ク・ジヘ「シーラ・ジェフリーズ『美とミソジニー』韓国語版序文」

【解説】以下は、2018年7月に出版されたシーラ・ジェフリーズの『美とミソジニー』の韓国語版に付されたク・ジヘさんによる序文の全訳です。同書は出版されてすぐに増刷となり、大きな話題となりました。韓国語版出版元のヨルダ・ブックスの許可を得てここに紹介します。シーラ・ジェフリーズさんはイギリス生まれのラディカル・フェミニストで、これまで、売買春をはじめとする性産業、性革命、トランスジェンダリズムに対する批判や、レズビアニズムの歴史などについて10冊以上の単著を出し、最も最近では自伝を出版しています。シーラ・ジェフリーズさんの著作の日本語訳はまだ存在しませんが、いずれこの日本でも出版される日が来るでしょう。

ク・ジヘ(ヨルダ・ブックス代表)

 韓国の新しい世代のフェミニストたちは「コルセット」からの脱却をめざす爆発的な女性運動を主導している。ビクトリア朝期の拷問具であるコルセットが現代の韓国に? いやそうではない。しかし彼女たちは、女性に強制されている有害な慣行の象徴としてこの衣服の名称を用いており、それはもともとの慣行と非常によく似た働きをしている。運動に参加した個々のフェミニストのアンソロジーである『ルートレス・フェミニズム』では、「コルセット」は次のように定義されている。

 女性に差別的に期待されるすべての慣行、あるいは女性がミソジニーやセクシズムに慣れていることにもとづいた、抑圧への女性の適応。時には、そのような慣行を実行したり、抑圧に適応したりする女性自身を意味することもある。化粧やダイエット、美容整形などは「美のコルセット」であり、女性は常に親切で思いやりがあり、ルールを守って正しいことをすると期待されるのは「道徳的コルセット」である。女性が「コルセット」を脱ぐとき、社会的圧力に抵抗しながら、これらの抑圧的な慣行や基準から離れて歩き出すのである。[1]

 そういう意味で、韓国では「コルセット」を脱ぐ女性たちが増えている。長い髪を短く切ったり、頭を完全に剃ったりしている。スカートやハイヒールを燃やしている。ブラジャーを捨てている。学生たちはスカートの制服を脱ぎ捨て、より機能的なパンツを履いている。そして、ツイッター、インスタグラム、YouTube、フェイスブックなど、基本的にインターネット上のあらゆる場所に自分たちの写真をアップして、他の姉妹たちがそれに倣うことを奨励している。自分のチャンネルで化粧や美容整形のアドバイスをしていた数人の美人ユーチューバーが、コルセットを脱ぐことを公言し、他の女性たちをコルセットに縛りつけていた自らの役割を悔い改めた。この現象はあまりにも大きくなってしまったため、メイルストリーム〔男性を意味するmaleとメインストリームとを組み合わせた言葉〕の新聞やテレビ番組は、常に的を得ているわけではないが、これを取り上げずにはいられなかった。

韓国語版の『美とミソジニー』の表紙

 有害な美容行為に関するシーラ・ジェフリーズの包括的な著作は、これ以上になく適切な時期に韓国語に翻訳された。そして、ジェフリーズがこの本の中で取り上げている諸行為は、韓国のフェミニストたちが「コルセット」と認識しているものとほぼ重なるものであり、韓国版の題名を『コルセット――美とミソジニー』にしたのもうなづける。美容整形、ダイエット、化粧、脱毛、ハイヒールなどの美容行為が脱コルセット運動の主要なターゲットだが、女性が特定の方法でしか歩けない、話せない、感情を表現できないという社会的制約も問題にしている。ジェフリーズも、横行するこれらの諸行為の弊害を明らかにするにとどまらず、ハイヒールと中国の纏足との類似性から、美容整形手術などの「代理人による自傷行為」、トランスジェンダリズム、ピアスやタトゥー、さらには「選択」と「主体性」の表現としてこれらの危険な行為を支持するポストモダンの議論に至るまで、幅広いテーマを網羅している。これらの諸行為はすべて、国連の言う「有害な伝統的・文化的慣行」の概念として認識されなければならないと彼女は主張している。彼女はこれらの「コルセット」を、男性のセクシュアリティに奉仕する性産業だけでなく、男性のフェティシズムやゲイ男性のミソジニーにも説得力を持って結びつけている。美に対する彼女の鋭い批判と非妥協的なアプローチは、韓国のフェミニストたちの「コルセット」からの脱却運動の核心にあるものと酷似しており、本書をきわめて今日性の高いものにしている。

 シーラ・ジェフリーズの作品が韓国の読者に初めて紹介されたのは、同じヨルダ・ブックスから出版された彼女の論文集『ラディカル・フェミニズム』においてだった。イギリス出身の第二波フェミニストであるジェフリーズは、1970年代に髪を短く切り、化粧やハイヒール、スカートを捨てて「コルセット」を脱ぐことに成功した。また、彼女は異性愛を捨て、レズビアンであることを自認するようになった。70歳の学者であり活動家でもある彼女は、最近メルボルン大学の教職を退任したが、母国に戻っても、講義をしたり本を書いたりと積極的なフェミニストであり続けている。性階級や売買春、男性の性行動に対する彼女の大胆不敵な批判は、彼女がまだ大学の教授であったときから攻撃的な反応を引き起こし、オフィスのドアに名前を貼ることすらできないほどだった。

 彼女が住んでいたイギリスとオーストラリアは、フェミニストの議論に重要な文脈を提供している。売買春が合法化されているオーストラリアの事例は、商業的性搾取をノーマルなものとし非犯罪化することによって、女性の人権がいかに侵害されうるかを示している。これは、この特定のタイプの搾取を「セックスワーク」と呼ぶ人々の主張を受け入れれば、他の国で何が起こりうるかを示す明白な証拠である。一方、イギリスは、生物学的な性別とは別の、自分の希望する性別として市民が認識されることを可能にしたジェンダー承認法によって、多くの問題や紛争が噴出した国である。

 ラディカル・フェミニズムに対する誹謗中傷として最もよく用いられるものの一つは、それが白人エリートの中産階級女性を中心にしているというものだが、オーストラリアやイギリスなどの先進国がどのように女性問題を扱っているのかを見ることはとても重要だ。そうすることで、西欧の文化帝国主義的な考え方がいかにミソジニーの本質を曖昧にしているかだけでなく、経済的繁栄と表向きの「選択」がいかに女性の市民としての平等な地位を保証していないかを理解することができる。欧米的な偏見に満ちたミソジニー的な「美の基準」に対する著者の鋭い議論は、ヴェールをかぶるか化粧をするかという押しつけられた選択を超えた、真の自由を女性が想像するのを助けてくれる。

 ジェフリーズが取り組んでいるのは、美容行為(美の実践)に関するリベラル・フェミニズムとポストモダン・フェミニズムの観点に反論することである。『ラディカル・フェミニズム』が出版された頃、そして一部は同書自身の影響もあって、韓国ではラディカル・フェミニズムとリベラル・フェミニズムとの分岐が生まれ始めた。ラディカル・フェミニストは、その語源が示すように、男性支配の根源に迫り、それを根絶しようとする。商業的性搾取やポルノに断固として反対し、それらを完全に廃絶しようとする。彼らは、「セックスワーク」からトランスジェンダリズムまで、すべてが女性の主体性(agency)の表現であるかのような考え方を批判する。彼女らにとってのジェンダーとは性のヒエラルキーの現われであり、尊重すべきものではなく、解体されるべきものだ。構造的な変革は個人的な変革と手を携えて行なわれるべきだと彼女たちは信じている。韓国のラディカル・フェミニストは、主にフェイスブックや ツイッター などの多くのプラットフォームを通じてオンラインで交流している。彼女らにとって象徴的な意味を持つプラットフォームの一つが、多くの紆余曲折を経て2017年にようやく独立したウェブサイトとして立ち上がったフォーラム「Womad」だ。韓国で最も物議を醸し、おそらく最も変革的なウェブサイトの一つである「Womad」は、フェミニズムはあれもしないこれもしないといった主張に左右されないようミサンドリーの旗のもとで活動している。メンバーのほとんどが女性で、「女性のことでなければ、私たちには重要ではない」という態度を貫いている。彼女らは、従属的な地位を決定しているのは生物学的性別であり、家父長制が攻撃の対象とするのは女性の身体であると考えている。

 それとは対照的に、リベラル・フェミニストたちは、表面に現われているものに焦点を当て、その下にあるものを無視する。ポストモダニズム的思考に深く触発されているリベラル・フェミニストたちは、個人の生活や行動がマクロレベルでのパターンに収まるという考え方に抵抗している。彼女らは「セックスワーク」と「性的人身売買」とのあいだに一線を引いている。売買春はそれ自体として暴力であり搾取であるというラディカルな観点とは違って、暴力や搾取から切り離せば売買春は良いものになると主張している。彼女らの目標は、売買春をなくすことではなく、買春された女性たちの労働条件を改善することだ。違法に撮影された女性の性的にあからまな画像――韓国では「モルカ」と呼ばれている[2]――は韓国の主要な女性問題であり、2018年6月には、全員が女性からなる4万5000人もの抗議者たちを街頭に駆り立てた。これは韓国史上最大規模の女性の、そして女性限定の抗議行動となった[3]。

 韓国のリベラル・フェミニストたちは、許可なく誰かの人生をポルノにすることの深刻さには同意するが、合法的に行なわれた女性の性的搾取には何の問題もないと考えている。このような女性の「選択」の背後にある諸要因を無視して、いわゆる「性革命」を女性の解放と同一視している。彼女らは、ジェンダーがフラットな平面上にあると信じているので、生物学的性別に関係なく、ジェンダーを選択したり、入れ替えたりすることができると考えている。ジェンダー・ヒエラルキーを覆すと彼女たちは主張するが、実際にはジェンダーの概念にしがみついていて、それを取り除くことをいっそう困難にしている。彼女たちのマントラによると、クロスドレッシング(異性装)、ドラァグ、BDSM(ボンディジ、ドミナンス、サド・マゾヒズム)、そして何百もの異なる「ジェンダー」の1つないしそれ以上として自己を認識することは、ジェンダーを「遂行」ないし「表現」するための方法である。クィア理論や「セックスワーク」キャンペーンは、このような見解を支持するためのアカデミックな議論を生み出している。当然のことながら、リベラル・フェミニスト陣営には、「越境的」行為を行なう男たちがいっぱいいる。

 女性に押しつけられた美容行為に対するラディカル・フェミニストの抵抗は、必然的にトランスジェンダリズムへの批判につながる。本書の第3章でジェフリーズは、韓国のフェミニストたちが今最も激しく分裂しているテーマの一つである「トランスフェミニニティ」の問題を取り上げている。ジェンダーと「戯れる」ことが好きな人にとって必要不可欠なのは、女らしさ(フェミニニティ)とそれに伴うさまざまな諸実践の組み合わせである。化粧、ハイヒール、スカート、ロングヘアへの彼らの愛着は、女性に対して女らしさを徴表として身につけるよう求める文化的要求に対するラディカル・フェミニストの反抗とは真っ向から対立する。「脱コルセット」運動家たちは、自分自身を美しく見せるためのあらゆる努力を、韓国の異性装者たちのスラングを借りて、「アゲアゲ」の活動と呼んでいる。「アゲアゲ」を終えた男を見ると、女らしさの日常的な実践がいかにぎこちなく不自然なものであるかがよくわかる。異性装者だけが「女装している」集団なのではない。女性自身が「女装」することを期待されており、そのほとんどがそうしている。一部のリベラル・フェミニストは、この苦痛を伴う要求が、いわゆる「シスジェンダー」女性の有するある種の特権であるという歪んだ見方をしている。男性から女性へのトランスジェンダーは、化粧をしてヒールを履いているのだから女性として認められなければならないと主張することで、ジェフリーズの言葉を借りれば、「性的差異/服従」の永続化に寄与している。彼らの中には、自分たちこそが本物の女性であって、美容行為を拒否する女たちはそうではないとまで宣言する者もいる。

 ジェフリーズは数ページを割いて、マドンナが性産業を代表することでいかにフェミニストのヒーローにされてきたかを明らかにしている。これは、K-POP歌手のIUがリベラル・フェミニストの間で女性の主体性の象徴とされていることと符合している。IUをはじめとする多くの韓国セレブは、ペドファイル的な「ロリータ」文化を繰り返し表現し、少女を連想させる服を着たりそうした振る舞いを模倣したりしている。彼女たちは、男性の救世主を必要とする無邪気で無力な少女のイメージを売りにしている。例えば、IUは「Twenty-three」のミュージックビデオで哺乳瓶からミルクを吸う仕草をしている[4]。多くのティーンのラディカル・フェミニストたちは自らの実体験をシェアしあって、自分たちがそのような有害なイメージの直接の被害者であることを証言している。ジェフリーズが本書の第6章で言及しているように、世界中の化粧品会社は、若い女の子たちに化粧の習慣を広めようと躍起になっている。韓国ではそのような試みが成功しており、小学6年生ぐらいになると化粧をしていない女の子を見つけるのは困難であり、中学生の制服には口紅用の内ポケットが付いているものもある。中学校の女子生徒は、化粧をしないのはエチケットに反すると言われる。これらのすべては、学齢期のラディカル・フェミニストがツイッター上で証言している文化的圧力の一部である。成人女性が自分でコルセットを着用することを選択したと主張するとき、自分のその行動がどのように若い世代の少女に影響を与えているかを認識するべきである。

 ジェフリーズの顕微鏡の下に置かれた美容行為の一つは、脱毛だ。性器のワックス脱毛の習慣は、韓国では最近になって普及し、ノーマルなものとされるようになってきたが、陰惨な殺人事件によってその行為の真の姿が明らかになったのは、それほど以前のことではない。性器のワックス脱毛は、2014年に韓国のトークショー「ウィッチハント」の男性出演者たちがワックス脱毛をしていることを軽妙に告白した後、公の場で議論されるようになり、その後、大いに話題になった[5]。この極度に痛みの伴う行為は案の定、男たちのフェティッシュな関心の対象となった。すぐに有名な男性ジョッキーであるBJがワックス脱毛店を訪問するビデオを作り、韓国のオンラインプラットフォーム Afreeca で放送したが、このことは視聴者の一人が女性店主を殺害する事件につながった。動画ブロガーのBJナムソンは、店主の女性を、自分を「勃起」させてくれた「エロい女の子」として性的に客体化し、「ひっそりとした近所」で女性が一人で働いていて、完璧な犯罪ターゲットの店だと表現した。彼は正確な住所まで口にした。ある男がこの動画から残忍なアイデアを得て行動に移したのは、驚くにあたらない。この悲劇をきっかけに、2017年8月には、インターネット放送局のミソジニー的で見境のないコンテンツへの規制を求めるフェミニストの抗議行動が勃発した。一連の事件は、ワックス脱毛は美容と衛生のためだけのものだという脱毛業界の言い分を無効化するものである。本書が主張しているように、男性のポルノ需要がこのような慣行を生み出し、女性は男性パートナーの期待に応えるためにそれを行なっているのだ。そして、男性は時々それを試してみるのだが、たいていはそこからマゾヒズム的な快楽を求めてのことである。

 ジェフリーズはまた、性産業と美容行為との関連性を明らかにし、ハイヒールや口紅といった売買春のスティグマが女性の普通のファッションの一部となった過程を浮き彫りにしている。この洞察は、ツイッター上で繰り広げられている「ホールルック」をめぐる激しい議論と一致している[7]。「ホール」とは性風俗店の婉曲表現であり、一般的に「ホールルック」とは、韓国では男性の性的妄想を刺激するタイトで露出度の高いドレスのことを指している。男性が絶え間なくポルノと性産業にコミットしていることは、「ホールルック」と、女性が彼氏のために着る服との区別を曖昧にしており、オンラインファッションの小売店はその販売商品が「ホールルック」であることを宣伝しているほどである。

 また、性産業は韓国の美容整形業界や高利貸しといっしょに搾取のネットワークを形成している[8]。商業的性搾取では、若くて新しい女性を継続的に売らなければならず、女性たちに蔓延する自己の身体嫌悪が魔法のような解決策を提供している。売買春業者は、「お金を稼ぐと同時に美しくなれる」と約束する求人サイトの広告で被害者をおびき寄せる。被害者がその申し出を受け入れると、業者は彼女に高金利の借金を負わせて美容整形手術を受けさせ、その借金を返済するために売春をさせる。こうして、売春業者、「代理人」として自傷行為を行なう外科医、高利貸し業者は、一体となって女性を搾取するのである。いわゆる「美容整形ローン」の存在は、ソウルの江南地区に「デリヘル店」と美容外科クリニックがひしめいている理由を説明している。韓国の性産業は世界最大級の規模を誇るだけでなく、他国にも広がっている「選択システム」のようなユニークな特徴を持っている。このシステムでは、セックスの購入者は一方からのみ見通せる鏡の向こうに20人前後の女性たちの中から「選択」することができ、被買春女性たちを相互に競い合わせるのである。このシステムは、女性たちに美容整形という形での自傷行為を続けさせ、女性たちは痛みや合併症に耐えなければならない。このようにして、売春業者、金貸し業者、外科医は、女性の死によってそのサイクルが止まるまで、女性の身体から利益を得つづけるのである。

 本書は欧米諸国で見られる美容行為に焦点を当てているが、韓国は美容と性産業との連合体によって生み出されたミソジニー的慣行の典型的な掃き溜めである。歴史的に、女性の身体はこの国の経済成長に欠かせない要素の一つであった[9]。国家自身が基本的に女性市民を最初に国連軍兵士に、次に日本人観光客に売ったのだ。1966年に、売春店は違法とされたが、国連軍兵士のための190軒の「ホール」がその例外とされ、「ホール」から上がる利益は年間1000万ドルと見積もられた。これは当時、韓国が輸出で年あたり稼いでいた外貨の約半分に相当した。1970年と1971年に米軍が駐韓軍を縮小すると、日本人の買春ツアー客が参入してきた。韓国政府は旅行会社に「キーセン観光」の枠を割り当て、被買春女性向けにサービス訓練プログラムを実施した[10]。国家による性産業の黙認と放置は、今日に至るまで韓国の肥大化した性産業を維持することにつながっている。

 韓国の美容産業と美容整形産業は世界的にも有名である。韓国は、韓流ブームにも乗って、中国やベトナムなど世界各国に対する美容文化の一大輸出国として台頭してきた。輸出中心の韓国経済は現在、美容産業と美容整形産業を通じて、世界中の女性たちが自分自身に加えた身体的・精神的ダメージから利益を得ている。

 これらの産業は女性の身体を儲かる市場以外の何ものでもないものとして扱っており、このことは「闇クリニック」の存在によってはっきりと示されている[11]。韓国では医師免許を持たずにクリニックを経営することは禁じられているが、一部の業者は免許を借りてこっそりとクリニックを開業している。雇われ医師たちが女性の身体に美容整形手術を施すのは、まるでアセンブリーラインの組立工のやる流れ作業のごとくであり、施術者や看護師は国家資格すら持っていないこともある。このようなやり方は、ただでさえ危険な手術にさらなる医療ミスの頻発を招き、複数の死亡者まで出している。これらの「闇クリニック」の存在は、美容目的の美容整形を医療行為と呼ぶのは欺瞞的な詐欺であることを私たちに思い出させてくれる。

 本書の編集者として、私は読者のみなさんに、本書を読みながらできるだけ多くの画像をネットで検索してみることをお勧めする。自分たちの「ゲイ男性版の女らしさ」を女性に投影するフランスやイタリアのゲイデザイナーや、彼らがデザインした服や靴、ポルノを芸術に昇華させたと自慢するファッション写真家や広告業者、さらに、彼らの「芸術作品」や、男性のフェチの犠牲者として亡くなった女性たちについて検索してみてほしい。身体改造の先駆者たちと彼らの「パフォーマンス・アート」、タトゥーやピアスを超えた自傷行為の数々、女性を美しくすると称するさまざまな拷問器具を調べてみてほしい。これらの画像はあなたを嫌悪感で満たすだろうが、解放運動の報酬として女性に与えられた「自由」と「選択」の本質を暴く先鋭な像を描き出してくれるだろう。

 これらの検索キーワードのほとんどが1990年代に初めて登場したことがわかる。韓国では、フェミニストの言説もこの時期に急増し、2000年代からはリベラル・フェミニズムとポストモダン・フェミニズムが女性学の分野を席巻し始めた。このことは、インターネット上のポルノビジネス、「セックスワーク」神話、クィア理論が拡大し、相互に絡み合っていく中で、家父長制がいかに女性の「身体に対する文化的支配」を強化していったかを示している。

 コルセットとの闘いは、ヨルダ・ブックスが本書の出版を決定した2017年末近くにはすでに進行していた。そしてそれ以来、韓国のほとんどのラディカル・フェミニストたちは、女性の解放を勝ち取るために最も重要な戦場は、脱コル・キャンペーンと「4B」[12]の2つであるという結論に達した。彼女たちは、男性の権力を喜んで批判する自称フェミニストであっても「コルセット」を脱ぐのを拒否していることを知った。このキャンペーンは何より自由であることをめざすものなのだが、運動家たちが聞かされ続けている最も一般的な苦情は、「それを私たちに強制しないでくれ」と「私たちは化粧で力を得ており、これが私たちのフェミニズムのやり方だ」というものだ。彼女たちの美への執着は、愛されたいという願望から来ており、愛への願望は、安全ではない男性支配の社会で生き残りたいという願望と結びついている。女性の生存が男性に依存しているとき、女性が家父長制の複雑な抑圧の網の目から逃れることはけっして容易ではない。美容行為や男性との親密な関係を放棄する急進的な運動は、女性がこの網を断ち切ってその外に出られるようにすることを目的としている。

 2018年6月に行なわれた歴史的な女性集会は、抵抗のこの側面を反映していた。髪の長さが腰まである5人の女性がステージに座り、抗議のために髪の毛を剃った。彼女たちの髪が地面に落ちると、抗議者たちは祝福の声を上げた。「私は髪を剃るのが怖かった」と志願者の一人は言ったが、「その恐怖はどこから来るのかと自問自答した。恐怖以外に剃らない理由がないことがわかった」。デモのメインスローガンは「居心地が悪くなる勇気が世界を変える」だった。これは女性がコルセットを脱ぐことに対する恐怖や嫌悪感にも当てはまるかもしれない。居心地が悪くなることもある。それには勇気が必要だ。脱コル運動へのバックラッシュは、この苦痛を証明している。

 脱コルセットの活動家たちは、美容行為に対して、スラットウォークの主催者たちとは根本的に異なるアプローチを取っている。2011年6月に韓国で最初のスラットウォークが開催されたとき、参加者は性暴力は衣服に関係ないと主張し、世界中のスラットウォークのように「あばずれ(slut)」のような服装をする自由を求めた。しかし、現在の脱コルセット運動は、「なぜ私たちは、両肩を出したドレスや歩行を妨げるような靴、タンパク質で作られたヒジャブ[13]のようなまったく機能不全な装いをしなければならないのか」、「なぜ私たちは明らかに心地の悪いものを心地よく感じるようになっているのか」というまったく異なる疑問を投げかけている。ジェフリーズは、第二波フェミニストたちが「コルセット」を脱ぐことができたのは、会議やグループでお互いに影響を与えあう「フェイス・トゥ・フェイスのフェミニズム」を実践していたからだと言う。欧米の新しいラディカル・フェミニストたちが、美容行為に対する本格的な攻撃を開始していないことからして、ネット中心のフェミニズムは、そのような効果を発揮できていないのかもしれないと彼女は指摘している。しかし、韓国での脱コル運動の波の高まりは、オンライン・フェミニズム運動の非物質性をどのように克服するかのヒントになるかもしれない。

 ツイッターや女性専用フォーラムでのフェミニストたちの会話をフォローすることは、韓国の女性たちにとって「コルセット」を脱ぐのに十分だった。つまり、彼女たちは必ずしも欧米の偉い学者たちの本を読んでその緊急性を理解したり、行動に移す必要はなかった。韓国の女性たちがどのように「コルセット」を脱いでいるかは、ジェフリーズが若い頃に髪を切り、スカートを捨て、彼氏と別れることができたのと似ている。韓国の何百ものオンライン・コミュニティで行なわれている議論は、彼女が1970年代に参加していた意識改革(consciousness-raising)グループとおおむね同じような機能を果たしている。ジェフリーズが後の世代の女性たちを観察して、その心の健康と身体の不可侵性に心から心配している様子から、私は「脱コルセット圧力」ではなく「姉妹愛」を読み取った。そして私には、6月に「居心地が悪くなる勇気が世界を変える」と叫んだ若いフェミニストたちが、ジェフリーズのように、性階級や男性至上主義に対する厳しい批判にひるむことなく突き進む不屈のフェミニストとして年を重ねていく未来が見える。

 『美とミソジニー』は、女性が直面する現実とその体験にしっかりともとづいた学術作品である。最新の美容行為の発展にもしっかり目を配りながら、ファッションや主体性の名のもとに行なわれている自傷行為への懸念を表明し、女性の身体への攻撃を消去するポストモダン・フェミニズムやリベラル・フェミニズムの考えに反論している。彼女は今もなお、サバイバーとして、声として、私たちのような女性として、そしてラディカル・フェミニストとして、この運動の重要な一翼を担いつづけている。本書は、彼女が「赤いカプセル」[14]を服用して髪を切って以来、「コルセット」に抵抗してきた70歳の第二波フェミニストが韓国の若い女性たちに語った物語である。シスターフッドはパワフルだ。

  原注

[1] キム・カン、イ・クク、ヒヨン、イ・ジョン、パク・スンヨン『ルートレス・フェミニズム』イフブックス、2018年。

[2] 韓国の男性は、スパイカムとも呼ばれるマイクロサイズの隠しカメラを用いて、女性のプライベートな瞬間を覗き見してきた。このカメラは、水筒から火災報知器まで、ありとあらゆる種類の日常的なものに似せている。誰でもこれらの装置を購入して、公衆浴場、ロッカールーム、またはモーテルの部屋に設置することができる。録画された写真や動画は「ポルノ」の一ジャンルとしてネット上で共有されている。ポルノ制作は韓国では違法なので、韓国人女性を対象としたほとんどのポルノは基本的にこのような吐き気の催すやり方で制作されているのである。

[3] カン・ヘリュン「私の人生はあなたのポルノではない――韓国女性が抗議する理由」『コリア・エクスポーズ』2018年6月9日。

[4] イ・ジェヒュン「IUのロリータファンタジー戦略を見直す時が来た」『ハンギョレ』2015年11月11日。

[5] 「ホ・ジウン、ウィッチハントでワックス脱毛についてジョークを言う」『10 Asia』2014年5月日。

[6] パク・ソヨン「ミソジニーコンテンツが引き金となったワックス脱毛店での殺人事件」『ハンコック・イルボ』2017年8月2日。

[7] イ・スンジ「ホールルックのノーマル化が煽るツイッター上の論争」『ハンコック・イルボ』2018年6月8日。

[8] キム・サンフン「性産業、貸付業者、美容外科業界の相互扶助システムを暴露する」、『イリョウ』20175月5日。

[9] キム・キテ「国家はピンプだった」『ハンギョレ21』2011年11月22日。

[10] 同前。

[11] キム・ジヘ「代理クリニックの秘密――なぜ彼女は手術中に死んだのか?」『SBSニュース』2018年2月4日。

[12] 女性が結婚しない、子供を産まない、セックスしない、デートしないという4つの「しない」を実行するキャンペーン。「ビ」は韓国語の接頭語で、「ない」「しない」という意味。韓国は世界で最も出生率の低い国の一つだ。

[13] 長くてサラサラの髪の毛は高くつき、手入れが面倒である。韓国のラディカル・フェミニストは女性のロングヘア―という文化的要請を、髪の毛というタンパク質でつくられたヒジャブにたとえた。

[14] 韓国のフェミニストはこの比喩を『マトリックス』というアメリカ映画から取った。主人公が2つのカプセルの選択肢を与えられているように、女性は自分が男性支配下の従属階級であることを認識するのか、それとも以前のような生活を送るかのどちらかを選ぶことができる。彼女たちが「赤いカプセル」を飲んで前者を選択したら、闘わないわけにはいかない。

投稿者: appjp

ポルノ・買春問題研究会(APP研)の国際情報サイトの作成と更新を担当しています。