フシュケ・マウ「買春客たち――彼らはなぜ買春するのか、売春婦についてどう考えているのか」

【解説】本稿は、ドイツのサバイバーでアボリショニストの活動家であるフシュケ・マウさんによる、買春客に関するきわめてすぐれた考察です。書かれたのは2016年と少し古いですが(もともとはドイツ語)、その後、各国語に翻訳されて、世界中で読まれています。ここに、本人の許可を得て全訳を掲載します。基本的に英訳からの翻訳ですが、ドイツ語原文を適宜参考にしています。

フシュケ・マウ

http://www.huschkemau.de

 私の書き物机の横には、いやな記憶を入れておく箱が置いてある。私はフラッシュバックや「侵入的思考」が起こるたびに、紙にできるだけ早く書き留め、その紙を箱に投げ入れて蓋をする。箱はかなりいっぱいになっている。今日、箱の中からいくつかのメモを取り出した。なぜなら、買春客(punter)について書きたかったからだ。

 「買春客」という言葉はドイツ語では「Freier」と言い、「誰かを自由にする者」、つまり「行動の自由を与える者」という意味の言葉から来ている。つまり、この言葉は性的虐待――実際に買春者が行なった虐待――を覆い隠す婉曲表現なのだ。それは、女性に対する性暴力を受け入れ、それを正常化し、著しく過小評価する社会の多くの例の一つでもある。

 とはいえ、私がドイツ語で文章を書くときに「Freier」という言葉を使うのは、他に使える言葉がないからであり、また売春婦が自分の「客」を指すために実際にこの言葉を使っているからでもある。また、有害な接触という概念は、この言葉自体にも反映されている。英語の「punter」という言葉は、このドイツ語の意味をよく表している。売買春では、お店で買う商品のように、セックスそのものが「セックスワーカー」から「セックスバイヤー(性の買い手)」に移るわけではないので、私は意図的に「セックスバイヤー」という言葉を使わないようにしている。

 驚くべきことだが、このような被害を与えている人々については、ほとんど語られることがない。むしろ注目が集まるのは、どのような女性がそういうことに「関わってもよい」かである。このような、どこかにいるかもしれない「自信があって、優しくて、好感の持てる売春婦」の話をよく聞かされるが、それは何の意味もない。なぜなら私は、失業中の「自信があって、優しくて、好感の持てる」女性も知っているが、だからと言って、現在の雇用システムが、それを必要とする人々への本当の支援を欠いていると批判するのをやめるつもりはないからだ。売買春を批判することは、売春婦を批判することではなく、買春客がその要求するところに基づいて作り上げた売買春のシステムを理解することだ。

 つい最近、買春客とそうでない人を見分ける方法を聞かれたが、正直に言うと、売春店の中で売春婦に向かって100ユーロ札を振っているのでないかぎり、誰が買春客で誰がそうでないのかを見分けることはできない。 私は10年以上、売買春の中にいたが、店外では彼らを見分けることはできない。その理由は、よく言われるように、彼らがいたって普通の男性だからだが、そう言うだけでは十分ではない。 男性に売春店に行ったことがあるかどうかを尋ねると、たいていは嘘をつくか(「えっ、いやそんなことはしないよ」)、あるいは「一度だけ行ったけど、とてもひどかったから二度と行かなかった」というようなおとぎ話を話し始める(こういうセリフを聞いたら、逃げて!)。買春客は非常に多様なキャラクターだ。あらゆる職業、年齢、性格の人がいるが、彼らはみな一つの点だけは共通している。だがそれについては、もっと後で話そう。

  買春客について

 では、買春客について何を語ることができるだろうか。まずもって、障害のある男性が性欲を満たすために売春婦を必要としているという話は、まったく真実ではない。私は10年間売買春の中にいて、障害者の買春客に会ったことは一度もない。さらに、誰もが障害を持ったパートナーとのセックスを望んでいないと決めつけるのは差別的だ。 そしてそれは、不釣り合いに性的虐待の対象となっている障害者女性にとっては、間違いなく真実ではない。

 また、「多くの人がただ話をしたいだけ」というのも事実ではない。私の経験では、そういう人は1人しかいなかった(文字通り1人だ)。 この「ただ話したいだけ」という買春客の作り話は、被害者としての男性(常に強く支配的でなければならない可哀そうな人々)への同情を生むために明らかに機能しており、同時に彼らが売春店で実際に行なっていることを隠蔽するものだ。

 買春客はそういうものとはまったく異なる。 高層ビルの窓際でセックスしたいと言ってきた買春客がいたが、その後、私に唾を吐きかけ、四つん這いにさせ、私の顔に精液をぶっかけた。「君、いくら?」と聞いてくる買春客はいるし、多くがそうだ。この質問で、彼らは単なるセックスを買っているのではなく、女性を買っていることを認めている。 私が痛がっているのを見て、ぞっとするようなニヤニヤ笑いをする買春客もいた(私の最初の客もそんな感じだった)。私と一緒に使いたいからと言ってドラッグを買ってきた買春客もいたが、そいつらはそれを私に使った。私の境界線を越えたり、約束した以上のことをするのが好きな買春客もいた。 森の中の寂しい一軒家(高さ2メートルのフェンスに囲まれ、携帯電話も繋がらない)で、2匹の巨大な犬とともに私と2人きりになったとき、武器でいっぱいの戸棚を見せ、「恐いか?」と何度も何度も尋ねて楽しんでいた買春客もいた。私が同意していないことを完全に理解していながら、それにもかかわらず行為を続ける客もいた。

 変態やペドファイルもいた。部屋の一室が売春店であるマンションのホールで公然とオナニーした者もいたし(もちろん、売買春と無関係の女性たちもその被害に遭った)、私が初めてやったときの年齢を聞いてきたり、幼い女の子や子供に興奮すると言う人もいた(「乗馬場で働いているんだけど、とても若い女の子たちがいて、正しいサドルを与えるとその子たちはムラムラしてくるんだ」と言っていた)。

 私を妊娠させてもいいかと言ってくる客もいた(何のために?)。 また、自分の性的能力に自信を持っていて、「君にとっても気持ちがよかったんだから」と言って、お金をもらうことを恥ずかしく思うべきだと主張する客もいた。また、何度も何度も値引き交渉をしてきて、それでも値下げしないと、「金儲けしか考えていないのか」と言って非難し、「真人間に戻れ」と説教してくる客もいた。まるで売春婦が男性向けの社会福祉施設であるかのようだ。

 私たちを客体化するコメント、たとえば「いいおっぱいだね」というのが褒め言葉だと思っている買春客もいた。私が天井や爪を見つめながら耐えているときに、「セックスするの好き?」と言われることが、いったい何度あったことか。そして、「簡単に稼げていいね」と言われることも、どれだけあったことか。私が薬や酒を飲まないと耐えられないことがわかると、客はそれを私に与えた。また、私を拷問するために、体のあちこちが痛くなるまで延々とセックスすることを楽しみにしている客は大勢いた。ある客は、スキーマスクをかぶって売春店のドアの前に立っていた。もしかしたら、彼は「邪悪なマスクマン」として女性を恐怖に陥れるフェチがあったのかもしれない(いずれにせよ、それはうまくいかなかった。私が乗馬用の鞭を手にして出てきたからだ)。

 別の客は、性的な問題で練習不足だったので、プラスチックの人形で試してみたが、あまり良くなかったので、私を買ったのだと言った。ある客はクリスチャンで、コンドームが外れた後、身分証明書を渡したりアフターピルの費用を負担したりするのを拒否した。その理由は、そうすることは「非道徳的であり、それどころか殺人になりかねない」からだというのだ。また、私がオーガズムを感じるべきだと主張する買春客もいた(「俺がお前にオーガズムを感じさせたいと思えば、お前はそれを感じなければならない。なぜならお客は神さまだからだ!」)。そして、自分が勃起しなかったことを謝る客も大勢いた。なぜならそうしないと私が快感を得られないと思っているからだ。

 私は路上に立って売春していたこともあるが、そこが最下層の買春者向けの場だと思い描いているなら、とんだ間違いだ。路上で買う「ナイスガイ」たちはみな、マンションの一室にある売春店や、エスコート売春を通じて私のところにやってくる連中でもある。路上にやってくる買春客たちは、別にお金を持っていない連中ばかりではない。むしろ、そこで買春する男たちは、ほとんど無制限のやり方を好み、悲惨な環境で暮らす人々に権力を行使することで性的興奮を覚える場合が多いのだ。

  共犯者たち――彼らは自分が何をしているかよく知っている

 オンライン上のパンターフォーラム〔買春者の綜合掲示板〕を覗くと、そこではこれ以上になくはっきりとした光景が広がっている。ドイツ語を一言も話せない若い女性を地下室で電気ショックで拷問し、それを喜んでいる男たちがいる。「女は俺を見てがたがた震えだした!」。そして、フォーラムでの買春者仲間の反応はこうだ。「尊敬します!」。強要された売春婦を指名して、彼女がまだ「調教され」ていないことを喜ぶ男もいる(「まだ両足をぴったりくっつけている、かわいいね! ここでは本物の感覚が得られる。女はまだマシーンではない。もうそれ以上は無理というまでアナルに突っ込んでやったよ」)。また、女を「調教する」コツについても書かれている。「最初の半年間は、女がそういう扱いに慣れるまで、奴隷としてのみ指名すること」「ディープスロートを仕込んでいるんだけど、まあまかせて、彼女は覚えるよ」「その女は、自分の広告で、アナルもすべてAO(コンドームなし)でやることになってるのを知らなかった(笑)。もちろん、俺は全部やったよ。そう広告されてたからね」「1年前、そいつはAOでアナルをやってなかったので、まずそれをやらなければならないことを教えなきゃならなかった」。

 これらの書き込みを見ると、性行為がいっそう暴力的になっているのがわかる(顔射、唾吐き、フィストファック、集団レイプ、口内射精、小便をかける、嘔吐するまでディープスロート)。それはセックスではなく、誰か――女性――を苦しめ拷問する行為だという印象を受けるのは避けられない。女性の「回復力」を問う質問も何度も何度も出てくる。どれだけのアナルセックスに耐えられるか、どれだけザーメンを吐き出さずに飲み込めるか、どれだけひどい目に遭っても黙っていられるか。「陳列窓にこんな安値で自分を提供してるんだから、最初に同意した以上のことを男から求められることを覚悟しておくべきだ!」。

 男たちは、多くの場合、女性には選択肢がないことなどまったく気にしない。あるスレッドでは、次のように言っていた売春婦がいたと報告されている。自分には3人の所有者(!)がいて、24時間体制で客に対応しなければならず、すべてコンドームなしで行ない、どんな行為も断ることはできないと。さらに、彼女は130ユーロの「時給」のうち、30ユーロしか手にすることが許されていなかったという。共感をまったく欠いたある買春者のコメントはこうだ。「まあ、完全に壊れちゃってるよね。でも、少なくとも30ユーロはルーマニアでは大金だよ」。

  他の女性たち――妻とガールフレンド

 買春者は売春婦に対してだけでなく、他の女性についても同じように語るし(「ドイツ女は腹が立つ、あのクソッタレの解放者ども」)、自分のパートナーについても同じだ(そう、彼らの約半数にはパートナーがいると私は思う)。ある客は、パートナーとセックスはまだしているが、女性の体をおいしいワインのように消費する自称「美食家」のように、多様性が必要だと言う。

 多くの客は、もうパートナーとはセックスをしておらず、妻に「否定された」とか、妻は「上品ぶっている」と言い、自分が売春婦のところに行ったとしても、それは妻の責任であり、そうするよう「自分が余儀なくされた」からだと言い張る。中には、自分が提案した性行為を妻が拒否し、それがとても悲しくて、でもとにかく自分のファンタジーを試す必要があるんだ、と話す客もいた。なぜ妻が断ったのか尋ねると、男たちは妻が拒絶するのも当然だと思われるような変態行為についてとくとくと話し始める。男たちは、自分には何の責任もないとみなしており(セックスをしたがらない、あるいは夫の望むセックスをしたがらない妻のせいだ!)、自分にはセックスをする権利があって、「古女房」がそれを与えないなら、どこかでそれを手に入れることができなければならないと心から信じきっている。たいていの場合、彼らはそのことに罪悪感の片りんも見せない。

 ある時、私は客の自宅に来るよう命じられたが、男は自分のソファに座ってくつろいでいた。彼の頭上には家族の写真が大きく飾られていた。私がそのことに気づいたのを見て、男は言った。「女房が双子を産んでさあ、いま入院してるんだよ。俺はそのことを誇りに思っているし、そのお祝いをしたかったんだけど、女房は『今すぐ』できないだろ。で、代わりにお前を呼んだのさ」。

 また、別の買春客は、自分の妻が子供の頃に何かひどい目に遭ったせいで、今もセックスがあまり好きじゃなく、とくにアナルセックス、オーラルセックス、フィストファック、顔射などがダメで、だから売春店に行かなければならないと言っていた。明らかに、虐待それ自体(児童虐待、買春者による妻への虐待と売春婦への虐待)が主たる問題とされているのではなく、買春者が妻に「権利」を行使しないこと、そういう自分を立派だとみなしているのだ。

 買春者たちによるパートナーへの虐待は、売春婦とのセックスに妻も引き込もうとする企てにまで発展する。買春客が次のように言うのを何度耳にしたことか。「妻はバイセクシャルなところがあるので、彼女のために売春婦を呼んだらどうかと思ったんだ。そしたら、3Pできるだろ」。そういう時、私は断わることにしていた。なぜなら、その良き妻はバイセクシャルだとみなされているとは思いもよらないことだろうし、彼女のまったく望んでいないことを強要されることになるのがわかっていたからだ。また、妻を免除するか妻を巻き込むかは別にして、次のような「素敵な」提案をすることで、妻に配慮しているかのように思っている買春客もいた。「まず俺が女房に中出しして、お前がそれを舐めとっているあいだ、俺がコンドームなしでお前をファックするというのはどうだ?」。

 男が買春に関してはあれほど自信満々に振る舞うのは、自分には買春する権利があると思っているからだ。私は買春客の自宅で夫婦用のベッドに入ったことが何度もあるが、その妻から予期せぬ電話がかかってきたことがある(「おっと、電話に出ないと。やあ、ダーリン、それはいいね。君との夜を楽しみにしてるよ」)。いつも不思議に思うのは、彼らがいかに日常的に、良心の呵責もなく、自信満々に、自分のパートナーにそういう話をしているのかということだ。なぜか? 自分に権利があると思うことをしているのなら、誰が良心の呵責を隠す必要があるだろうか。というより、そもそも良心の呵責などまったくないのだ! すべてを妻に語るわけではないだろうが、それは妻から文句が来たら面倒だからにすぎない。

 パンターフォーラムのとくに吐き気の催すスレッドでは、ある夫は日常的に売春婦を自宅に呼んで、妻に使っているディルドで売春婦を犯し、そのまま洗わずに戻しているという書き込みがあった。それは妻に対する復讐の行為で、その男の言い分によると、妻にはセックスに応じる責任があるのに、そうしたがらないからだというのだ。言うまでもなく、店に来るすべての男は、売春店でさまざまな行為をすべて無防備に(コンドームなしで)行ない、家に帰ってからそのまま妻にもそうしている。

 妻も売春婦もセックスを提供しなければならないが、それでも買春客は両者を正確に区別している。次のように言われることがよくあった。「君は売春店にはもったいないよ、ここにはふさわしくない」。これは、十分には(妻になるには?)ふさわしくないが、売春店にはふさわしい女性がいることを暗に示している。しかし、女性に対する買春客の軽蔑は、パートナーと売春婦の両方を含んでいる。彼らの軽蔑はすべての女性に向けられているのだ。

 これらのすべてのピースをどうやって組み合わせるべきか? 買春客とは、女性を家畜のように見ている男だ。それは買春客自身の次のような言い回しからもうかがえる。「ちょっとミルクが欲しいだけなのに、牛を一頭買う必要はない」。また、買春客は売春婦を食品や日用品に例えるのが大好きだ。「家では野菜スープしか食べないけど、時には豚のローストも食べたい」とか、「普段は普通の車でもいいけど、たまにはスポーティな車もいいね」とか。

  良き買春客

 いい買春客もいたんじゃないのと言われることは何度もある。確かにいる。しかし、その人がいい人かどうかの問題ではなく、その人が何をしたかが重要だ。私の場合、ずっと手をつないでいたいという人がいて、一緒に食事に行ったりした。実は私はこのようなデートが大嫌いだった。というのも、それは時間がやたらかかるし、ベッドでもそうだったからだ。

 こういう「良き買春客」は、いつも「恋人的なセックス」を求める。つまり、親密さ、親しさ、愛撫、キスなどを伴うセックスのことだが、それは個人的な境界線を越えてしまうので、疲れきってしまう。それに、演技をしなければならず、要求どおりのことをしなければならないので、本当の親密さは完全に破壊される。何も自分の手元にキープできなくなる。親密なジェスチャーまで演技し、売ることになると、それすらもう自分のものではなくなり、エンターテイメントのレパートリーの一部となり、最終的には本当の自分から切り離された無意味なものになってしまうからだ。もはや買春客が自分の人生の一部でなくなったとき、今度は親密さを再び取り戻し、学び直さなければならない。買春者がアクセスできないような「深奥の自我」を自分のために残しておけなくなると、自分自身への虐待や罵倒でさえ、親密さを感じるものの一部になってしまう。自分が完全に買春客のものであるかのようになる。

 この種の買春客の一人は、妻だけでは満足できない「美食家」の一人で、私が他の嫌な客に奉仕しなければならないことを心配していた。彼は、自分もその嫌な客の一人だとは考えもしなかったのだ。買春客は自分のことを悪い買春客だとは思っていない。悪いのはいつも他の誰かなのだ。最悪の中の最悪として記憶されたがっているようなサディストは別だが。

 中には、私に「もうやらなくてもいい」と大金を提供してくれた買春客もいたが、買春客にとってタダのものなどないし、助ける場合もタダではない。彼らにとって売春婦は公共の商品であり、彼らはみなそれを手に入れたがっている。せいぜいのところ、自分だけのプライベートな売春婦を作ることで「助け」たがるだけなのだ。だから、私は彼と会うことを期待されていたし、彼とだけ、しかも無報酬で会うことを期待されていた。彼は私をまるごと割引で買いたかったのだ。

 男たちは自分のセックスする権利を深く確信しているので、本音では、どうしてセックスのためにお金を払わなければならないのかまったくわからないでいる。こちらがうまい演技をすると、彼らは、売春婦も楽しんだはずだから、なぜ自分がお金を払わなければならないのかと思う。そして、演技がうまくいかなかったら、今度は、こちらがちゃんと商品を提供できなかったのだから、やはりお金を払う必要はないと考える。どちらにしても、勝ち目はない!

 売春婦に対する買春客の見方はアンビバレントだ。一方で彼らは、すべての客を同じように扱うマシーンを求めており(「彼女は誰が来ても広告通りのことをしなければならない」)、客を断るという選択肢はない。他方で、彼らは自分が特別な存在であることを望む。ベッドで特別にいいということによってか、あるいは客がサディストであれば、特別に念入りに売春婦を打ちのめすことができることによってだ。彼らがけっして望まないのは、他の人と同じように、毎日のリストの8番や9番になることだ。そうではなく、彼らは記憶に残る存在でなければならない。彼らにとっては、自分のエゴがいちばん重要なのだ。

  男が売春婦のもとに行く理由

 なぜ男は売春婦のもとに行くのか? この疑問に答えようとする研究がいくつかある。しかし残念なことに、ドイツの研究者たちは次のことを理解していない。買春者たちは、そういう質問をされたら、社会的な期待に沿って答えるのであり(「俺はロマンチストなんだ」「いろいろなことを試すのが好きだ」「家ではセックスさせてもらえないから」)、現実を反映していない自分たちの感傷的な構図を描くということだ(オンライン・フォーラムでは、もっとハードボイルドな洞察を聞くことができる!)。このような「研究」の例としては、SüddeutscheTagesspiegel などがある。

 では、なぜ男は売春婦のもとに行くのか? ある買春者は、女性を憎んでいるサディストで、女性に激しいファックや暴力的憎悪に満ちたファックを教え込みたいと思っている。自分の男らしさを証明するために売春婦を必要とする哀れな弱虫もいれば、親密な関係を目的とした「ロマンチスト」もいる。彼らに共通しているのは、自分にはセックスをする権利があると思い込んでいること、女性に対してある種の軽蔑を抱いていること、そしてどこまでも毒々しい男らしさのイメージを抱いていることだ。 そして彼らはみな、女性たちが自分の意思でセックスをしたいと思っているわけではないことを知っているか、あるいは知ることができる。ただ、気にしないだけなのだ。

 彼らはまるでメニューを読むように、「フルフレンチサービス〔コンドームなしのフェラチオ〕を1つ。デザートはアナルで」と注文し、ある体を選び、そこからメニューのすべてを消費する。体を選ぶという特徴は、セックスがサービスや仕事ではないことを証明している。誰がサービスをするかは重要ではない。それは単なるセックスではなく、女性を虐待することでもあるのだ。

 「ロマンチスト」と呼ばれる人たちも、本当は親密さを求めているわけではない。彼らはある種のファンタジーを心に描いていて、それを現実に手に入れるためにお金を払い、その現実が女性にとってどのように感じられるかはどうでもよい。この点で、彼らは女性の意志を気にしないサディストのようなものだ。売買春は強制力がなければ成立しない。喜んで売春をする女性の数はけっして十分ではなく、一定の数は常に強制的に行なわれなければならない。客はたいてい、自分の相手が強制的に売春させられているかどうか確信が持てないし、知りたいとも思わない。彼らの心を搔き乱すのは強制それ自体ではなく、それを見なければならなくなることだ。サディストは強制のことを知ってむしろ興奮するが、「ロマンチスト」は自分のファンタジーが壊れてしまうので、売春婦のところには行けなくなる。別の連中は強制をできるだけ小さく評価する(最近、ある掲示板で見た書き込み――「で、強制って何? 俺だって毎朝起きて何かを食べなければならないんだから、それだって強制だろ」)。

 買春客の心の中では、売春婦は人間ではない。彼女が痛いと言えば、買春客は「作り話だ」と文句を言う。買春客が求めるのは、どんなことでもすることができて、それでいて笑顔を見せてくれる女性、つまり生きた人形を求めているのだ。

 メリッサ・ファーリーが2011年に行なった調査によると、買春者全体の3分の2(66%)は、多くの女性がピンプ〔ポン引き、女衒〕に強制されていることを知っているが、気にしていないという。さらに買春客の41%は、自分の買った女性がピンプの被害者であることを直接知っていたが、それでも彼女のもとに行っていた。

  買春者から加害者へ

 私がいやがっているのをはっきりと感じていたのに、それを無視して、行為を続ける買春客は大勢いた(たとえば、「キスしたいときに、顔をそらすのはやめてくれ」とか、「もうチンポなんか見たくないかもしれないけどさあ…」と言いながらである)。私の嫌悪感に興奮した人もいれば、自分の求めるイメージに合わないので、私を指名しなくなった人もいる。そのイメージとは女性に対するコントロール、支配だ。自分のファンタジー通りに演じていないと言って怒る人もいれば、女性の自制心の体裁が崩れてしまうことに喜ぶ人もいる。さらには、嫌がっているからといって殴るのが好きな客もいた。お金を払って受ける暴力はコインの片面でしかなく、もう片面は交渉することなく受ける暴力、つまりレイプ、拷問、その他の身体的暴力である。

 結局それは、女性を自分の支配下に置き、自分が女性にやらせたいことをさせ、自分がしたいことをすることだ。そしてここにこそ売買春の核心がある。つまり、いっさいが男性のニーズに集中しており、セックスはいつでも購入可能で、それを得るために他のことをする必要がなく、女性の体を自由に選ぶことができ、拒絶される可能性は想定外のことなのだ。買春客は、売春婦が一部の客を断ることができるという話を売春婦から聞くのが好きだが(自分が、断られない側のエリートグループに属しているという感覚が得られるので)、自分がその中の一人になることは想像できない。 私が客を断るたびに、「嘘だろ!」という大きな声が響き渡る。彼らはその瞬間までそんなことが起こりうるとは考えてもいなかったのだ。彼らはアレルギー反応のような反応をする。まるで私が彼らに何か借りがあるかのように、まるで私が公共施設へのアクセスを拒否したかのように、まるで私がゲームのルールを破ったかのように。

 私が言っているのは、ごく少数の病的な男性たちのことだと思ったら大間違いだ。統計によると、ドイツでは5人に1人の男性が定期的に売春婦のもとに通っており、4人に3人が少なくとも一度は売春店に行ったことがある。ある推計によると、ドイツでは毎日120万人もの男が売春店に通っている。また、この数字には、映像化された売買春(=ポルノ)を見るだけの人は含まれておらず、ある意味では彼らも買春客なのだ。

 メリッサ・ファーリーはある研究で、買春者はそうではない男性よりもレイプを犯す可能性が高いことを明らかにした。この発見は、買春が、ある状況下では女性に対する性暴力が正当化されることを男性に教えていることを示している。すでに虐待を受けている多くの女性が売春婦になるだけでなく、売買春においてさらに多くの暴力の被害者となる。売春婦を買った後は、性暴力を振るうことに対する男性の抑制の度合いが低くなる。これらを総合すると、売買春は女性に対する暴力の結果であり、また売買春それ自体が女性に対する暴力であり、そして売買春は女性に対するさらなる暴力を引き起こす、ということだ。

  売買春はすべての女性に影響する

 暴力と関連しているかぎり、売買春はすべての女性に影響を与える。一人の女性が売られているなら、すべての女性が売られているのだ。買春客から頻繁に耳にするのは、「誰かに同じくらいお金を使って、花を買って、レストランを利用して、結局、何も得られない」ぐらいなら、さっさとお金を払ってやった方がいいと。さらに、買春客はしばしば、暴力的なポルノシーンを売春店で演じて、それを普通の無害な行為だと思い込んでいる。後になって自分のパートナーにそれを提案したり、要求することさえある。

 売買春は社会から切り離されて存在しているのではなく、社会の伝統的な役割を維持し再確認するために推進され、必要とされている。男は積極的で支配的、女は受動的で従順。女性は男に経済的に依存しているがゆえに、男に性的に支配され、女の要求はいつも後回しだ。売買春の完全非犯罪化を支持する人々が、「結婚よりもましだ」と繰り返し言うのは偶然ではない。なぜなら、結婚も売春も同じ基本原理に基づいているからである。性のあり方が平等にもとづいている社会――いかなる害もなされないので、お金で女性に補償する必要のない社会――が想像できないのは恥ずべきことだ。

 私たちの生きている社会は、男性がどんな状況でも――たとえ女性が強要されていても――セックスする権利があると考えられている社会である。男性の欲望は、女性の身体的・精神的な幸福や性的自己決定よりも重要であると考えられている。それこそがまさに売買春であり、性的自己決定の対極にあるものだ。買春客はこのことを知っていて、それによって興奮することさえある。では私たちは、女性が自分の嫌悪感を飲み込まなければならず、男が――一番ましな場合でも!――そのことを気にしないような社会に住みたいのだろうか?

 買春客は、女性を女性としてではなく、ただの物体、身体とみなしている。彼女が本当はどう感じているのか、なぜ売春をしているのか、何を考えているのか、どんな人生を歩んできたのか、ここにいたいのかいたくないのか、彼らは知りもしない。彼らにとってはどっちにしても同じことだ。 女性の権利や意志、気持ちなど、彼らの誰も気にしない。彼らは、女性の尊厳、自我、意志の存在を無視できるようお金を払っているのだ。そこで質問であるが、なぜこのようなことを可能にする制度が必要なのか?

出典:https://huschkemau.de/en/2018/09/06/the-punter-why-men-visit-prostitutes-and-what-men-think-about-them/https://prostitutionresearch.com/the-punter-why-men-visit-prostitutes-and-what-the-men-think-about-the-srostitute/

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投稿者: appjp

ポルノ・買春問題研究会(APP研)の国際情報サイトの作成と更新を担当しています。

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