT大学の教員で日本の「慰安婦」問題について研究しているキャロライン・ノーマさんが、2020年9月12日に、「買春社会を考える会」の主催で行なわれた学習会での報告です。学習会では、キャロラインさんをはじめ6名の参加者がそれぞれ10分の持ち時間で、報告を行ないました。
キャロライン・ノーマ
私は、大部分の州で売買春が合法化されているオーストラリアで売買春の廃絶と北欧モデルの導入のために長く活動してきたキャロライン・ノーマといいます。今日はよろしくお願いします。
私も、みなさんと同じように、著名芸能人である岡村隆史さんの発言にショックを受け、日本社会における性産業の影響がどれほど大きいものかを実感しました。その影響は女性の社会地位をおとしめるものであるだけではなく、男性が好き放題に行動・発言できる範囲をより広げるものだと思います。
といっても、日本社会は法律を通じてある程度その性産業の影響を抑えています。たとえば、売春防止法の第1条は、売春が「人としての尊厳を害」するもので、「性道徳に反」するものだと宣言しています。もちろん、この法律の条項があまり実行されていないことは確かです。しかし、そうだとしても、日本国家は戦前と違って売買春は反社会的な行為だという判断をしています。
これとは違って、オーストラリアにはこのような国家的な宣言が存在しないのです。反対に、オーストラリア政府は売買春が正当な産業、仕事だとみなしています。たとえば、オーストラリア政府は2004年から毎回、女性差別撤廃委員会において性産業に対する法的アプローチをめぐって批判されてきました。この批判に対してオーストラリア政府代表者は次のように回答しています。
「オーストラリアにおける移民セックスワーカーは必ずしも人身売買被害者ではなく、オーストラリア現地のセックスワーカーと同様の労働条件で働いている。」
つまり、オーストラリア政府にとっては海外から国内性産業に入る女性はお金目的で国に滞在していることが前提で、彼女たちがどのような経緯で入国したかがほぼ無視されているのです。それから、彼女たちが現地の被害者よりも言語的・人間関係的・精神的により弱い立場に置かれていることについても政府は注目していません。ちなみに、この同じ女性差別撤廃委員会では日本も毎回慰安婦問題について批判をされています。オーストラリアも日本もそれぞれの形で売買春に対して寛容な国になっていると思います。
岡村発言のような事件がオーストラリア社会で起こっても、日本と違ってみなさまのような声を上げるフェミニスト団体はほとんど存在しません。それどころか、この間、買春被害者が殺害された時には、オーストラリアのフェミニストたちが訴えたのは、記者が殺害報道で被害者の「職業名」を述べないようにせよ、ということでした。事件は職業とは関係がないからだというのです。つまり、性産業が女性に対する暴力事件の場になっているのに、その事実が、「職業差別」だという口実で隠されているのです。
なぜオーストラリアはこうなってしまったかといいますと、性産業がほとんど規制緩和されているからです。法律の上で売買春は非犯罪化ないし合法化されています。私はこのような法律は2つの大きな結果をもたらしたと思います。その第1は、性搾取の被害者の存在が見えなくなってしまったことです。人身売買犯罪が単なるセックスワークのための移民行為になり、買春行為が単なる消費活動になり、売春店を経営することは単なる経済活動になりました。
第2に、性産業に対して政府が何ら特別な行政措置を取らなくなったことです。時が経つにつれて、合法化政策がだんだん性産業を正当化していき、結局、売買春は他の職業と何ら変わらないという考えが官僚・政治家・国民の間で生まれてきています。その結果、たとえば私の住んでいるビクトリア州議会には、性産業に関わっている業者が議員になっています。
公式に認められなくなっても、売買春で被害をこうむる女性たちがいなくなるわけではありません。それどころか、オーストラリア性産業は毎年6%以上も拡大し続けているので、業界に入ってくる女性の人数は増えていき、その被害もより多くの女性に広がっています。ある事件が今年の7月に起こったのですが、それは売春店で働く女性の初日に起こったものでした。この店はメルボルンで許可を受けて運営しているところです。その日の夜、酔っぱらった客がやって来て、彼女はことわろうとしたのですが、店の経営者に無理やり相手をさせられました。その後、彼女はその男に2度もレイプされ、今は自殺を何回も図りながら生活しているそうです。この事件は裁判になりましたが、同じような犯罪が毎日のように起こっています。
そのほとんどが裁判になっていない理由は、メルボルンのほとんどの店が自治体に登録せずに運営しているからです。セックスワーク派はよく、売買春を禁止すると「地下に潜る」と言いますが、実は、合法化されているオーストラリアでは、登録されている店の何倍もの違法店が存在しているのです。こういったところで買春されている女性たちは、助けを求められません。これらの違法店は、売買春そのものが国家によって正当化されていることで、大いに恩恵を受けています。その店が、公式に許可をとっているのか、それとも闇営業なのかは、一見したところわからないし、警察も市民も無関心だからです。売買春行為そのものが問題視されていないので、それが公式に登録されているかどうかはどうでもいいことだとみなされているのです。
したがって、オーストラリアで岡村さんみたいな芸能人・政治家・事業者などの男性の買春行為がばれても、あまり報道されたり話題になったりしません。反対や批判の声が上がっても、その発言自体がセックスワーカーに対する差別だと否定されてしまいます。買春者や業者はいつもセックスワーク論に守られています。そして、売買春に反対するフェミニストたちが、セックスワーク論者によって差別主義者と呼ばれているのです。
これはある種の悪循環の結果です。売買春が法律的に正当化されたことによって、セックスワーク推進団体がより強い立場になり、より多く政府からの補助金をもらうようになりました。それによってセックスワーク団体の見方がオーストラリアの国民の間にいっそう広まって、性産業に反対することがより困難になりました。その結果、私たちがいくら議員や委員会に対して売買春の悲惨な実態を訴えても、ほとんど聞いてもらえません。
したがって、岡村発言を問題にすることが大変重要なことだと思います。たとえ法律が十分に執行されていないことで、性産業が日本社会にあふれていても、買春に対する社会的批判を維持することには大いに意味があります。将来にもし日本のアボリショニズム(売買春の廃絶を求めることです)の運動が大きくなる時には、性産業に寛容なセックスワーク論が普及していないかぎり、運動の目的を達する可能性があるからです。言いかえれば、今のようにアボリショニズムの運動が日本社会にあまり広まっていない時期には、するべきことの一つはセックスワーク論がこれ以上広まらないようにすることだと思います。そうした点から見て、みなさまの岡村発言反対運動は非常に貴重なものであり、日本社会の将来の平等の基盤を作ることに大いに貢献していると思います。
今日はこのような発言の機会をいただき、ありがとうございました。
2020年9月12日
「キャロライン・ノーマ「オーストラリアの合法売買春の実態とメディアの沈黙」」に2件のコメントがあります