タラ「あの売春店で何が待ち受けているかわかっていたら、絶対にそこに行かなかっただろう」

【解説】以下は、イギリスの売買春サバイバーであるタラさんの証言です。ノルディックモデル・ナウ(NMN) に寄せられた証言の一つで、NMNと本人の許可を得て、ここに訳出します。

タラ

ノルディックモデル・ナウ2021年8月18日

 私が売春店での「仕事」に応募したのは、当時付き合っていた彼氏の薬物使用が原因で関係が破綻し、ホームレス用のホステルに住んでいたときだった。それまでは、私は大学もやめエステティシャンの仕事も断念して彼がドラッグから足を洗うのを助けてきたが、結局無駄だった。給付金の申請には数週間、住宅の申請には数ヶ月かかると言われた。売春に頼るつもりなどなかったし、そんな予定はまったくなかった。

 そんなとき、ホステルの別の女の子に、どこからお金を得ているのか聞いてみた。彼女はマッサージパーラー〔売春店の婉曲表現〕だと言った。マッサージ以上のこと〔セックス〕をしたければ、そうすることもできるよと言った。実際にはそれは嘘で、セックスをしないという選択肢はなかった。

 最初の週には、コンドームなしでのセックスを拒否したところ、客から暴行を受けた。また、気持ちの悪い別の客を断ろうとしたら、「マダム」〔オーナーから売春店の管理を任されている女主人〕から脅された。

 その売春店は、おそらく一般の人が売春店と聞いて想像する通りのかなりダサい外観の店だった。裏通りにあり、「ジェントルマンズ・スパ」と看板が出ていたが、誰もそれが何をする所か知っていた。後でわかったのだが、この店が警察のガサ入れを受けたり閉鎖されたりしなかったのは、地元の警察官の中に常連客がいたからだという。

 メインルームはラウンジと(ノンアルコール)バーとして機能していた。その下には、サウナと共同のホットバスがあったが、これは客だけのもので、私たちは使うことができなかった。片側には小さな部屋があり、そこには大きなスクリーンがあって、常時ハードコア・ポルノが流れていた。2階には小さな部屋がいくつも並んでいて、その中にはマッサージ用のソファと、壁一面を覆う鏡があった。その上の階には2つの「VIP用」スイートルームがあり、ダブルベッド、プライベートバス、各種の性玩具が用意されていた。VIP用スイートに連れて行ってくれるお客さんを獲得することだけが、まともなお金を稼ぐ唯一の手段だった。というのも、その部屋の料金はやたら高かったからだ。

 女性たちの間では競争が激しく、私はこの競争に参加するのが苦手だった。その中で、とくにこの「商売」に向いてそうな女性がいて、彼女は最も魅力的というわけではなかったのに、いつも一番多くの客を獲得していた。

 彼女に聞いてみると、その「天賦の才」は実は、幼少期に小児性愛者から虐待を受け、その後、早くから売春を始めたことによるものだと、あっけらかんと話してくれた。セックスは彼女が取引できる唯一のものだった。彼女は私のショックを笑い飛ばし、「ここにずっといれば、もっとひどいことを聞くことになるから、慣れた方がいいわよ」と言った。当時の私は、自分自身の虐待経験を麻痺させることに必死だったので、自分の話と彼女の話の間にある潜在的な類似性を見ようとはしなかった。ただ彼女のことを心から気の毒に思った。

 私が売春店で出会った女性たちのうちただの一人も、そこにいることを喜んでいる人はいなかった。自分を捨てたボーイフレンドとの間に子どもができ、勤務のたびに泣いていた女性も、自分が醜いと思い込んで整形手術にハマっていた女性も、ずっと年上の虐待的なボーイフレンドに搾取されていた女性もそうだった。ちなみに、この虐待的ボーイフレンドは、私たち全員に「大人のモデル」の仕事をしないかと何度も持ちかけてきた。彼は売春店の外にうろうろしていて、シフトを終えた私たちを狙ってきたのだが、結局、「マダム」が警備員に言って脅させ、追い払った。

 実際のオーナーには会ったことがないが、「とんでもないクソ野郎」だということは聞いていて、もし店にいるときに奴がやってきたら、関わらないようにした方がいいと言われた。それを聞いて私はすぐに心臓がバクバクしたが、幸いにも顔を合わせることはなかった。

 私たちを監督していた「マダム」も十分に威圧的だった。彼女自身も元「セックスワーカー」で、いつも不幸そうで、私たち全員のことを嫌っている風だったが、とりわけ客を憎んでいるかのように振舞っていた。

 唯一楽しかったのは、女性同士の連帯感がたまにあったことだ。静かなシフトでは、私たちはしばしば深く親密な会話を交わし、手短にプライベートな話、希望や恐れなどを打ち明けあった。私たちの置かれていた過酷な状況は、ある種の絆を促したが、時には口喧嘩に発展することもあった。

 ある女性はとくに面倒見がよくて、私に「手遅れになる前に出て行きなさいよ」と何度も言ってくれた。これはあくまでも一時的な手段よと私が言うと、彼女は首を横に振って言った、「ばかね、私を含めみんなそう言っていたのよ」。

 私は将来についてあまりちゃんと考えていなかった。すべてを失ったショックで自暴自棄になり、自分はダメ人間だと感じていた。自分のサロンを持つという夢はとっくの昔に葬っていたし、自分が現在歩んでいる道の行く末を直視するのは、あまりにも辛いことだった。

 私はお酒を大量に飲むようになった。売春店の常連客に体を触られたり、まさぐられたり、しばしば暴力を振るわれたりするのは、しらふでは耐えられなかったからだ。

 私は半年後に退店し、二度と戻らなかった。今では素敵なパートナーと子供がいて、夢に見たサロンを共同経営しているが、あの時の傷跡は消えない。私はたくさんのセラピーを受けてきた。

 だからこそ、売春店の非犯罪化や合法化を訴える人たちを見ると気分が悪くなる。ドイツやネバダ州のように合法化された大規模な売春店での虐待の話は、実際の人身売買の報告と同様に、そこら中にあふれている。また、「すべて込み」や「定額制」と呼ばれる、「セックスワーカー」が誰と何をするかをほとんど選択できないシステム――明らかにそれはレイプの領域に入り込んでいる――の話を聞くとぞっとする。これは、かつて私がいた環境とどれほど違うのか? どうしてこのようなあからさまな暴行が合法なのか?

 ネバダ州の「セックスワーカー」はたいてい売春店から出ないように言われており、住み込みで働いている。この法的枠組みは、労働者ではなく雇い主をエンパワーしするものだ。非犯罪化されたニュージーランドの売春店も、サバイバーが証言しているように、しばしば同じように運営されている。非犯罪化は、その主唱者たちが主張するような保護を当事者には提供しない。

 もしあの売春店で何が待ちうけているかわかっていたら、絶対にそこには行かなかっただろう。もし私が給付金や住宅制度によって適切にサポートされていたら、あそこに行くことはなかっただろう。そして、男たちが喜んでセックスを買うようなことをしなければ、そもそも売春店はけっしてそこに存在しなかっただろう。

 お金をもらって、性的虐待としか言いようのないことに従事していた売春店での生活について人に語り始めたとき、「なぜそれを続けたのか」と聞かれて、恥ずかしい思いをした。私は売春店に入った最初の夜に客から暴行を受けた。では、なぜ私はその後もそれを続けたのだろうか?

 ホームレスになっていたので、自分の食い扶持を稼ぐことができなかったというのはもちろんある。しかし、その質問をされたときに私の中に湧き上がってきたまさにあの恥の感情のゆえでもあるのだ。人々が「売春婦」について語るもろもろのことから生じる恥しさだ。

 たとえば、「一度でも売春すれば、ずっと売春婦だ」とか、あるいは「売春するために生まれてきた女がいる」とか、あるいは「売春婦をレイプすることはできない〔売春婦をレイプしても、レイプにはならないという意味〕」とか、そういう言説だ。

 単純化して言うと、私は、一度それをすれば、もう二度と他のことにはふさわしくない存在になったと思ったのだ。誰もけっして私を求めないだろうと。

 数年後、このこと〔売春をしていたこと〕が地元でばれたとき、私は引っ越さなければならないほどひどい追い回しとハラスメントを受けた。友人だと思っていたある男が家にやってきて、私に性的暴行を加えた。私が泣くと、彼は金を払えばいいんだろと言った。「一度でも売春をしたら、ずっと売春婦」というわけだ。

 このようなスティグマや辱めは男性だけから来ると言いたいところだが、人生のさまざまな場面で、女性からもしばしば同じ目に合った。しかし、今まで受けた最も辛い辱めのいくつかは、「セックスワーク」を支持する人たちからのものだ。

 買春客と「セックスワーク活動家」の両方から、「セックスワークは弱いやつには向かない」という言葉を聞いたことがある。これは、性売買の中で虐待を受ける人がそうでない人よりも何らかの形で「弱い」ということを意味するだけでなく、その虐待に耐えられるだけ十分に強い女性が特別な階級として存在するということを意味しており、人種的・階級的ステレオタイプを助長するものだ。

 また、性産業に従事する女性は、特定の種類の「仕事」に対して「ノーと言うことを学ぶ」必要があると言われたこともある。これは、レイプ被害者に対する被害者非難と明らかに類似しているだけでなく、多くの女性がそもそも「イエス」と言わなかったかもしれないという事実を無視している。

 売春を強制ではなく選択として提示することは、売買春の中の女性たちが自らリスクを取ることを選択していると非難されることにつながりかねない。女性が何を着ているか、どこへ行くか、誰と話したかでしばしば非難されているのと同じようにである。

 ここで経験するスティグマは、「被害者」であるということだ。虐待の被害者であるという事実は、その人の人格を中傷するものではなく、実際に起きた出来事を示すものであるべきなのだが、これほど非難めいた言葉はないというのは、多くの人の知るところだ。

 特に、性暴力や性的暴行、性的搾取を経験した女性たちに対する被害者非難は、あらゆる領域や分野の社会に蔓延している。売買春が暴力であるという事実を否定することに躍起になっているロビイストたちは、そうすることで、他の文脈ではありえないほどひどい被害者非難をすることが多い。性売買推進派は、恐ろしい搾取の体験について語る性売買サバイバーを辱め、黙らせようとするが、これは正真正銘の被害者侮辱であり、ガスライティングである。

 何らかの目的のために虐待を消し去ろうとすることは、どんなに善意であっても、結局は加害者の味方をすることになる。虐待を受けたことのある人ならよく知っているように、黙らされたり、信じられなかったりすることは、虐待そのものと同じくらい精神的なトラウマになる。売買春サバイバーとして、私たちはこのことをよく知っている。

出典:https://nordicmodelnow.org/2021/08/18/if-i-had-known-the-truth-about-what-awaited-me-in-that-brothel-i-would-never-have-been-there/

投稿者: appjp

ポルノ・買春問題研究会(APP研)の国際情報サイトの作成と更新を担当しています。

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