【解説】以下は、女性人身売買反対連合(CATW)の理事長であるテイナ・ビエン・アイメさんの最新の論考です。現在、英語圏の大学ではセックスワーク論が支配的になっており、特権的なリベラル・エリートたちが「セックスワークは仕事だ(Sex work is work)」とか、「セックスワークは女性をエンパワーする」などという虚説を唱え、学生たちの頭にそのイデオロギーを叩き込んでいます。しかし、そうした傾向に反発し、性産業サバイバーの声に耳を傾け、売買春の本質を見抜く若者たちも生まれています。
テイナ・ビエン・アイメ
2022年7月2日、女性人身売買反対連合(CATW)
2011年のドキュメンタリー映画『Miss Representation』の中で、『アメリカの性差別』の著者である歴史家のバーバラ・J・バーグ博士は、第2次世界大戦後、米軍兵士が帰還して2日間で、600万人のうち80万人もの女性が工場から解雇されたと説明している。他の会社もそれにすぐ追随し、女性社員を解雇して男性社員を充てるようになった。
このドキュメンタリー映画は、メディアを通じて、ゼネラルエレクトリックやシアーズが提供するピカピカの新しい家電製品で家事を美化し、女性を再び家事に従事させるために、政府と企業が考え出した組織的なキャンペーンについて明らかにしている。
このような制度的・社会経済的な力によって、女性の地位は第2次世界大戦後も2級市民の地位にとどめ置かれた。今日、大衆的な「ドグマ注入」は再びアカデミズムの世界で行なわれている。過去数十年の間、教授やその他のアカデミック官僚たちは、売買春制度を、女性をエンパワーする労働形態として、あるいは彼らが言うところの「セックスワーク」として肯定してきた。
アカデミズムは「セックスワーク」という言葉を、売買春の危険な現実を覆い隠すために用いている。セックスワークに内在する暴力に学生たちの感覚を麻痺させることで、最も弱い立場の人々を、エスコート売春〔日本で言うデリヘル〕、ストリップ、「シュガーデート」〔日本で言う「パパ活」〕、ポルノなど、そのメニューを探求することへと誘導している。そして、その教えを受けた若者たちが「シュガーベイビー」や OnlyFan の「コンテンツ・クリエーター」として直面する性暴力やその他の被害は、彼ら・彼女たちが暗黙のうちに受け入れたリスクとして処理されるのだ。
私たち「女性人身売買反対連合(CATW)」は毎年夏になると、世界各国の大学から優秀なインターンを受け入れている。性的暴力や搾取に対抗するために自発的に活動するためにやって来たこれらの若い人たちはみな――例外なく――自分たちがアカデミアで何を「注入された」かについて話してくれた。彼ら・彼女らの多くはジェンダー研究を専攻していたが、人類学から哲学、経済学に至るまで、社会科学系の学部全体の教授たちが、例のイデオロギーを推進している。「セックスワークは仕事だ(Sex work is work)」と。
ブラウン大学〔アメリカのロードアイランドにある老舗の大学〕から来たあるインターンは、教授たちから、げっぷが出るほど「セックスワーク論」を詰め込まれたと言い、ヴァッサー大学〔ニューヨークにある大学〕のあるインターンは、売買春がグローバルサウスの貧しい女性を解放するという考え方に反対したため、教授から授業中に嫌がらせをされたと語った。道徳的で、時代に逆行していると教師から嘲笑された彼女は、教授の考えにあえて反発したために低い成績をつけられるのではないかと恐怖を感じた。
ハンター大学のある学生は性売買のサバイバーで、彼女の指導教授が、売春の中の女性たちをペンキ屋の前で工事の仕事を待つ移民の日雇い労働者と同一視したことに衝撃を受けた。四つん這いで床にペンキを塗るのと、四つん這いで買春者に身体を貫かれることを同一視するのは、無神経で不愉快なことだと彼女は言った。
私の息子は、アマースト大学の1年生のときにドキュメンタリー映画『American Courtesans』を見せられたが、性売買を賛美するこの映画について議論したり批評したりする機会はなかった。この映画は、エスコート嬢たちの一人称の証言に焦点を当て、彼女らが性的虐待や搾取、機能不全の家庭、家庭内暴力などのトラウマによって性産業へと導かれたことを痛ましく語っているが、この映画の究極のメッセージは、売春は彼女らの必然的かつ正当な居場所であるというものである。驚くまでもなく、このドキュメンタリー映画のプロデューサーは、ピンプ行為(女衒行為)や買春行為の非犯罪化を訴える論者である。
このドグマは教室の外まで浸透しており、大学自身が学生たちに対して性産業への感覚を麻痺させるキャンペーンを展開している。チュレーン大学〔アメリカのニューオーリンズにある大学〕は無数にある例の一つだが、Twitterでハッシュタグ #TUSexWorkPolicyを付けて、性産業を賛美し、その合法化を求めるキャンペーンを公認している。
イギリスのレスター大学では、「学生向けセックスワーク・ツールキット」を提供しており、切実に現金を必要としている学生たちに対して、売買春でうまく危険を免れる方法を伝授している。経済的支援や離脱機会を提供するのではなくてだ。ダラム大学、ニューカッスル大学、マンチェスター大学はそれぞれ、「性産業に従事する学生を支援する」ための研修会を開催している。
アメリカと違い、イギリスのこれらの大学は非難を浴びた。イギリスのミシェル・ドネラン高等教育大臣は、これらの大学は「女性の搾取で栄える危険な産業を正統化している」、「学生を保護する義務をひどく怠っている」と指摘した。売春が安全で実行可能な仕事であるという考えを売り込むことは、解毒剤を提供することなく学生の静脈に毒を注入するようなものだ。
アカデミズムは、他の多くの機関と同様に、「セックスワーク」という言葉をその起源を疑うことなく、政治的に正しい言葉として受け入れている。この言葉は性産業そのものの中から発案されたものであり、1970年代に売春を合法化し、その本質的な非人間性に対して人々の感覚を麻痺させるために作られた。売春を「セックス・ポジティブ」と呼ぶこの運動の立役者の一人が、マーゴ・セント・ジェームスである。セント・ジェームスは「風紀紊乱」、つまりピンプ行為の罪で有罪判決を受けたことがあり、性売買の非犯罪化を提唱する団体「COYOTE」の設立者でもある。セント・ジェームスは、1985年にアムステルダムで開催された第1回世界娼婦会議の主催者でもあり、その会議において彼女は「これこそセックスワークだと主張…..」した。最近のハッシュタグ #TUSexWorkPolicy のツイートでは、COYOTEを支持しないならフェミニストにはなれないと宣言している。
ハーバード大学でジェンダー学を専攻しているジェニファー・ルオンは、「クラスで使われる用語はいつも『セックスワーク』で、誰も『商業的性搾取』などという言葉は使いません」と語る。「売春は搾取的であるというような言い回しは、保守的で、女性から選択肢を奪っているとみなされます。現在好まれる言い方は『セックスワークはエンパワー的だ』というものです」。
ルオンおよび同じ専攻の学生たちに課されたプロジェクトは、カリフォルニア州における性売買の非犯罪化を求める模擬的な法的擁護キャンペーンを構築することだった。ケイト・ミレットやアンドレア・ドウォーキンといったフェミニストの著作を読んでいる教授はいるのと尋ねると、答えはノーだった。
なぜアカデミズムは、性売買を批判的に検証する第1波、第2波のフェミニストの代表的な著作ではなく、女衒や性産業のレトリックを受け入れるのだろうか、という疑問が生じる。フェミニスト法学者のキャサリン・マッキノンは、売買春は「それが基礎となっている性差別の制度と同じくらい広く存在している」と書いている。
その背景に莫大な資金の流れがあることは指摘することは、一つの回答になりうるが、しかし、アカデミズムが売買春を受け入れていることにはより深い原因がある。
高等教育機関はエリートたちの排他性の砦であり、何世紀も前から権力の中心である。その壁は、制度的な排除と差別の設計の上に成り立っている。女性、黒人、ユダヤ人、その他劣等とみなされた人々に対する排除と差別の上に成り立っている。だから、18歳の子どもたちに、売春は単に合意にもとづいた性的サービスの交換であり、性的解放の立派な現われであると信じ込ませるための逃げ口上を作ったとしても、驚くにはあたらないのだ。
売春に直接従事する人々を犯罪者としない法を制定することは必要だが、買春者を野放しにしてはならない。これらの買春者たちこそまさに、お金を払って性行為を強制し、数十億ドル規模のグローバルな搾取産業の利益を生み出しているのだ。性産業の代弁者たちはけっして性産業の実態について語りはしない。彼らは、フェミニスト的な「セックス・ポジティヴィティ」や「万人のための性的自由」といった偽りの物語を混ぜ込んで、現実をごまかす。
タフツ大学教授のロージア・ガルシア・ペーニャは次のように語る――「今、どの学校でも教えていること――つまり私たちが標準的な人文社会科学のカリキュラムだと考えていること――は、実際には白人至上主義に根ざしていますが、客観性という仮面をかぶっています」。
大学が10代の若者たちの脳髄に「セックスワーク」はいけており、その非犯罪化は社会正義への「進歩的」な道であるという考えを叩き込むと、それは疑問を呈することが難しい確固たるイデオロギーになってしまう。だが、本来アカデミズムがやるべきことは、売買春が、男性の自由な性的アクセスとそれへの女性の従属を保障するべく家父長制によって構築されたものであることを明らかにし、それに挑戦することであるはずだ。
教育者が教えるべきは、売買春という制度がヨーロッパの植民地主義、先住民女性の性的凌辱、奴隷にされた黒人女性に対するレイプによって爆発的に広がったこと、そしてその子孫たちがプランテーションに閉じ込められ、国を富ませる労働を強いられた歴史的事実である。性売買は、女性がいつでも、その年齢や人種ごとに定められた価格で、そして健康や生活への影響をまったく考慮されることなく売買されうる存在であることを、人々に絶えず思い出させる。
2018年にペース大学〔ニューヨークにある大学〕の女性・ジェンダー研究学科に入学したマリア・エリサ・エスコバルは、すぐに売春を「仕事(work)」とする言説に浸された。彼女は1年後、性暴力の被害者を支援する機関でインターンをするまで、そのレトリックに疑問を抱くことはなかった。そのとき初めて彼女は性産業のサバイバーたちに会ったのだ。
「彼女たちが経験した暴力の説明を聞いた瞬間、私は激しい内なる葛藤を感じました」とエスコバルは語る。彼女は今、15歳から28歳の若者が性的搾取について仲間に伝える米国の支援団体「搾取なき世界ユース連合」の共同設立者であり、コミュニケーション・コーディネーターだ。「サバイバーの話を聞いた翌日、私は授業でまた『セックスワーク』がいかにエンパワー的であるかという話を聞かされました。とても辛かったです。アカデミズムの世界では上下関係の掟がきわめて強固なので、手を挙げるのが怖かったのですが、私は徐々に教授たちに異議を唱えるようになりました」。そのような努力の後、エスコバルはある教授に「この問題に対する君の個人的考えは、成績には影響しない」から心配する必要はないと言われた。
しかしこれは例外的な事例であり、大学というプロパガンダ機関を卒業した人々の多くは、メディアや立法府、医療機関や非営利団体、シンクタンクやハリウッドへと入っていく。彼ら・彼女らはさらに社会正義運動に入り、政府機関にも就職する。売春は暴力でも、不正義でも、人種差別でも、女性差別でも、不平等でもないという揺るぎない確信を持ってだ。
70年前、幸せな家庭の主婦としての女性の運命をつくり出すことは、実に巧妙で非常に利益の上がるプロジェクトだった。今日、アカデミズムは、売春はエンパワー的だと教え込むことで、女性と少女の従属性と2級市民的地位を維持するための組織的な努力に加担している。そろそろこのようなことをやめなければならない。
エスコバルは教授たちにあえて逆らって、性産業の歴史とその害悪を検証した。卒業後、エスコバルは、たった一人で議論の流れを変え、大学そのものに影響を与えたとして、ペース大学から栄誉ある Trustees’ Award を授与された。
「私は、歴史が勝者によって書かれるということを学校で学びました。それで、進歩的な政治・正義・平等に関心を持っている教授たちは、被害を受けた人々が生きてきた歴史を教えることに誇りを持っています」とエスコバルは言う。「それと同じで、教授たちが性産業のサバイバーたちの声に耳を傾け始めたなら、性産業がけっして「仕事(work)」でないと教えることもできるのではないでしょうか」。
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