ジェン・アイザクソン「フーコーからサンフランシスコへ――クィア理論の不変のルーツ」

【解説】本稿は、イギリスのラディカル・フェミニストでマルクス主義者でもあるジェン・アイザクソンさんが、彼女の主催するサイト「On the Woman Question」に掲載された論文の全訳です。著者の許可を得て、ここに掲載します。クィア理論が本質的にペドフィリアを肯定するものであり、欧米左翼とアカデミズムがクイア理論によって蝕まれ、それがいかに政治的に危険であるかが明らかにされています。

ジェン・アイザクソン

On the Woman Question, 2020年8月12日

 今日、クィア理論は欧米アカデミーの人文科学系において必須科目として教えられているが、半世紀前のその歴史的ルーツはシラバスに含まれない傾向がある。私たちは、クィア理論の起源が何であるのか、セクシュアリティをめぐる問題でクィア思想家たちがやたら目立っているのはどうしてなのかについて問わなければならない。

 クィア理論とクィア政治がほとんど疑う余地のないものとなっている現在の状況以前には、「セックス戦争」としてよく知られるように、1980年代を通じてずっと両者に対する異議申し立てと争いが存在した。対立しあった陣営は主に、一方における、セクシュアリティは他のテーマと同様に容赦のない批判にさらされるべきだと考えるラディカル・フェミニストおよびレズビアン・フェミニストたちと、他方における「キンク(性的倒錯)」の支持者たちだった。

 キンクの美徳――何よりも「BDSM(緊縛・支配・サド・マゾ)」という形態でのそれ――を唱える人々は、「何か性的なものが欲されるなら、それは道徳的に良いことであるに違いない」「その欲求とそれに伴う性行為は、〔規範に対して〕侵犯的であればあるほど良い」という、粗雑で単純な考えを抱いていた。この主張は、男も女も支配と服従をエロチック化することへと社会化されているという理論を唱えるラディカル・フェミニストやレズビアン・フェミニストの立場とは真っ向から対立するものだった。レズビアン・フェミニストによれば、私たちは、疎外された不平等で不公正な社会に生きている。そのため、私たちはそうしたヒエラルキーを性的にも再生産するように仕向けられている。これらの「セックス・クリティカルな」〔現在の性のあり方に批判的な〕フェミニストたちは、家父長制のもとで社会的に構築されている性の現状を暴露して、既存の社会秩序に対して全面的に挑戦しなければならないと主張した。これらのフェミニストの目標は、社会を上から下まで完全に変革することだった。一方、「セックス・ポジティブ」と呼ばれる活動家たちは、革ヒモでお互いを叩き合い、それを「政治」と呼んでいた。彼らはまた、自分たちのサブカルチャーである革叩きを支持する文章を盛んに書いていたが、これがクィア理論の始まりであった。

 クィア理論の成立を画するのは、ゲイル・ルービンが1984年に発表した「性を考える――性の政治学のラディカルな理論のための覚書(Thinking Sex: Notes For A Radical Theory of the Politics of Sexuality)」という広く知られている文書だ(ここで読むことができる)〔邦訳は『現代思想』第25巻6号、1997年〕。ルービンは、1978年にレズビアン・フェミニストとしてサンフランシスコにやってきたが、ゲイ男性のレザーSM文化を研究した直後、自ら革パンツを身につけ、「ブッチ・レザー・ダディ・ドム」〔女性が革の服を着て男を調教する〕のペルソナに扮した。

 「セックスを考える」のほぼ半分は、大人が子どもと性的接触をすることや、子どもが学校で性的イメージに曝されることを肯定することに費やされている。ルービンは、このことに反対するのは見当違いであり、そのような反対は、同性愛をはじめ、歴史的に疎外されてきた「その他」のセクシュアリティに対する攻撃としてのみ存在すると述べている。彼女は、性的に他者化されてきた諸グループの「世間的受容度」のピラミッドを作成し、一番上にはゲイやレズビアンの長期カップル、真ん中にはフェティシストやBDSMの実践者、そして一番下には「エロティシズムが世代間の境界を越えている」人々がいるとしている。プライドマーチで「レザー・パピー」グループ〔革で作られた犬の面をかぶって首輪をつけられ四つん這いで歩く集団〕が観察されると、しばしば困惑と恐怖を感じるが、クィア政治が最初から同性愛と並べてこれらの性行為を列挙し、それを受け入れていたことを思い出すべきだろう。

 ルービンは、フーコーの『性の歴史』の一節を引用しているが、その中でフーコーは残忍な夫といっしょに、性的に両義的であると彼がみなす子供たちを同じカテゴリーに入れている。

 年齢以上に生意気な子供、性的に早熟な少女、中性的な男子生徒、いかがわしい使用人や教育者、残忍なあるいは、いかれた夫、孤独な収集家、奇怪な衝動を持つ放浪者であり、こういった人々が、矯正施設、流刑地、法廷、精神病院に出没し、医者には自分たちの不品行を訴え、裁判官には自分たちの病いを伝えた。これが、倒錯者たちの無数の一族であり、犯罪者と仲良く同居し、狂人に似てくるのである。〔ミシェル・フーコー『性の歴史――知への意志』Ⅰ、新潮社、1986年、52頁。英訳はかなり異なるが、ここでは基本的に英訳に基づいて訳しておく〕

 私たちはここで、何が「クィア」とみなされるかについて洞察を得ることができる。もし「クィア」が単に反規範的なものであるならば、「残忍な」夫はどのようにしてそれに当てはまるのか? 論理的には、妻を殴ることは厳密な意味では法に反しているという事実に基づいている。しかし、ドメスティック・バイオレンスが犯罪化されても、それが社会の規範として根絶されたわけではない。フーコーは、マルクスが「ヘーゲル法哲学批判序説」(1844年)や「ユダヤ人問題」(1844年)でやっているのとは違って、「社会的なもの」(社会)と「政治」(国家)とを区別するのではなく、拡大された脱中心的な国家を考えている。フーコーにとって、そしてクィア理論家にとって「規範的なもの」とは、国家が法律で禁じていないもののことであって、社会の中で事実上規範的なものとして存在するものではない。フーコーの国家論はアナーキストのあいだで人気を博したのだが、国家と闘いさえすれば、残りの社会はもはや社会的害悪に苦しむことはないかのようにみなしたからである。

 「性的に早熟な少女」や「中性的な男子生徒」を「残忍な、あるいはいかれた夫」と並べるのは奇妙な取り合わせである。「奇妙」というのは、第1に、夫の残忍さが夫自身の行動によるものであるのと同じく、子どものセクシュアライゼーション(性的に扱うこと)がまるで子どもたち自身によってなされるプロセスであるかのように暗示しているからである。第2に、国家権力に対する力の差を無視している点でも奇妙である。家庭内の夫は、法的にも社会的にも、子どもよりもはるかに大きな力と地位を持っている。さらに、これらのカテゴリーはどのような意味で規範から逸脱しているのか? 夫が妻や子供に対して残忍な行為をすることは珍しいことではない。残念ながら、子どもを性的に扱ったり、子どもに対する性的虐待も珍しいことではない。どちらも歴史から逸脱したものではなく、過去5000年間の家父長制の中で厳然と存在しつづけ、規範となってきたものに他ならない。

 フーコーが「性的に早熟な女子学生」と「中性的な男子学生」を「倒錯者」として分類したことは、小児性愛者の文化に通じるものであるのは間違いない。「孤独な収集家」や「放浪者」が倒錯者であるかどうかは、定かではない。明らかにこれは何を収集しているのか、放浪しているときにどんな身なりをしているのかに、明らかに依存する!

 ルービンは「セックスを考える」の中で、子どものセクシュアライゼーションに反対するのは「エロティック・ヒステリー」であり、一種のリビドー的に引き起こされた道徳的パニックであると主張している。これは、性的境界線を保護することを求めるセックス・クリティカルなフェミニストを、性的に抑圧された堅物にすぎないとする例の古典的考え方と同類だとみなしうるだろう。自分が否認しているものによって無意識に興奮しているのだという考えは、「フェミニストに必要なのはただ良いセックスだけだ」というミソジニストの古典的セリフにそのままつながっている。

 ルービンは、靴へのフェティッシュは、「ピリ辛料理」を好むことによく似ているという命題を提出する。「セックスを考える」のエピグラフは、女性器切除(FGM)についての記述である。ルービンがFGMを擁護しているというのではなく、この例や、靴のフェティシズムと食べ物の好みを比較することは、まったく異なる問題をいっしょくたにするために使われているということである。性的フェティシズムと食事の好みを比較することは、フェティシズム的な性行為を、食事をめぐる判断と同じくらいありきたりなものにすることである。

 ルービンは、子どものセクシュアライゼーションに反対することをFGMに重ねあわせることで、子どもの性的虐待から子どもを守ろうとするフェミニストを、あたかも少女の性器を切除することで取り返しのつかない損害を与える大人たちと同類であるかのように描き出している。このほのめかしは、すべての嗜好を等しく無害なものとみなし、女性器切除のような措置をセックス・クリティカルなフェミニストに投影しているのである。あたかも、子どもをセクシュアル化しているのは私たちであり、脱セックスのために性器を切除しようとしているかのように、そしてそれが私たちの思考の論理的な終着点であるかのようにほのめかしているのだ。

 クィア理論は、いかなる性行為も問題視しないという観点からセクシュアリティを研究対象とする。香辛料の効きすぎた食べ物に遭遇したからといって、複雑性PTSDを発症する人はいるだろうか? しかし、児童性虐待(CSA)や、ポルノやBDSMなどの暴力的な性の世界に参加した結果として複雑性PTSDを引き起こす例はいくらでもある。自分の靴フェチにトラウマを抱く人はいるだろうか? しかし、他人のフェチにさらされた場合、たとえば、男が通行人に見られることで性的興奮を感じるというフェチの持ち主で、それゆえに公共の場で自慰行為をする場合、それを目撃した通行人がトラウマを持つ可能性は、確かに存在する。多くの女性が知っているように、このような「フラッシュバック」は非常によくあることだ。これらの問題を意図的にいっしょくたにすることで、私たちがこれらの問題を切り離すことができないようにしているのだ。

 「同意」という概念が以上の問題を明確にすると言う人がいるかもしれないが、ルービンはこの用語を児童の性交同意年齢法に反対するために、そしてBDSM内部の同意との比較をするためにのみ持ち出している。性的問題を社会的な権力構造から切り離し、BDSMを権力の「脱構築」の可能性に満ちた一種の「遊び」として特徴づけることは(それが実際には権力を再生産することにもとづいた性的興奮であるにもかかわらず)、クィア政治の戦術であり、クィア理論の中でも悪名高いやり口である(たとえば、ジュディス・バトラーのポルノ論)。支配と服従を伴わないセックスの可能性は、排除されるか、少なくとも関心を持つに値しないものであって、クィア理論の埒外に存在するものとして片づけられている。

 ルービンは、売買春、ポルノ、サドマゾヒズムなどを含め、「異なる性文化」は「人間の創意工夫のユニークな表現」として称賛されるべきだと主張している。今日、クィア政治は、露出主義、ポリアモリー、「赤ちゃんプレイ」、その他の性的形態をLGBT政治に挿入し続けている(もしそのリストがバラバラであったり、評判を傷つけるものだと考えられるとしても、それはクィア政治が決めたグループ分けである)。「リストの羅列」傾向は、最近のSNSで人気のスタイルであることから、ごく最近の産物であると考える人も多いが、それは最初からクィア政治に内在するものである。最初からクィアは、反規範性ではなく、あらゆる種類の境界を取り除くことを主な特徴としている。性的な境界が存在しないということは、レズビアンやゲイの人たちが、「クィア」を自称するストレートのデミセクシュアル(半性愛)なフェムドム〔女性優位のSM〕と同じカテゴリーに分類されてしまうということだ。

 「性を考える」を執筆する数年前、ゲイル・ルービンはパット・カリフィアとともにサンフランシスコで結成されたアメリカ初の組織化されたレズビアンBDSMグループ「サモア(Samois)」に参加していた。このグループの名前は、『O嬢の物語』に登場する女支配者の架空の屋敷があるサモア・シュル・セーヌ(Samois-sur-Seine)からとったものだ(この女支配者は、主人公である名前のない女性(Oとしか呼ばれていない)にピアスや焼印をする)。カリフィアは、『マッチョなあばずれ』(1988年)という本の著者であり、緊縛されたユダヤ人の恋人の肩に鉤十字を彫ったことでも有名である。カリフィアはこれを「かすり傷程度」と正当化しているが、それにもかかわらず、恋人はその後、治療を必要とした。今では「人種プレー」と呼ばれるようになるこの事件の政治的意味は、クィア政治の世界では、何かがエロティックなものになれば、それは何らかの形で受容され、政治的な批判を超えてしまうということである。イギリスの極左は、2014年の「キンキー分裂」事件〔イギリスの国際社会主義グループのメンバーがSMを擁護する議論を公表し、それをめぐって批判派と擁護派とで党内対立が起きて、指導部が分裂した事件〕で、この狂気の一端を経験した。

 左派はクィア理論を採用することで危険を冒している。というのもそれは、ペドフィリア擁護論にもとづいているだけでなく、今なおその軌道がペド的起源からそれほど離れていないからだ。私たちが現在直面しているのは、「ドラァグクイーン・ストーリータイム〔ドラァグクイーンが子供に本の読み聞かせをするイベント〕」という形で子どもたちをセクシュアル化したり、BDSMや売買春を女性に対する性暴力の一形態と考えるフェミニストを悪魔化したりしている事態である。

 今日見られるような極端な不平等のない世界、支配と服従のない世界は、被抑圧集団の真の解放を求める人にとっての目標であることは間違いない。ベッドルームでそのような抑圧を再現することは、この目標を妨げることになるのは明らかだ。社会的な現実として、主体=従者(subjects)たる私たちは、支配と服従が隅々まで浸透した社会によって、そのようにさせられているのだ。ラディカルな反抗者(objects)にとって、これは必然的なことではなく、抗うことのできるものだ。クィア政治にとって、セックス・クリティカルなフェミニストが非常に危険な存在である理由は、彼女たちが社会的なヒエラルキーを単に制度的レベルやより広範な公的領域において転覆し破壊する危険性があるからだけでなく、台所やベッドルームという私的世界においてこれらのヒエラルキーを再現する試みをも脅かす危険性があるからだ。

 今日、クィア理論は、ジュディス・バトラーとジェンダー・パフォーマティヴィティの理論という形態に至っている。かつて若きバトラーは、1970年代後半にサンフランシスコを訪れ、レズビアン・フェミニストとして登場し、「レズビアンSM――脱幻想の政治学」(1980年)という、フーコーを批判するエッセイまで書いていたが、その後、1990年までにジェンダー・イデオロギーの提唱者へと変貌を遂げた。バトラーはルービンやパット・カリフィアとは異なるが、2人がバトラーに与えた影響や、彼女たちが共有していたサンフランシスコのレズビアン界隈の政治的影響は明らかである。このようなクィア政治とその不可避的な文脈を背景にして、今日私たちがクィア理論として知っているものの多くが発酵したのである。

 バトラーの作品は広く誤解されているが、その誤解の大部分は忠実な支持者たちによるものだ。彼女のパフォーマティヴィティの再概念化(彼女は昨夏、『ニューヨーク・タイムズ紙』においてそれを放棄したが)は、ジェンダー、ポルノ、人種に関する彼女の広範な理論的理解と並んで、独自の論稿に値するものである。

出典:https://onthewomanquestion.com/2020/08/12/from-foucault-to-san-francisco-the-enduring-roots-of-queer-theory/

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投稿者: appjp

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