アリス・グラス「売買春論争における3つの神話」

【解説】以下の文章は、売買春サバイバーであるアリス・グラスさんがイギリスのアボリショニスト団体 Nordic Model Now! (NMN)に発表したものであり、NMNの許可を得て、ここにその翻訳を紹介します。セックスワーク派が売買春を単なる労働として概念化するのを正当化するためによく持ち出してくる3つの論拠を的確に批判しています。

アリス・グラス

Nordic Model Now!, 2017年12月8日

 売買春をめぐる論争は、ここ数年で最も熱狂的に争われた論争の一つであるという不名誉な特徴を持っている。しかし、自分がどちらの「サイド」に属しているかを決定することは、一部の者にとっては、慎重に検討するべき対象というよりも、自分の政治的アイデンティティを特定の陣営に固定する方法であった。「売買春に肯定的な立場(pro-prostitution)」をとること――その枠内で意見はさまざまであるにせよ――は現代の進歩主義の指標となっている。それは、誰かの「正しさ」を証明するための確かな尺度であり、現代のポストモダン政治家たちに気に入られるための方法でもある。その中心をなす特徴は、社会的にはリバタリアンでありながら、奇妙なことに言説的には恐ろしく権威主義的なことだ。誰もがほとんど何をしてもいいが、ただし、政治的に流行している考えに間違いなくきちんと沿っているかぎりでのことだ。性産業の完全な自由化と正当化を擁護するために使われるレトリックにささやかな疑問を呈することさえ、無作法で、反動的で、差別的偏見の一形態とさえみなされている。

 それどころか、現在の性産業に関するアカデミックな研究の中には、確固としたイデオロギーに基づいた売買春肯定の立場から行なわれているものもある。それらは、暴力のレベルの高さ、とる客の数の多さ、仕事の断続性のレベル、経験する社会的スティグマの程度などが、被買春女性に見出される精神的・肉体的疾患の多さと相関していることを認めながらも(まるで今初めて明らかになったかのように)、非学術的でイデオロギー的な飛躍を行なって、ニュージーランドの「レッセフェール型」モデル〔売買春の完全非犯罪化〕によって売買春を完全に産業化することが問題解決につながると信じている。基本的に、彼らは売買春が問題だらけであることを研究で知りながら、売春産業とその不当利得者(プロフィッター)にもっと自由を与えることが救済策であると想定しているのである。このような想定は、国家による介入のどんな形態に対しても――とくに商業企業に対する介入に――反対するという政治的立場にもとづいている。そして、人と人とのどんな相互関係(性的なそれを含め)も、その結果や文脈がいかなるものであれ、完全に正当なものだという信念に基づいている。同様の議論は、ドメスティック・バイオレンス、レイプ、さらにはペドフィリア(児童性虐待)についてもなされてきた。国家が保護すべきものは、人々の財産と収入だけであって、それ以外にはほとんど何もないというわけだ。

 しかし、こうした議論の根底にあるのは、多くの人にとって不愉快なものなので、正面きって論じるよりも、問題のある思い込み、わざとらしい難解さ、明らかに浅薄な論理に至るまであらゆるものがこの議論のために動員されてきた。ここでは、そのうちのいくつかについて簡単に説明したいと思う。個々の問題それぞれについて長々と論じることもできるが、このリストは、性産業を支持するレトリックのいくつかに見られる問題点を簡単にまとめたものである。

1、「性産業が完全に非犯罪化されれば、売春婦は自分たちの労働者としての権利を守るために組合を結成するだろう

 漠然とした「左翼」側の議論でよく採用される議論の一つに、売買春が完全に産業化されたら、売春婦自身が労働組合を結成して自分たちの権利を求めて活動し、さらには「生産手段の掌握」さえするだろうというのがある。しかし、売春婦自身が生産物であることを考えると、これはほとんど何の意味もない。実際、マルクスもエンゲルスも、売春婦はルンペン・プロレタリアートの一員であり、したがって、ピンプの経済的・社会的な力に日常的に挑戦するような組合を結成することは不可能だとしている。マルクス主義理論の複雑な回廊を歩き回るつもりはないが、売買春が(何らかの形で)完全に市場化している国や地域でも、そのような組合が実際に出現していないことを考えると、これらの古い経済・哲学者たちも何かを見抜いていたのかもしれない。

 もちろん、ニュージーランド、オーストラリア、オランダ、ドイツにも売春組織は存在するが、それは性産業の業界とその周辺の政治と利益のためのロビー団体である。それらは労働組合ではない。マルクス主義フェミニストであるカイサ・エキス・エックマンは、その調査研究の中で、この誤りを徹底的に暴露した。

 「実際に組合として機能している組織に一つも出くわさなかった。つまり、組合員によって設立され、組合員から資金が調達され、その業界の被雇用者だけで構成され、その交渉相手が使用者や利得者であるような組織にだ。これらの団体のほとんどは、実際には、売春を『仕事』とラベリングすることで、性産業のあらゆる側面を合法化しようと努める利権団体であった。」

 一例を挙げよう。ニュージーランドの主な売春組織は、「ニュージーランド売春婦コレクティブ」(NZPC)であり、彼らはセックスワーカーの安全性を主張し、営利事業としての売春を非犯罪化する上で重要な役割を果たした。NZPCは、特定の目的を持った政治団体であるにもかかわらず、この分野の学術研究者が「統計」を提供するのによく利用されている。実際、彼らのウェブサイトには、売春婦とピンプの両方向けのサポートページが詳しく掲載されている。彼らは、「セックスワーカー」という言葉を、この業界に属するすべての者〔経営者やピンプを含む〕を指すものとして積極的に使用しているが、これも組合としての資格を失わせるものだ。

 彼らは、国内で最も経済的に成功した売春王として知られるチョウ・ブラザーズも支援しているようだが、彼らのストリップクラブや売春店で働く女性へのハラスメントや、利益を上げるために女性にできるだけ多くの酒を客に飲ませることを強要し、結果的に酩酊して危険な状態になっていることが問題になっている。女性たちが裁判所にハラスメントの件を持ち込んだとき、チョウの弁護士は次のように言っている。

「もし、彼女たちが言うようにひどい状況にあるのなら、なぜニュージーランド売春婦コレクティブは(われわれを)支援しているのか?」

 たいていは金持ちの男性企業家が利益の上がりそうな事業に手を出すための合法的な口実を作りだすことが、売春に日々の生活を追われている人々をエンパワーすることにはならないことは、別に天才でなくても理解できるはずだ。不安定な経済状況にある人々は、メンタルヘルス上の問題や依存症を抱えている可能性が高く、また総じて頻繁に移動する傾向があるため、労働組合の結成は夢物語である。

2、「売買春を非犯罪化しなければ、いっそう地下に潜ることになる

 「地下」という概念の曖昧な性質を考えると、これは非常に奇妙な主張である。この言葉は、定義可能な物質的現実を強調する特定の用語というよりも、日常や都市の外部にある、異世界的なものの漠然とした感覚を強調するために使われることが多い。実際、人々はこの言葉をさまざまな意味で使用しており、しばしば矛盾したものを意味している。

 時にそれは、「人目につかない場所」や「私的な場所」という意味で使われる。時には、法律に反して、あるいはさらに危険なことに、当局や国家、社会に反しているという意味で使われる。時にそれは、その本質上、より多くの危険を内包しているという意味で使われることもある。つまり、何かが、あるいは誰かが「他の人々の中に」まぎれて存在していればいるほど、その危険性は低くなるようだ。忙しい都市空間の方が、孤立した農村空間よりも暴力や残虐行為が多いことを考えると、これはなおさら奇妙である。たしかに、ホラー映画の中では、田舎の孤立した空間こそが恐怖に満ちた世界であるかのように非論理的に描かれているが。まあこれは余談だ。

 このつかみどころのない概念を具体的にどのように適用すればよいのか? 英国では、売買春は密室での1対1の「エクササイズ」としてのみ存在することができ、人目につかないという意味での「地下」の一つの定義には合致するが、「法律に反する」という意味での別の定義には合致しない。しかし、大都市には違法な売春店も数多く存在し、客にとっても「働きたい」と思う女性にとっても、目に見える形で存在しており、利用可能である。完全に非犯罪化すれば、女性たちが「路上から」離れるという考えには疑問が残る。〔非犯罪化されていなくても〕すでに売春店があるのに、なぜそれを利用しないのか? おそらく、私の経験でもそうだったが、路上を用いる女性たちは(薬物や深刻な社会的・健康的問題のために)病んでいる場合が多く、合法・非合法を問わず売春店の厳しい体制に対応できないからだろう。完全な非犯罪化は、売春店の規模を大きくし、利益や競争を特定の地域や手に集中させ、その結果、より少数の人々が市場をコントロールすることを可能にする。

 すると、これらの店は違法であるという点で「地下」だが、人目につくという点からすると地下ではないということになる。では、「いっそう地下に潜る」とはどういうことか? ネオンサインを消すということか? また、売春店が合法であっても、目に見えないところにあり、監督されておらず、統計に反映されにくいとしたらどうか?

 たとえば、ニュージーランドの「SOOB」と呼ばれる場所だ。売春店には最大4人の女性がいて、全員が「エージェント」、つまり利得者(ピンプ)とは無関係に働いているとされているため、認可を必要とせず、何の制約も受けていない。これらの売春店では、断続的な営業が認められており、プライバシーが守られているため、その運営状況について正確な情報を得ることは非常に困難である。想定されていないとはいえ、ピンプが経営していないとどうしてわかるのだろうか? 鎖につながれていないからか? 暴力がどの程度含まれているのかを知ることはできないし、さらに、他の人の近くで売春することでその暴力がどの程度軽減され、抑制されるのかを知ることはできない。これらの売春店が事実上、認知された状態で存在しているとしたら、地元のコミュニティは、強制、商業的な児童レイプ、強要などをどのように知ることができるのか? これが「地下」でないと言えるのか?

 路上での勧誘が制限された結果、女性は誰と車に乗るかを迅速に決定しなければならなくなったという、この制限に反対する議論についても同様のことが言えるだろう。この論法は、路上の売春婦が、より多くの時間を与えられれば、潜在的な殺人者を「見分ける」ことができるという仮定にもとづいており、実に根拠薄弱である。まるで殺人者には特徴的な態度があるかのようだ。忘れてはならないのは、イングランド東部のイプスウィッチで5人の女性が、昔からの買春者として知られるスティーブ・ライトによって残酷に殺害されたことだ。彼女らは彼のことを知っていたので、殺人者が逃亡中であることを知っていたにもかかわらず、彼の車に乗り込むことに何のためらいもなかったようだ。彼女たちは彼の存在の凡庸さを信頼していたのだ。

 また、売春婦のサマンサ・タッパーと受付嬢のアニー・イールズは、ギャリー・ハーディングのことを知っていた。彼は、彼女たちが働いていたシュロップシャーの売春店の常連客だったが、ハンマーで彼女たちを殴り殺したのである。また、合法化されているドイツやオランダのまったく公然と営業していたごく標準的な売春店での女性たちの殺害も忘れてはならない。

 実際、女性にとって根本的に危険なのは、内部ではなく、どこかの外部だという考え方はかなり奇妙だ。これは、女性にとって危険の源泉となる可能性が最も高いのは、危険な男性が自分の近くに連れてこられる(あるいはやって来る)ことだという基本的な事実を無視しており、それ自体が保守的な考えである。通常、そのような接近が可能になるのは室内だ。そして、危険な男たちは、女性との「親密さ」を手に入れるためならどんな自由でも容赦なく利用するし、売買春の中の女性たち相手ならそのような「親密さ」をふんだんに獲得することができるのだから、そういう男たちが周囲の社会によってごく普通の存在として扱われるなら、女性に対する彼の自由は拡張されることになるだろう。

 よく聞かれる質問は、「その女性の売春事情はどうなのか、安いのか高いのか、屋内なのか屋外なのか」であり、「その女性のより広い社会的状況はどうなのか、彼女がいなくなったことに気づいたり気にかけたりしてくれる親しい家族や友人はいるのか」ではないし、「男性の暴力を容認する社会にいるのか?」でもない。

 屋外(あるいは「地下」)での売春がより危険なのは、その外見上の性質によるのではなくて、むしろ暴力的男性が相手の弱みに付け込む能力による。すなわち彼らは、売買春の中の女性が社会的に価値のない存在とされていること、彼女たちの福利・安寧への社会的無関心、そして行方不明になっても通報されない可能性が高いこと、それどころかすでに行方不明とみなされていることが多いことを見て取っている。さらに、何人もの売春婦が一度に殺されないかぎり、社会全体は気にしないし、ほとんど気づきもしない。加えて、ドイツでは、屋内の小さなアパートの売春店が売春婦の殺害現場として最も可能性が高いのであり、この場合、「屋外であること」は「屋内であること」よりも「地下」であるわけではないという事実をはっきり示している。

 この「地下」という言葉が何を意味しているのか、何を指しているのか、その物質的な現実性は何なのか、性的搾取行為の非犯罪化を支持する議論として真剣に受け止められるためには、もっときちんとした説明が必要であろう。

3、「現役の売春婦だけが議論に参加すべきであり、元売春婦は参加すべきではない、もはや彼らのビジネスではないのだから

 この主張は馬鹿げているだけでなく、まったくもって非倫理的なものだ。というのも、性産業への批判や、性産業での経験を持つ人々からの反対意見を非正統化し、したがってそれを押さえつけ完全に否定したりする試みとして積極的に推進されているからだ。その論理は以下のようなものだ。現在、性産業に従事している人々は、法改正によって最も影響を受ける人たちであり、したがって、最大の発言権、あるいは決定権さえ持つべきである、と。しかし、この主張は少し検討しただけでたちまち破綻する。

 政策や法改正のためのロビー活動というのは、何年も、場合によっては何十年もかかる。英国では、2009年に施行された法律によって、強制的に、あるいは強要にもとづいて、誰かとの性行為にお金を払うことが違法とされるというような、わずかな変化はあったものの、この数十年間、この分野での変化は全体としては非常に緩やかだった。フランスのように、この分野での政治的変化が早かった場合でも、議会を通過させるのにたっぷり数年かかっている。これは、諸政党を味方につけるための事前の政治的関与やエネルギー、あるいは改革後に影響が一方的に知られるようになるまでの時間の長さを考慮したものだ。

 現在ロビー活動を行なっている売春関係者が、何であれ結果的に法律変更の影響を受けることになるという考え方は、大いに疑わしい。現在、売買春の中にいる人々の中で最も表立って声高にニュージーランド・モデルを支持している人たちの多くは、ローラ・リー、マギー・マクニール、ミストレス・マティス、シャーロット・ローズなど、中年か、それに近い年齢の女性だ。「英国売春婦コレクティブ(ECP)」のスポークスパーソンであるカリ・ミッチェルやニキ・アダムスのような女性たち(性産業内における彼女たちの経験は曖昧で、確かめるのは困難である)も同様である。英国や北米で今後5年間に大きな変化が起こったとしても、これらの女性たちが長期的な影響の最前線にいる可能性はきわめて低い。緊急の政策変更を除くすべての政策分野において、私たちは一般的かつ論理的に、アクティビズムは次の世代に関わるものだと考えている。それらの人々が誰であろうと、それがいつであろうとだ。

 加えて、売春婦というのはきわめて断続的で一過性の集団であり、この業界に出たり入ったりを繰り返すことが多い。私も以前に売春をしていたことがあるので、他の女性よりも再び売春をする可能性が高い。実際、私が知っている多くのサバイバーや離脱した女性たちも、自暴自棄になって一時的に「戻った」ことがある。必要とされる長期的かつ根本的な支援は、現場では乏しい。実際、「救済ではなく権利を」というコンセプトは、売春を続けたいと願う人々と、売春をやめたいと願う人々とを積極的に(実践的にそうでなくとも、少なくとも理論的には)対立させ、前者を優先させる。しかし、繰り返しになるが、私たちのうちほとんどは主たる受益者になることはない。若い活動家でさえ、変化が定着した後に何年も売春を続けることはないだろう。

 したがって、私たち全員が共有する政治的な立場とは、私たちがこの業界での経験を持ち、その場所から、その知識をもって語ることができるということだけであり、その場合であっても、その立場はより広い構図の中に位置づけられなければならない。

 しかし、このようなレトリック〔現役の売春婦だけに発言権がある〕が存在するのは、ニュージーランド・モデルの推進に批判的な人々は、離脱後に批判的になる可能性が高いことが知られているからだ。離脱以前にそうなることができないのは、売買春という環境が及ぼす心理的影響に対処するために一定の発想の単純さを維持する必要があるためと、発言することでその個人が攻撃される可能性を避けるためだ。北欧モデルを支持する当事者女性は、買春者からの復讐による暴力の可能性も考えて、二重に沈黙を維持しなければならない。これは性産業の実存的問題である。ちょうどDV(ドメスティック・バイオレンス)対策を現在虐待を受けている人たちの希望だけに基づいて行なうことが不合理であるように、この業界においても同じことが言える。

 また、何度も何度も明らかにされてきた基本的な事実として、「セックスワーカー」という言葉が、ピンプや利得者を含む実に広範囲な人々を意味するアンブレラタームとして用いられていることについては、いっさい議論がなされていない。つまり、何年も売春をしてきた人が、売春で利得を得ている連中によってその証言を無効化されてしまうのである。これは結局、性産業での業者やピンプの利得を非犯罪化しようとする政策なのではないか? それなら筋が通っている。

出典:https://nordicmodelnow.org/2017/12/08/alice-glass-challenges-three-common-myths-in-the-prostitution-debate/

投稿者: appjp

ポルノ・買春問題研究会(APP研)の国際情報サイトの作成と更新を担当しています。