【解説】アイスランドは比較的古い北欧モデル国の一つであるが、これまで日本ではほとんどその内実については報道されたことがなく、このサイトでも紹介したことがなかったので、やや古い論文であるが、アイスランドの社会民主同盟の女性議員で経済学者でフェミニストでもあるシグリドゥル・インジビョークさんの2016年8月の論考をここに訳載する。この記事に登場する「ビッグシスター」というのは、アイスランドの戦闘的なラディカル・フェミニスト団体。アイスランドの北欧モデル法は2009年に導入された。英語版のWiki によると、2017年の世論調査では、買春者の処罰規定に関して国民の70%から支持されている。しかし、支持率における男女差は大きく、女性の83%が支持しているのに対して、男性の支持率は57%である。それでも6割近くが支持している。
シグリドゥル・インジビョーク
はじめに
アイスランドではフェミニスト運動の新しい波が起きている。若い世代のフェミニストたちは、女性に対する暴力、女性身体のセクシュアル化について、以前に私たちの世代が経験したよりもオープンに論じており、賃金のジェンダー格差はより大きな注意を引き、行動を促している。しかしながら、売買春と人身売買はこの新しい革命の範囲には入っていない。被害者は名乗り出ず、私がこれから説明するように、彼女たちに十分アウトリーチできていない。さらにもどかしいのは、売買春と人身売買についてリアルな形で論じるのに必要な情報を私たちが持っていないことである。私たちは売買春に関する法を改革したが、売買春に対する人々の態度を変化させるような現実的な取り組みは何らなされていない。このことは、警察の中での関心の欠如を生み、加害者に対する特別保護が裁判所によって認められたり、政府からの資金不足を招いている。
私たちの枠組み
2009年、私たちは法を改定して買春を犯罪化した。それ以降、2つの有名な事件があった。1つは2010年の人身売買事件で、11人の男性と1人の女性が起訴された。2つ目は2013年の事件で、40人の男性が買春で起訴された。2013年以降、警察はわずか2件の人身売買事件を報告している。
前政権は人身売買に関して2つのアクションプランを策定した。最初のプランは2008~2013年の時期を包括する計画で、買春行為を犯罪化することもそこに含まれていた。第2のプランは2013~2016年の時期のもので、被害者に対するより多くの支援とよりよい保護を保障するための多くの必要な措置を規定し、わが国の福祉制度の内部に人身売買に関するより正確な理解を広げることを目標としていた。しかし問題は、このプランの財政的裏づけが乏しく、今のところ何ら具体的な成果が出ていないことである。
この取り組みの一環として、アクションプランの実行に携わることを任務とする特別対策部が結成された。警察から派遣されてこの特別対策部を構成する代表メンバーは、ソーシャルワーカー、労働組合、警察官に対して人身売買に関する教育を施すために全国を飛び回った。
2011年、売買春と人身売買から脱け出した女性たちのためのシェルターがオープンした。しかし、それは2013年に閉鎖された。その主たる理由は財政援助が不足していただめだった。というのも、同施設は〔国ではなく〕NGOの「Stígamót」によって運営されていたからである。しかし、もう一つの理由は、女性が最も必要としているのは一時的なシェルターではなく、むしろ法的な相談窓口や医療サービスとソーシャルサービスのような諸サービスなのだという共通認識があったせいでもある。
売買春と人身売買はアイスランドの問題なのか?
アイスランドでは売買春は常に取るに足りない問題だった。路上での売買春は見られず、赤線地区も存在しないし、公けに論じられることもない。旧法のもとで、事件となったのはごくわずかなケースだけである。アカデミズムの研究も一握りほどしかなく、それらのいずれも、売買春と人身売買の規模に関する推定を試みていない。しかし、私たちが間違いなく知っているのは、それが存在することである。
グーグルで「アイスランドにおける売買春」というキーワードで検索をかけると、たとえば旅行者向けのウェブサイト(http://totaliceland.com/so-you-want-to-know-about-prostitutes-in-iceland/)がただちにヒットし、売春者と接触する手立てを提供している。旅行者の増大が売買春への需要を増やしているとの一般的認識が関係者のあいだにある。
こうしたウェブサイトから次のような文言を読むことができる。「売買春はここにも存在しているし、何十年も存在してきた。唯一の問題は、それがまったく非合法であることは別にしても、それを行なう〔買春する〕のにひどく骨が折れ時間がかかるということだ。……チーム・アイスランドはこの職業を是認するわけではないが、われわれの知るように、多くの旅行者は地元の女の子と近づきになるために努力をしている。それゆえ、われわれは、正しい方向を指し示すことができるが、われわれとはメールを通じて接触しなければならない」。
2003年になされた研究によると、高校における16~19歳のティーンエイジャーの2%が、セックスと引き換えるお金を受け取ったことがある、ないし利益供与を求めたことがあると語っている。アイスランドの人身売買に関して2009年に赤十字によってなされた他の研究によると、この分野の専門家たちは、3年間で60人以上の被害者がわが国の社会的・医療的サービスから何らかの支援を受けたと語った。
警察は毎年、約5~10件の人身売買事件を確認しているが、それらのすべてが売買春と結びついているわけではないとしている。アイスランドは短期滞在国であり、警察によると、人身売買を未然に防ぐために、人身売買事件のプロファイリングが行なわれている。いくつかのケースでは、自分が人身売買の被害者であることに気づいていない場合もある。
北欧モデルの効果
今のところ、この法の効果について特別に検討した報告書や研究をわれわれは目にしていない。それゆえ、私の推測は一般的な推測の域を出ない。しかしながら、警察が売買春の捜査に一定の時間と努力を振り向けた時には、検挙件数が増大するということはわかっている。
たとえば、2013年、最も大規模な管轄区、すなわち首都と南西部の警察が売買春の捜査に普段より多くの努力を傾注したが、その結果はグラフにはっきりとした形で出た。つまり、検挙件数がある年から次の年にかけて顕著に増大した。これらの犯罪はほとんど「積極的な取り締まり」を通じて発見されたのである。
警察・司法システムの不備
われわれが警察から聞いたのは、この分野での捜査に振り向ける十分な予算がないということである。また、経済危機〔2008年の世界金融危機〕の余波で予算がカットされ、その結果、警察官の人員が削減された。3つ目の問題は、法そのものにある。警察が売買春と人身売買を追跡するうえで最良のツールは電話の盗聴だが、法はそれを許していない。法に簡単な修正がなされ、より豊富な資金が提供されれば、警察はこの問題で成果を上げるより大きな可能性を得られるだろう。
警察内部では、警察幹部は以前、こんな法を執行するなんて不可能だと言っていた。だが、この団体〔筆者が属している団体かこの講演が話されている団体〕のようなフェミニスト団体の積極的な活動のおかげで、警察の認識の誤りが証明された。「ビッグシスター(Stóra systir)」〔2009年の買春処罰法を執行するためにアイスランドの匿名のフェミニストたちによって結成された秘密組織〕は自警団的フェミニスト団体で、56人の犯罪者と117の電話番号のリストを作り、それを警察に提出した。
だが私にとって同じく明白なのは、高い地位にいる女性警察官の仕事がここアイスランドでは非常に重要だということである。警察内部の姿勢を変える上で力を発揮したのは、売買春と人身売買問題の重要性を理解している女性たちだった。
司法に関しても同じことが言えたらよかったのだが、そうはいかない。裁判に至った事例はごくわずかで、警察は、裁判所内部の姿勢を変えるには北欧の裁判官からの援助が必要だと公然と語っていたぐらいだ。現在の司法システムにおいても、女性判事と男性判事とではこれらの問題に対して異なった態度を示している。男性判事はこれらのケースでは、加害男性の評判を保護するため常に非公開裁判を選択してきた。しかし、女性判事はそうした選択を支持しておらず、公開裁判を維持するべきだと主張している。だが、残念ながら女性判事は少数派なのだ。
私の見解では、処罰が罰金刑で、しかもその額がきわめて低いのに、完全に匿名であれば、法はそれが本来持つべき防止効果を持つことはないだろう。裁判はちゃんと公開されるべきである。
最後に
明らかなのは、わが国が、買春を犯罪化するという北欧モデルを採用しているにもかかわらず、十分にそれを活用していないことである。学ぶべき教訓は、警察の中でも法廷の中でもその姿勢を変えるために今後とも働きかけ続けなければならないということである。そして、警察に十分な資金を保障し、しかるべき捜査権限を付与することで、彼らがその仕事をきちんと遂行することできるようにすること、そしてすべての関係者に対してしかるべき教育を施さなければならないということである。最後になるが、ここアイスランドにおける売買春と人身売買の規模に関して、そして〔北欧モデル型の〕売買春法の真の効果について、もっとよく情報を得る必要がある。
「インジビョーク「アイスランドにおける売買春と北欧モデルの効果」」への1件のフィードバック