ツィツィ「セックスワーク・イデオロギーはアフリカの女性を売り飛ばす」

【解説】本稿は、2022年10月15日にロンドンで開催された「Students for sale: Tools for resistance」の午前のセッションにおけるツィツィ・マテカイレ(Tsitsi Matekaire)さんのスピーチを編集したものです。ツィツィさんはジンバブエ出身の活動家で、イクオリティ・ナウのスタッフで、本記事は、Nordic Model Now! のサイトから許可を得たうえで訳出したものです。

ツィツィ・マテカイレ

Nordic Model Now!, 2023年4月18日

 みなさん、おはようございます。私はイクオリティ・ナウという団体で活動しているツィツィと申します。イクオリティ・ナウは国際的な女性権利団体で、女性に対する暴力や性差別を法律を通じて解決するために活動しています。私たちのプログラム分野のひとつに、性的搾取への取り組みがあります。私たちは、国際的な法律や政策の枠組みを利用して、さまざまな国や状況の中で性的搾取に対処するよう取り組んでいます。

 今日の講演では、「セックスワーク・イズ・ワーク(セックスワークは普通の仕事)」というイデオロギーがグローバルサウスの女性たちに与える影響について話してほしいと依頼されました。そこで私は、何から話せばいいだろう、どのように位置づければいいのだろうと考えました。そこで、私が生まれた自分の国に戻り、そこで何が起きているのかを見て、なぜ「セックスワーク・イズ・ワーク」というイデオロギーがアフリカを含むグローバルサウスでこれほどまでに支配的になったのかについて話そうと思いました。

 今から40年近く前にさかのぼりますが、1983年、ジンバブエの警察は「クリーンアップ作戦」と呼ばれる作戦に乗り出しました。この作戦は、警察が街頭に出て、通りを徘徊しているとみなされた人々、つまり、浮浪者や売春婦とおぼしき人たちを片っ端から逮捕するというものでした。首都ハラレや他の都市のナイトクラブを一掃し、単に夜道を歩いて帰宅しているだけの女性たちを逮捕することもありました。最終的に、全国で何千人もの女性が売春の罪で逮捕されたのです。

 クリーンアップ作戦は、善良な女性は夜の街に出るべきでない、街を徘徊する女性たちが街を「汚している」、善良な女性は家で子供の世話や家族の面倒を見るべきだ、特に善良な黒人女性はそうすべきだ、という考え方に基づいていました。つまり、路上にいる女性はモラルがないとみなされ、法律や法執行機関がそれに対処する必要があるとされたのです。

 ではなぜ、警察はこんなことを平気でできたのでしょう。そして、どうして政府機関はこのようなアプローチを取ることができたのでしょうか。クリーンアップ作戦(これは今日まで続いているアプローチですが)は、ポストコロニアル時代のジンバブエの初期に始まったもので、イギリスからの独立宣言からわずか3年後のことでした。

 ジンバブエは、アフリカの他の国々も同様ですが、社会構造や植民地時代の歴史から、黒人女性は社会的梯子の一番下に位置づけられています。つまり、1980年代当時、アフリカの女性たちは、さまざまな要因によって最下層に位置していたのです。家父長制と白人支配はそれらの要因の一つですが、両者はジンバブエやその他の植民地支配下にあった国々において重要な要素であり続けました。白人男性が頂点に立ち、次に白人女性、次に黒人男性、最後に黒人女性という具合です。他の人種の男女は、これらの間のいずれかに位置しています。こうして黒人女性は、社会的な梯子の一番下に位置していました。植民地時代の法律は、このヒエラルキーを支えていました。

 1982年になってようやく、政府が「成年法」を制定し、黒人女性は18歳になった時点で独立した法的地位を与えられるようになりました。契約や銀行口座の開設、財産の購入や相続が可能になったのです。それまでは、彼女たちは夫や親族の男性の支配下にあったのです。基本的に、黒人女性として学校や仕事に行くことはできても、私たちは独立した存在ではなく、常にあれこれの男性に属し、彼らに従属する存在だったのです。私たち女性の存在目的は、親族の男性、ひいては男性全般の要求に応えることでした。善良な女性は、ある定められた振る舞いをし、男性の権威に従順であるべきだったのです。

 これが、売買春に対する道徳的アプローチの背景です。このアプローチは政府機関によって支持され、今日でも多くのアフリカ諸国で支配的です。そして、この道徳主義的アプローチは、公然不品行、すなわち売春で生活することを犯罪とする植民地時代の刑法(現在も施行されている)によって支持され、性売買で売買される女性を基本的に犯罪者とするものでした。売買春の中にいる女性たちを徘徊罪で逮捕することは、今日も多くのアフリカ諸国で続いています。

 つい1週間ほど前の2022年10月8日にも、ナイジェリアで8人の女性が逮捕され、警察から暴行を受けたという報道がありました。警察が使ったのは公然不品行禁止法でした。ポストコロニアリズム、警察の横暴、公然不品行禁止法という文脈の中で、この警察の暴虐に抗議する女性運動が盛り上がり始めました。いま振り返ってみると、警察の度重なる横暴こそ、売買春の完全非犯罪化という目標を構築するのに役立った要因のひとつだと私は考えています。なぜなら、女性をターゲットにした完全な犯罪化から脱却するには、完全な非犯罪化に移行するしかないという考えになりがちだからです。そして、このアプローチでは、北欧モデル(平等モデルとも呼ばれる)のような第三の道、すなわち買われている女性を非犯罪化して、業者と買春者を処罰するというアプローチは見えてこないからです。

 そしてもちろん、アフリカの文脈におけるもうひとつの要因は、HIV/AIDSの流行でした。1980年代から90年代にかけて、ジンバブエをはじめとする南部アフリカの国々(南アフリカ、ボツワナ、ナミビア、ザンビア、マラウイ、そして東はケニアまで)では、HIV/AIDSの大流行がコミュニティを荒廃させました。そして、疫学者や国連機関などがやってきて、「セックスワーカー」は脆弱なグループであり、彼らが医療を受けられる方法を検討する必要があると指摘したのです。いわゆる「被害軽減アプローチ」(売買春を合法化したうえで、その中での被害の軽減を目指すべきだとするアプローチ)と医療へのアクセスに大きな焦点が当てられ、売買春の根本的な原因に対処する必要性にはあまり焦点が当てられなかったのです。こうして、私たちが行き着いたのが現在の状況なのです。

 現在、2つの主張が支配的になっています。一方は、依然として売買春の完全犯罪化を求める道徳主義的な主張で、社会の保守層から多くの支持を得ています。他方は、「セックスワーク・イズ・ワーク」という主張で、犯罪化政策に対する解決策として売買春の完全非犯罪化が提唱され、それが、自分の体をコントロールできないといった束縛や道徳主義から女性を解放するものだと考えられています。

 しかし実際にはどうでしょうか。まず、完全な犯罪化政策を見ると、性売買で売買される人たちを犯罪者扱いし、汚名を着せているのが実情です。南アフリカのように、このアプローチを完全に実施している国を見ると、実際に見られるのは、残虐な目に遭っているのは被害者である女性当事者だということです。こうした状況に対する対応の一つとして、「セックスワーク・イズ・ワーク」というイデオロギーが流布しました。それはこう言います。これは、私の体であり、私の選択であり、女性としての解放であり、女性は「セックスワーク」を選ぶことができるし、「セックスワーク」のために国外に移住することもできるというものです。だから、この性売買の完全非犯罪化に向けて、この選択を可能とする法律や政策が必要だということになります。

 しかし、ディアスポラ・コミュニティや移住者の女性を含むアフリカの女性たちの経験を見ると、彼女らの経験はまったく異なることがわかります。犯罪化から完全非犯罪化へという動きは、性的搾取の一形態である売買春の根本原因や推進力に対処していないのです。貧困に起因するコミュニティの脆弱性や、生計を立てるための非常に限られた選択肢、そして人身売買業者や買春者がどのようにそれを利用しているかという議論に入る助けにはなりません。貧困やカースト制度、差別、長年にわたる周辺化によって、何世代にもわたって女性やその娘、孫娘が性売買で搾取されているという、世代間の売買春と性的搾取というストーリーにも触れられません。アフリカの観光地で観光客や旅行者に強要され売買される若い女性や少女の体験についても語られません。ケニアやガンビアなどの観光産業における売買春や性的搾取のレベルを見れば、それは途方もないもので、まったく受け入れがたい規模になっているというのにです。

 欧米やその他の地域の男性が生み出す需要に応えるために、アフリカの女性や少女たちがどのように自国から人身売買されて欧米諸国に行っているのかについても語られません。また、学費が払えないために「シュガーダディ(パパ活)」との契約セックスに追い込まれるアフリカの女子学生や、良い成績を餌に女子学生を性的に搾取する教員のことも語られません。

 ナイジェリアやガーナなどの国々で「成績のためのセックス」問題を取り上げたBBC制作のドキュメンタリーがありました。それによって、教員のうち2人が無給の停職処分を受けました。無給の停職処分、それだけです!

 これらはアフリカだけの問題ではなく、グローバルな問題であると、他の講演者の方は語りました。家父長制や男性優位のシステムは、私たちがヨーロッパにいてもアフリカにいても同じだからであり、どちらにおいても現在の売買春法は、男女平等の枠組みに基づいていないからです。まさにここに、北欧モデルが本当に果たすべき役割があるのです。

 私たちは、不平等や差別の根本原因に取り組む必要があります。私たちは、需要に目を向ける必要があります。そして、性売買の中にいる女性たちを支援し、彼女たちの離脱をサポートする必要があるのです。

 現在、私たちの国にある法律はその目的に合っていません。そのため、「セックスワーク・イズ・ワーク」というイデオロギーの影響は、グローバルサウスの女性たちの闘いを国民的議論から遠ざけ、国家の責任、特に脆弱性と搾取を生み出す根本原因に対処する必要性から遠ざけることになります。それはまた、男性の不処罰の文化をも永続させます。

 私たちの文化では、男性は永遠の未成年者であり、永遠の子どもであるから、彼らは自分たちがしていることを本当にはわかっていない、と言われています。彼らは子供と同じですから、女性として私たちは、夫を母親のごとく世話をし、コミュニティの男たちをみな世話すべきだというのです。

 こうして男たちは多くの責任から逃れることができるのです。買春も、ドメスティック・バイオレンスも大目に見られ、女性に対するあらゆる性的暴力やジェンダーに基づく暴力も許されるのです。私たちのコミュニティでは、あらゆる場面でこのようなことが見られ、そのせいで、性的搾取の結果として女性が経験する長期的かつ世代を超えたトラウマを認識することができなくなっているのです。

 アフリカでは現在、性売買の完全な非犯罪化を求める動きがありますが、南アフリカでは、エンブレイス・ディグニティ(Embrace Dignity)のような組織が、平等モデル(北欧モデル)型のアプローチを求める動きを強めており、南アフリカ政府がこれを採用するよう懸命に努力しています。また、マラウイのような国でも、地元の組織がイクオリティ・ナウや売買春反対連合(Coalition Against Prostitution)といった組織と提携して、北欧/平等モデルのアプローチが自国内で採用されるように協力しています。

 このアプローチは、ここイギリスでも、南アフリカやケニアなど他の国々と同様に適切なものであるのですから、私たちはグローバルな運動構築にもっと目を向けるべきでしょう。活動家として、あるいは「北欧モデル」を支持する者として、私たちはどのように団結し、これらの問題について開かれた議論を進めるためのグローバルな運動を構築することができるのでしょうか。イギリスでの私たちの闘いを他の国の女性たちが支えることができるよう、グローバルな連帯をどのように強化すればよいのでしょうか。

 結論として、私たちは多くの仕事をする必要がありますが、世界中の女性たちが集まれば、私たちの望む変化をもたらすことができると言いたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

出典:https://nordicmodelnow.org/2023/04/18/sex-work-is-real-work-ideology-sells-out-african-women/

投稿者: appjp

ポルノ・買春問題研究会(APP研)の国際情報サイトの作成と更新を担当しています。

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