【解説】以下は、売買春サバイバーで反性売買の活動をドイツで行なっているエリー・アローさんの最新論考で、ラディフェミ系のオンライン雑誌『Reduxx』にアップされたものです。売買春が完全に合法化され、「セックスワーク」として正当性を持っているドイツで、どれほど下劣な事態が起きているか、その一端を明らかにしています。「更生」や「回復」の名のもとに、ドイツでは、レイプ犯の囚人に売春店を利用することが刑務所当局によって認められており、また障害者のために売春店の利用料を保険でカバーすることも認められています。同じような事態は、同じく売買春が合法化されているオーストラリアでも起こっています。同国のある州では、障害者年金に売春店に通う分も含められているのです。
エリー・アロー
『Reduxx』2022年11月29日号
2019年、マリレーヌ・レヴェスクさん(下の写真)は、カナダにあるケベック市のホテルの一室で刺殺体で発見された。わずか22歳だった。性産業に従事していたレヴェスクさんは、通常営業しているマッサージパーラー〔ソープランドのような売春店〕ではなく、ホテルでユースタチオ・ガレーゼ(51)に会うことになった。

マリレーヌ・レヴェスクさんが知らなかったのは、相手のガレーゼが2004年に恋人のシャンタル・デシュネを殺害した罪で終身刑を受けながら、日帰りの仮釈放中だったことだ。
ガレーゼは、デシェネをハンマーで殴打し、めった刺しにして残虐に殺害した。服役後、ガレースは「受刑態度の良好さ」を理由にカナダの仮釈放委員会から徐々に特権を与えられ始め、再犯の危険性が「高」→「中」→「低〜中」に引き下げられた。最終的に日帰りの仮釈放が認められたが、この仮釈放が結局、レヴェスクの殺害につながったのである。
この事件は、ガレーゼが仮釈放中に売春店を訪れる許可をカナダの刑務所管理者から得ていたことが明るみになり、国際的な大ニュースとなった。報道によると、彼の抑えつけられた性的緊張を解放するために許可されたとのことであった。
残念ながら、このケースは孤立したものではない。ドイツでも、事態はきわめて深刻であって、性産業に従事する女性たちは、レイプ犯の更生に向けたこの新しく奇妙なセラピー方法のための実験台として使われているのだ。
その巨大な合法売春市場ゆえに「ヨーロッパの売春宿」と呼ばれるドイツでは、性暴力で有罪判決を受けた男性が「女性との経験を積む」という明確な意図を持って売春店を訪れる許可を得た事例がいくつも確認されており、ドイツの2つの州でそれが事件となったことが記録されている。
オスナブリュック法医学精神医学センターが2001年から実施しているプログラムでは、性産業に従事する女性たちをクリニックに招き、有罪判決を受けたレイプ犯が性的同意について学べるよう「介助」してもらっている。このプログラムは、倫理や女性の権利に関心のある人たちから強い反発を招いている。
国際法医学精神保健サービス協会の元会長で現理事のリュディガー・ミュラー=イズベルナー氏は、この活動を「異様で」「道徳的に疑わしい」と非難した。
売買春のサバイバーであり、博士課程に在籍し、反性売買の運動家であるフシュケ・マウも同様の感想を述べ、性産業に関わる女性をいわゆる更生実験のモルモットとして利用することの道徳性に疑問を呈している。「売買春の中の女性たちは、実験用のダミーなのでしょうか?……私たちは国家にとって今なお人間なのでしょうか?」と彼女は問いかける。しかし、この慣行は今も続いており、予想されるよりもはるかに多くの支持者がいる。
このプログラムの支持者の多くは、プログラムに参加する男性たちは「低リスク」と考えられているから、参加する女性へのリスクは正確に評価されていると主張する。しかし、レヴェスク事件では、犯人のガレーゼはカナダの制度においても「低リスク」の犯罪者であると分類され、そう判断されていたことを考えると、この主張は、控えめに言っても非常に疑わしいと言わざるをえない。
また、このプログラムには税金が投入されておらず、来店費用は男性側が負担していると指摘する支持者もいる。しかし、最も広く議論の的となっているのは、そして、あらゆる支持の根底にあるのは、男がどんなことをしようとも、その人物に対して性行為を禁じることは重大な人権侵害であるという考えである。
「性(sexuality)は人間の尊厳の一部だ。……レイプ犯も排除されるべきではない。何と言っても、こういう人たちこそが合意に基づく性を学ばなければならないのだから」。新自由主義的なニュースメディアとして悪名高い『タス』に寄稿した法律家で弁護士のクリスチャン・ラスは2011年にそう書いている。
体裁を維持するのに苦労してきたこの業界にとって、「セラピー」や「ヒーリング」のまっとうな形態として性産業を再ブランド化することは、さらなるノーマライゼーションの試みとみなすべきであろう。リベラル・フェミニストたちは、売買春は無害で正統な雇用の一形態であると主張してきたが、その流れに沿った段階の次がこれなのだ。
エロティック・セクシュアルサービス連邦協会(FAES)は、メンバー全員が「現役ないし元セックスワーカー」であると主張する団体で、現在、売買春を世界的な「ケア革命」に含めるよう求めており、マルクス主義の理論を悪用して、この業界は本質的に「再生産労働」に分類できるとさえ主張している。
彼らのウェブサイトは声明を発表して、売買春の持つ「癒しの力(ヒーリング・パワー)」を、セラピストや看護師が提供するエッセンシャル・サービスと比較している。
「多くの場合セックスワークで行なわれている感情労働は、……コーチやセラピスト、看護師など、身体に接し人々に密着して行なわれる他の職業と比較することができる」とFAESは言う。
昨今、この再ブランド化戦略は、障害者男性による買春は必要なセラピーに相当するという議論に巧みに利用され、2017年には緑の党のケア政策広報担当者は、この行為には公的資金が投入されるべきであるとさえ主張した。
2022年には、ある男性が、労働災害で重度の障害を負い、合意の上でパートナーを見つけることが「不可能」になったと主張し、特定の「性的介助」の免許を持つ売春婦の利用料を労災保険から支払うよう、彼の所属する労災保険組合を訴えて、勝利した。
障害者が日常生活に参加する上でなお多くのアクセス上の障害が存在することを踏まえるなら、この決定は多くの人にとってまったく馬鹿げたものに思えたが、障害を持った女性や少女に対する性暴力が高い割合で存在することに注目するなら、なおさら馬鹿げたものに思える。
しかし、被買春女性に「性的セラピー」を求めるのは、受刑者、レイプ犯、障害者男性だけではない。この傾向は高齢者介護の分野でも見られる。高齢男性を代表するある団体は、高齢男性患者のために国の費用で売春婦を派遣するよう要求しており、その追加的効果として、女性介護士に対して広く蔓延しているセクハラを抑制することが期待できるとしている。
こうした現象は、「刑務所におけるセックスセラピー」プログラムとも関連しており、推進派は特に認知能力の低下した受刑者に対する必要性を強調している。FAES代表のジョゼファ・ネレウスは、2020年に、有罪判決を受けたレイプ犯の実験的な「セックスセラピー」に売春女性を配置することは、当該女性が誰と会うかを知らされているかぎり、道徳的に正当化されると主張した。
このように力強く支持を訴えながら、1時間250ユーロを請求する高級エスコート嬢であるネレウスは、レイプ犯を「客」として受け入れるはめになったことは一度もないことを認めている。一方、ドイツ初の売買春サバイバー団体であるネットワーク・エラの女性たちは、暴力的な犯罪歴のある男性買春者たちからいかにひどい目に遭ったかその恐怖について語っている。
もう一人の著名な擁護者は、大学で教育を受けた時給500ユーロのエスコート嬢でコラムニスト、性産業代表のサロメ・バルテュスである。バルテュスはさらに一歩進めて、次のように主張している。子供への犯罪を避けるために、幼児の格好をした被買春女性で欲望を満たす「倫理的な」ペドファイル向けのファンタジー・サービスとして売買春は機能しうる、と。
ネレウスとは異なり、バルテュスは有言実行派である。彼女のペンネーム「バルテュス」は、思春期の少女を性的ポーズで描いたことで悪名高い画家が元になっている。ツイッターでは、自分のことを「大人のおもちゃ」と称し、子どもへの性的虐待を妄想したイラストを投稿している。バルテュスは自らのウェブサイト上で、自分が子供のような体型であることを強調し、自分自身を「子ども女(child woman)」「半合法的ファンタジー」と表現している。
13世紀、最も有名なキリスト教神学者トマス・アクィナスは、売買春は「市民たる」女性への暴力を防ぐために必要であると主張し、宮殿から汚物を吐き出すための下水道に例えた。そして19世紀には、チェーザレ・ロンブローゾのような骨相学者が、一部の女性は生まれつきの性的逸脱者であり、したがって売春や、男性の攻撃性を引き受けるという仕事に完全に向いていると主張した。この信念は20世紀に入っても続き、ナチスのファシスト政権によって強化された。ファシスト政権は、占領したすべての地域に売春店のネットワークを確立したが、それは地元住民を「保護」するためであると主張した。
現代では、いわゆる「セックス・ポジティブ」運動が、「ベッドルームでの平等」や「オーガズム格差」の解消を訴え、こうした古来の女性差別的観念を乗り越えたと主張している。しかし、彼らの性産業賛美は、本来なら自己との関連性を拒否するであろう歴史上のこれらの下劣な性差別主義者たちと不思議なほど多くの共通点をもっているのだ。
かくて、一団の女性たちが男性に容易に購入できるよう準備されているべきだという信念は、何ら新しいものではない。しかし、かつてそれは、女性の生まれながらの劣等性によるものだとされていたが、今では「女性の地位向上」とか、「性の解放」とか、さらには、「弱者」男性に自分の身体をレンタルすることで公共の利益に貢献することができるという口実で押しつけられているのだ。根拠は変わっても、虐待は続いているのである。
「エリー・アロー「レイプ犯の囚人に売春店の利用を認めるドイツの刑務所」」への1件のフィードバック